番外編 Side ミルティナ

 ミルティナは大樹の国において年若いエルフであるが、魔族との大戦を生き抜いた一人である。

 ミルティナの年齢は二百五十歳。大戦時代は百にも満たない年齢で、戦場に出るようになったばかりの新兵だった。

 しかし……魔族との戦いがもっとも苛烈だった当時において、新兵だからといって甘い扱いをされることはない。

 ミルティナが初陣を飾ったのも、大樹の国の存亡を賭けた激戦だった。


「ギャアオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


「クソ……魔族め!」


「持ちこたえろ! ここを突破されたら、我が軍は壊滅する!」


「あ、足が……キャアアアアアアアアアアアアアッ!」


「ッ……!」


 あちこちから聞こえてくる怒号と悲鳴の声。

 初めて戦場に立ったミルティナは激しい恐怖に身を震わせ、何もできなくなって戦場に立ち尽くした。


「これが戦い……これが魔族……!」


 話には聞いていた。覚悟だってしていた。

 それでも……生まれて初めて経験する戦場の空気はアルティラの心を砕くには十分過ぎるものだった。

 場所は大樹の国の北部国境にある要塞。魔族との戦いの要であるこの場所に攻め込んできているのは、『邪竜将軍』に率いられているドラゴンニュートの軍勢である。


 ドラゴンニュートは魔族の中でも高位の存在だ。

 人型のドラゴンであり、空を自由に飛んで炎を吹いて敵を攻撃する。

 そして……彼らを率いているのは邪竜将軍。魔王の側近である最高幹部『八極魔将マスターズ・エイト』の一角だった。

 国境の要塞は堅牢強固。エルフの精鋭によって守られてはいたものの……敵はそれ以上に巨大で精強。

 空から浴びせられる激しい攻撃に落城寸前となっていた。


「ガハッ……」


「ヒッ……!」


 ミルティナのすぐそばに何かが墜落してきた。

 グチャリと音を立てて潰れたのは、同胞であるエルフの亡骸。炎に焼かれて丸焦げになっている。

 飛行魔法を使ってドラゴンニュートを応戦していたようだが、返り討ちに遭ってしまったようだ。


「あ……あああ……アアッ……!」


 ミルティナが自分自身の身体を抱きしめて、ガタガタと震える。

 股の間からチョロチョロと生温かい液体が漏れた。

 五十歳にも届かない若造、おまけに新兵には早過ぎる戦場だ。恐怖のあまり失禁してしまうのも無理はなかった。


「いや……死にたくない……死にたくない……死にたくない……!」


 無惨になった仲間の死骸を前に、とうとうミルティナの心が折れてへたり込んでしまう。

 同じようになった自分の姿が頭をよぎる。頭を掻きむしり、ガタガタと歯を鳴らす。


「いや……いやあ……」


「グルルルルルルル……!」


「ッ……!」


 唸り声に弾かれたように顔を上げる。

 すると……中空に数匹のドラゴンニュートが立っており、翼を広げてミルティナを見下ろしていた。


「ヒア……!」


 ミルティナが引きつった声を漏らす。

 ドラゴンニュートはトカゲのように裂けた口に笑みを浮かべていた。抵抗のできない獲物を嬲るような顔をしていた。


「いや……いやあああああああああああああっ!」


「ギャアオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 ミルティナが絶叫をするのと、ドラゴンニュート達が大きく口を開くのは同時だった。

 ドラゴンニュートの喉の奥に灼熱の炎が宿り、哀れな獲物目掛けて噴き出されようとしている。


「【頞部陀あぶだ】」


 しかし……その瞬間、戦場に場違いな冷気が吹き抜けた。

 絶対零度の極寒の吐息がドラゴンニュートの肉体を凍りつかせ、白い氷像へと作り変える。


「ギャ……」


 末期の悲鳴を上げる間もなく氷像となり、ドラゴンニュートが地面に落下した。

 衝撃でバラバラに砕け散り、白い花弁のような破片が酷く美しく宙を舞う。


「え……?」


「どうやら、間に合ったようだな」


「…………!」


 そして……一人の男性がミルティナの前に降り立った。

 白髪の男性である。種族は人間のようだが、後ろ姿なのでミルティナからは顔を見ることはできなかった。


「ドラゴンニュートによって構成された空軍。率いているのは邪竜将軍か。凍らせ甲斐のある戦場じゃないか」


「ドラゴンニュートを一瞬で氷に……まさか、『凍星』の魔法使い?」


 ミルティナが思わずつぶやいた。

 彼の名前は聞いていた。人間でありながら、当代最高とまで呼ばれる魔法使いの一人として。

 氷結魔法に関してはエルフの長老すら上回るとまでいわれている魔族殺しの英雄。『新星の騎士団』のメンバーの一人……『凍星』だった。


「さて……殺るか」


『凍星』は後ろで唖然としているミルティナに視線をやることもせず、地を蹴って戦場に舞い上がる。

 次々とドラゴンニュートを凍らせて落としていき……その向こうにいた邪竜将軍へと躍りかかった。


「すごい……」


 圧倒的な強さを見せる『凍星』の背中にミルティナは心を奪われた。

 魅了されたようにその雄姿を見つめて、高鳴る胸を手で押さえる。


「ンッ……!」


 騒いでいるのは胸だけではない。下腹部の奥がキュンキュンと切なそうに鳴く。

 年若いエルフの少女はかつてない強烈な『男』を前にして、『女』として目覚める。


「『凍星』様……」


 ミルティナが熱い瞳でつぶやいた。

 決して目を逸らすことなく、たった一人の男となった『凍星』の戦いに見入る。


 その後、『凍星』を含めた『新星の騎士団』の参戦によって魔族は殲滅されることになる。

 ミルティナはその後、まるで覚醒したかのように魔法の訓練に打ち込んで、若いエルフの中では一番の戦士に成長した。

 女として目覚めたミルティナには大勢の男性エルフから求婚されたが……それから二百年、彼女が同胞の男になびくことは一度としてなかったのである。

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