The Promise of Nana and Naria
鈴ノ木 鈴ノ子
ナナの秘密
アメリカ合衆国オレゴン州の片田舎に住んで30年近くが過ぎていた。娘は成人して結婚し5年前に私は祖母になった。可愛らしい孫娘のナリアは数キロ離れた娘達の暮らす家より両親と共に時より遊びに来る、それは私の人生でもっとも大切で重要な楽しみの一つだった。
「ナナ、これはなぁに?」
新聞紙で包まれたものを大事そうに抱えて孫娘が話しかけてくる。ナナはグランマと同じ意味だ。
「あら、どこで見つけたの?」
日本語の古い新聞紙にくるまれたそれを孫娘から受け取ると、私は可愛らしい孫娘の頭を優しく撫でた。嬉しそうに顔を綻ばせる最高の天使は溶けそうなほどの微笑みを見せてから、小さな指で上を示した。
「屋根上の古い箱の中にあったの、英語じゃない何かが書かれていたの」
近くにあったお絵描き帳にペンで何やら書き記すと私に見せてくれる。それは歪んでいるけれど、とても上手に「ふるさと」と書かれていた。
「覚えてくるなんて凄いわ、それは日本語というの、ナナの生まれ故郷の文字よ」
それを聞いた孫娘は少し戸惑ったような顔をして私をまじまじと見つめてから疑問を口にした。
「ナナはアメリカ人じゃないの?」
「そうね、アメリカ人よ、でも、その前は日本人だったの」
人種に対しての疑問をまだ浮かべない年頃なのか、それとも娘夫婦が教えていないのか、とにかく孫娘はそのことを甚く不思議がっていたが、新聞紙でツ包まれたもの持ちながら歩き、近くのロッキングチェアに座った私の膝の上にすぐに飛び乗ってきた。この家での孫娘の定位置は私の膝の上がお決まりだった。ギシッと音を立てたロッキングチェアに孫娘はいつものとおりに驚いたけれど臆することなく膝の上に上手に乗り、私に振り向いて天使の笑みを見せてくれる。
「さて、何が出てくるかしら」
「何かな?何かな?」
膝の上の孫娘は私が手にしている包み紙の新聞紙をマジシャンのようにゆっくりと時間をかけて開いていく、面白そうに覗き込んでとても待ち遠しそうに身を乗り出していた。新聞紙に綴られた文字は昔はすらすらと読めたものだけれど、最近では立ち止まって意味を考えなければならなくもなってきた。周囲に日本語を話す人と言えば、早くに亡くなった夫以外には居なかったのでしかたないのだろう。
「サンダル?」
それを初めて見た孫娘は少し残念そうに語尾を落とす、私は首を振って懐かしいそれを差し込んでくる光に翳しながら見つめる。
これを履いたのはもう何十年と前の話だ。
米兵だった夫と共に引っ越してきた手荷物の中に入れてあったのを今でも覚えている。母が下駄箱に大切にしまわれていたソレをこの新聞紙で包んで持たせてくれたのだ。
『寂しくなったらこれを言い訳にして帰っておいで』
寂しそうにそう言って渡してくれた母に私は静かに頷いて荷物に入れたのだ。だが、その言い訳を使うことはなく、毎日必死に夫と共に畑を開墾し続けた。夫の祖父母(ニュージーランド移民)と両親は大変厳しそうな人達で最初は不安で仕方なかった、けれどファミリーを何よりも大切にする精神の持ち主でもあった。白人だろうが、黒人だろうが、黄色人種だろうか、なんだろうが、生きていることに変わりはないのだから、何も心配することは無いの。レッド(共産主義者)でなければそれでいいのよ。(そこだけは譲れないものらしかったし、当時の風潮でもあったからしかたのないことだ)
数年後に農機具に夫が挟まれ亡くなってしまっても、ファミリーの結束は心強かった。農場で働いていた人々の子供を分け隔てなく接し、時には支援し、時には叱り、小さな公園ほどもある畑の一画で感謝祭の祭りを行ったのが懐かしい。開墾によって広大な面積となっていった農場と娘の世話やその他の活動に毎日追われていた頃に私は体調崩して数年ほど入院と退院を繰り返した。そして母の葬儀すらも参列することもできずに遠い地から冥福を祈るしかなかった。退院後に農場の全員が私の母の慰霊祭を開いてくれたことは本当に嬉しかった。宗教が違っても、人種が違っても、心は同じようにあるのだと改めて知り得たのだった。
「これはね、ジャパニーズサンダルよ」
「ジャパニーズサンダル?」
「ええ、日本語では下駄というの」
「ゲタ?木でできたサンダルなの?」
手を伸ばしてそれに触れた孫娘はその触り心地に驚いている。
「そうよ、日本でも靴を履くけれど、昔の日本ではこれを履いたの、ああ、オマツリの時には今でも履くかもしれないわね」
「オマツリ?」
「感謝祭のようなものよ、例えるなら一番に何が近いのかしら……」
「でも、みんなこれを履いてお出かけするの?」
「そうね、オマツリの時だけね」
受け取ったソレを手にしっかりと持ち、不思議そうに触っては裏表を観察するような目でじっくりと孫娘は見つめて、やがて、鼻緒が紐で固定されていることに孫娘はひどく驚いていた。
このようなものはなかなか売られていないから興味をそそるのだろう。
「そうだわ、もし日本に行くようなことがあったら、これを持って行っていいわよ」
「いいの?」
「ええ、いいわ。でもね、この下駄には秘密があるの、私の大切な秘密、そして貴女のルーツが分かるかもしれないわ、大きくなったらで良いから探してみてちょうだい。そのオマツリにも参加してくれたのなら私はとっても嬉しいわ」
秘密ということに私を見た孫娘の目が輝く。
「わかった。大きくなったら探してみる!ねぇナナ、これ履いても良い?」
「もちろん、そこの下拭き布を取って頂戴」
膝を降りた孫娘は小さな歩幅で急ぎ足に「てててっ」と走って靴拭きなどで使う布を取って戻ってきた。可愛らしい足取りはいつ見ても頬が緩んでしまう。
「はい、ナナ」
「ありがとう、愛しい子」
頭を撫でると本当に嬉しいことが伝わってくるほどの可愛らしい万遍の笑みが浮かぶ。私は幸せを感じながら下駄の鼻緒から身までを綺麗に乾拭きをした。驚くことに汚れはほとんどついておらず、下駄の鼻緒はとても綺麗で擦り切れも汚れもなかった。きっと母が持たせる前に綺麗なものに交換してくれたのだと気がついて嫁に出てゆく娘を思う優しさに思わず目元が潤んだ。
「はい、履いてごらん」
拭き終わった下駄を床板の上に置く。カランっと懐かしいあの音が聞こえて私は懐かしの故郷、いや、ふる里を思い出していた。
「音鳴るの!」
「そうよ、あ、靴は綺麗に並べないとダメでしょ」
「うん」
靴を脱ぎ捨てて履こうとした孫娘を軽く注意する。下駄に履き替えて靴を綺麗に並べ靴下をその中へ押し込んで整え終えると、彼女はソレを履いて辺りをカラコロと音を鳴らして楽しそうに走り回った。
そんな孫娘をみながら浴衣を纏い下駄を履いた大人びた姿を私は想像した。父親譲りのグレーの長い髪に母親譲りの私でさえ羨むスタイルの大人びた孫娘、そして色柄の良い浴衣を纏い、汗の雫を滴らせて夜明けまで踊り過ごす。お囃子の声に町中の人々が集いに集いて熱気あふれる故郷の夏の風物詩のなかに下駄を鳴らし踊るさまがありありと思い浮かんだ。
ひっそりとそれが現実になってくれることを神に祈った。
私の代わりにふる里を訪ねてくれて、そしてできればその文化に触れてほしい。それは孫娘の人生にとても素敵な影響を与えてくれるに違いないだろう。
「きっと、見つけてね」
小指を差し出した私に不思議そうな顔をした孫娘が、駆けて戻ってくると同じように小指を差し出てくれる。
「ゆびきりげんまん、約束ね」
「おまじない?うん、ナナと約束する」
意味は分かっていないだろう、でも、少しでも覚えてくれていたら嬉しい。私は遠き日の記憶だが孫娘はこれからなのだ。この子はこれからたくさんのことを学んで行く、私が教えてもいいのだけれど、それでは束縛してしまっているように思えてしまった。きっと縁があればそこにたどり着くことができるのだから。
あれから20年後、ナナミ・フィロンフォ・スローフは孫娘の大学卒業を見届けて、94年の生涯をひっそりと終えた。一度も日本に帰ることは無く、ファミリーと地域のために尽くしてくれた葬儀には家族と農園で働いたことのある者や育って行った息子や娘達が訪れた。大学教授や上院議員や下院議員、市役所職員、軍人、連邦政府職員、起業家、会社員、清掃員、犯罪更生者まで、どんな仕事についても、それらがどんな小さなことだったとしても、彼や彼女らが良いことを何かを成しては訪ねてくるたびに素敵な顔で素直に喜び、褒め湛えては細く力強い腕で抱きしめていた。
『オバアチャン』
ある日、誰か彼かが日本語からその単語を探し出してきて彼女をそう呼ぶようになった。以来、それは定着し、この農場で働いたこともある者や出身者などは聞けばすぐに彼女の顔が思い浮かんだ。
小さな町の教会には真夏にも拘らず長い弔問の列が続いた。誰一人文句を言わず胸に抱いた花を持ちゆっくりと列の動きに従う、風の音と町の喧騒が聞こえるだけだ。彼女が静かに旅立てるようにとの配慮だった。
そして最愛の孫娘に見送られ厳かに棺は墓標の下で眠りつく。
「ナナ、日本に行ってみるね、そしてきっと秘密を見つけるから」
記憶を思い出した孫娘の誓いに嬉しそうに笑う風が吹いていた。
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