第1話 凍星の帰還

『凍星の森』

 そう呼ばれる森が、その場所にはあった。

 いつからあるのかはわからない。

 どうして、そんなふうに呼ばれているのか……名前の由来もわからない。知る者はすでにいない。

 その森が生まれた経緯を知る者は誰もいない。

 長い歳月の中で、国ごといなくなってしまった。

 既に存在しない国の跡地に、決して溶けることのない氷に閉ざされた森は静かに存在している。


「う……?」


 白く凍りついた木々と地面。

 音すら凍結した森の奥深くで、ふと人の声が上がった。


「ここは……そうだ。俺は……」


 ハスキーな声が森の中心にあった氷像から生じた。

 足を踏み入れるだけで凍りついてしまう、誰も入ることができない森の奥深くで、その男の声だけが響き渡る。


「魔法名【摩訶鉢特摩】……解除ディスペル


 氷像がそうつぶやくと……途端、暖かな風が吹いた。

 森を閉ざしていた氷が一瞬で解けて、元通りの緑生い茂る姿に戻ったのである。


「プハアッ! 死ぬかと思った……!」


 そして……氷像が動き出す。

 それは一人の青年だった。細身で秀麗な顔立ちをしており、見ようによっては女性に見えるような美貌の持ち主だ。


 伝説の魔法使い。

 魔王殺しの冒険者の一人……『凍星』である。


「あーあー……よし、声はちゃんと出ているな。心臓も動いているし、体温も正常。手足も問題なく動く」


『凍星』は自分の身体の状態を一つ一つ、丁寧に確認していく。


「視界は良好。耳も大丈夫。触覚よし、嗅覚も。味覚は……」


 近くにあった葉を一枚ちぎって、口に入れて噛む。


「苦い……問題なし」


 あえて声に出して、今度はコツコツと自分のこめかみを指で叩く。


「脳は……どうかな。コレが壊れていたら面倒だ」


『凍星』が記憶を掘り起こして、自分のプロフィールを引っ張り出す。


 冒険者パーティー『新星の騎士団』所属の魔術師。二つ名は『凍星』。

 得意魔法は氷属性が全般。杖は持っておらず、代わりに触媒である黒曜石の短剣を持ち歩いていた。


「最近は二つ名でばかり呼ばれているが……本名はスノウ。スノウ・アイスマン。生まれはエラデリア王国の南にある村」


『凍星』……改めて、スノウは整った顔をわずかに歪める。


「そして……殺された。自国の王の臣下に、味方であったはずの騎士達に裏切られて刺殺された」


 自分だけじゃない。

 すでに仲間達も殺されている。

 仲間達は決して善人ではなかったし、欠点も多い馬鹿達だった。

 それでも……裏切られて殺されて良いような人間達ではなかったはずなのに。


「ん……?」


 ふと、足下に視線を落とせば……愛用にしている黒曜石の短剣と、最後に見た騎士の頭部が転がっている。

 騎士の残骸は頭だけ。他の部分は見当たらない。

 最後に自分を刺しにきた騎士以外の死骸もなかった。


「砕けてバラバラになったんだろうな……当然だ」


 氷属性に対する絶対耐性を有しているスノウでさえ、生き残れる保証のない自爆技なのだ。

 ただの騎士に防げるはずがない。凍りつき、そのまま跡形もなく砕けてしまったに違いなかった。頭部が残っているだけでも奇跡である。


「フン……」


 スノウが右足を持ち上げ、騎士の頭部に向かって踵を踏み抜いた。

 途端、まるで霜を踏んだような音を鳴らして残っていた頭部が粉々に崩れる。

 その男が王の側近であったと知っているが……こうなってしまえば、あっけないものである。

 スノウを殺すことで多額の報酬を与えられるはずだったろうに、骸も残すことなく死ぬことになった。


(いや……あっけないというのであれば、俺達の方も同じか……)


 四苦八苦しながら冒険して、ようやく魔王を倒したのに。

 その後で味方に裏切られて殺されてしまうなんて……何という間の抜けた結末だろうか。

 いっそのこと、魔王との戦いで死ぬことができたのなら……まだ晴れ晴れとした気持ちでヴァルハラの門をくぐることができたかもしれないのに。


「友よ……どうか、安らかなれ」


 スノウが目を閉じ、胸に手を当てて……仲間達の冥福を祈る。

 それから一分ほど黙祷をしていたのだが……やがて、目を開けて自分の頬を両手で叩く。


「よし……感傷、終わり。切り替えていこう」


 仲間達の死後の安らぎは祈った。

 これからは生きている自分のことを考えなくてはならない。


「まずは現状確認……あれから、どれくらい経ったんだ?」


 最高位の氷結魔法……【摩訶鉢特摩】

 あらゆる物を凍らせることができるこの魔法の解除条件として、二つのことを設定して発動した。

 一つ目は、スノウの魔力が回復すること。

 二つ目は、騎士達にやられた傷の自己修復が終わっていること。

 この二つの条件を満たすことにより、凍った状態から自動的に目を覚ますことができるようにしていたのだ。


「他の傷もそうだが……最後にコイツに刺されたのが特に酷かったな。もしかすると、あれから一年か二年か経っているかもしれないな……」


 スノウが忌々しそうにつぶやく。

 自分や仲間達を殺した連中。それを命じた国王はまだ生きているのだろうか?

 彼らが今もなお生存しており、自分達の犠牲の上で繁栄を謳歌しているのだとすればハラワタが煮えくり返る話である。

 できることならばすぐにでも仕返しをしたいが……頭の冷静な部分が待ったをかける。


(最優先させるべきは己の生存だ)


(まずは生き残らなくちゃ話にならない。仲間だってそれを願っているはず)


(生存を確保できたら……リベンジだ。俺達を虚仮にした連中を一人残らず殺し尽くす)


(そのためには、まずは情報を集めなくちゃいけない。この国がどうなっているのか、俺達の死が世間ではどのように伝わっているのか……場合によっては、俺達に友好的だった国の王や貴族に助けを求めよう)


「よし……決まりだ。まずはこの陰気な森から出るとしようか」


 スノウは人里に降りて情報収集をするため、土を踏みしめて森から出ていったのである。

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