時ノ糸 ~絆~ 【2】

汐野悠翔

千紗の章

プロローグ

第1話 プロローグ

――承平7年(937年)


坂東で小さな争いが起こった。

伯父と甥、身内同士のいざこざが原因で始まった争いが。


その争いのおり、国府に火を放った男がいた。


男の名前は平小次郎将門たいらのこじろうまさかど。国府に火を放つ行為。それ即ち国家に仇なす反逆なり。「平小次郎将門には謀反の疑いあり」と、坂東と言う辺境の地で起きたはずの争いは、帝がおわす京にて謀反の是非を問う裁判にまで発展して行った。


半年と言う長きにわたる審議の結果、みやこ中から注目を集めるようになったこの審議。将門に下された判決は――『彼の罪を認めながらも、帝の大赦により、これを許す』と言うものだった。


こうして、醜い骨肉の争いが端を発し、京中の注目を集める騒動にまで発展した一連の騒動も無事一件落着。幕を閉じたかのように思われたが――


実はこの騒動、これから起こる国をも揺るがす大きな争いの、ほんの序章にしか過ぎはしない。


平将門と言う男が、後に本当に国家に仇なすとなって行く、そのきっかけとなった出来事でもあるのだ。


そもそも、何故おおやけは、将門の罪を認めながらも、彼の罪を許したのか。

世間の多くは今上帝の器が大きいからだと信じて疑わなかった。


だが、真実は他にある。帝がその審議に辿りついた裏には、ある一人の姫君の犠牲があったからだ。


一人の姫の犠牲の上に、成り立った落着であると言うその真実は、悲しい事に公でもごく一部の、ほんの限られた人間にしか知られていない。


此度の審議に大きな影響を与えし姫君。彼女の名前は、藤原千紗ふじわらのちさと言う。


太政大臣、藤原忠平の一の姫、その人だ。



  ◇◇◇



――『千紗姫様はあの男を助けたい。朕ならばあの男を助ける事が出来ます。千紗姫様の望みを叶える代わりに、千紗姫様にも私の望みを叶えて欲しい』


『お主にその力があるのならば、何故私に妻になれと……そんな交換条件のような事を言う? お主は私に貢ぎ物になれと申すか?』


『朕は、あの男を助ける事が出来ます。と同時に、陥れる事も出来る。朕の言葉一つでこの世の中はどうとでも動かす事が出来る』


『お主は、自分の都合で世の理を曲げても良いと申すのか? 自分の我儘で、何の罪もない者を不幸にしても良いと? そんな事……許されるはずがない!』


『いいえ、朕ならば許される。千紗姫様は私が天皇である事をお忘れですか? 天皇とは、この国を作りし神の末裔であると。つまり朕は神にも等しい存在。神ならば、世の理を変える事など造作もない』


『………チビ助……お主………本気で言っているのか?』


『はい。朕は……どうしようもなく貴方が好きなのです。貴方が欲しい……。お願いです。どうか、我が后になって下さい』


『……もし、私がこの話を断ったら?』


『あの男は国家に楯突いた謀反の罪で裁かれることになるでしょう。罪人の行く末は、処刑か島流しか……』


『小次郎を殺すつもりなのか?』


『それは、貴方様次第です。千紗姫様』


『…………何故だ?お主には力がある。力があると言うのに……何故その力を正しき道に使おうとしない? 何故力ある者は己の欲ばかりを優先させようとする? 貴族とはどうして……こうも自分勝手なのだ? ………どうして……………』


『それは…………気付いてしまったから。こうでもしなければ、貴方は私を見てはくれないと。貴方が好きだから……どんな手を使ってでも貴方に振り向いて欲しかった。だから決めたのです。貴方を手に入れる為ならば、私は鬼にでもなろうと』


『……………欲しいのならばくれてやる。だから、約束しろ。必ず……必ず小次郎を助けると!』――


  ◇◇◇

  

彼女は、幼き頃より兄弟のように共に過ごして来た大切な者、小次郎将門を守る為に、己を犠牲にして権力ちからに屈したのだ。


あの日から――

この国の最高権力者、今上帝の后となる事を決意したあの日から、早くも二ヶ月の時が過ぎようとしていた。

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