東西の王と真の神

東の聖地 恐山は男子禁制 イタコは皆女人

西の聖地 熊野は女人禁制 男のみが修験道


何故此のような掟があるのかと言えば、男神は男に、女神は女に嫉妬心を抱き治世が上手くいかないとされる為だ。

沖縄にはユタと呼ばれる霊媒の巫女がいる。

地方にはおがもしと呼ばれる拝み屋が、都市部には名のある占い師や霊能者、祓い屋も様々いる。京都では陰陽師が暦と呪詛を操っていた。


宗教と聞いて拒絶反応を示す人々も何故か霊象には敏感だ。此は何故なのか。


山の神海の神、霊験新たかな寺社仏閣、神輿、十二支、三種の神器、八百万千万の神々。

日本人の生活に密接な神は腐る程いる。

其にも関わらず、異教徒が神への信仰心をちらつかせると身を構え抵抗する。信心は根深くありふれている筈なのに。日本人は神を語る時、他国の宗教とはまるで違った様子で、威風堂々と自国の神々を誇る。


此は天皇を現人神と認め自国民を神の民とする「臣民」思想を始め、自然界の「生きた神々」を信仰する日本独自の宗教を形作った基盤に他ならない。明治時代より天皇は天照大神を初めとする天孫降臨の子孫とされた。

天照大神は太陽の神、つまり自然を神とすることで人々の信仰心をより強いものにしたのである。「異教徒は人間や預言者を神としている。何と愚かなことか。人間は神ではない。」

日本人の念頭に常々あるのはこの思想である。

自然は決して死なない。

絶えず循環し新たな生命を育む。

其の雄大さ、偉大さ、生命力への畏怖を込めて信仰している。太陽と月が生命の証。

草原も森林の大樹も大海原も風と共に絶えず呼吸している。宗教嫌いの日本人達が、神社へ参拝することに何の抵抗も抱かずにいるのは、「生きた自然」を讃えているからに過ぎない。

自然を讃えることは「美」であり当然のこととして受け入れられるのだ。


では論点を霊山へ戻そう。

「山」という漢字は真ん中に高山が座し、左右に均等な山を配することで成り立つ。真ん中を天照大神とすると、向かって左(高山から見て右側)に月読尊、向かって右に素戔嗚尊を配していることになる。山から昇る太陽は最高神の象徴…つまり太陽神である天照大神は海ではなく山里で信仰され始めた神である。

ならば、月読尊(月)も素戔嗚尊(風)も同じ。

云わば、高山が高天原であり其の頂点に太陽、月、吹き荒れる風の神々を配している。

天孫降臨の原型が此の漢字に秘められていると考えても良い。加えて標高の高い山は女神、少し低い山は男神とされ、修験道やイタコが住み暮らす神降ろしの霊山となった。


湖に映る太陽と月

水鏡は合せ鏡の原理

古来、鶴は日本全域に分布し、生息地は広大な葦原の中つ国其の物であった。朱鷺も鷺も鵜もまた同じ鶴の仲間とされる。朱鷺は「トウ」とも撥音され、其の長い嘴は刀剣を連想させる。

その為、鶴は浦島太郎…つまり男性を表す。


此と同様に、亀もまた池や湿地、湖や川岸などに広く分布していた。陸亀も海亀と同じ水の生き物であるが、爪は鋭く穴を掘って住みかとする。炭竈や炭竃など炭に関わる漢字に多用され水甕を満たし食糧甕の保存は女性の仕事とされていたことから亀は乙姫…つまり女性である。


此処から古代日本の自然崇拝を重ねて考察すると西日本には女神、東日本には男神が祀られ、何らかの形で女王政権と大王政権の入れ替わりが起こった可能性を否定することはできない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る