3.お蘭の方
高輪にある加山家菩提寺・
侍女達は心得顔で、既に芝居見物へと繰り出している。
単身となったお蘭は、住職の経もそこそこに、本殿の北の離れにある御堂へ向かった。
「呼ぶまでここへは誰も通さぬよう」
加山家の正室が輿入れして僅か二年で他界した後は、間もなく嫡子千代丸を産んだこのお蘭が、実質上の正室であった。故に、千代丸が動かせぬ体ということもあるが、側室でありながら江戸に住まっているのである。本来江戸に留まるのは、正室の役割なのだ。
「待たせたの」
いそいそと、お蘭は御堂の中に入った。彼女がこの江戸に住まうようになってからというもの、参勤交代でたまさかにしか訪れられぬ明憲に代わって、香草寺はお蘭の篤い庇護の元で寺格を維持していた。
故に住職も寺の小僧達も、ここを何の為に使われようが、見て見ぬ振りをして誂えをするのであった。
普段決して開かれる事の無いこの御堂は、まるで芝居茶屋のように華美な内装が施されていた。中央には、情を煽るような深紅の布団が一組敷かれ、その脇の卓袱台の上には酒肴が用意されていた。
その酒を傾けながら、着流し姿の男がお蘭を手招きした。お蘭は飛びつかんばかりの勢いで男の懐に納まり、その首筋に唇を這わせて甘えたのだった。
「主膳、この日が待ち遠しかった」
男は加山家江戸
一国の江戸藩邸を取り仕切り、公儀との折衝を一手に掌握するこの男は今、遠縁の娘として主君に自ら差し出した三十路女の乳房を探っていた。
「お蘭、国許の殿へ、一服盛ったな」
「娘時代よりわらわに執心しておった伊賀崎弦庵が国許へ参ると言うので命じたのじゃ」
「女の浅知恵で勝手を致すから、危うく八千沢に目をつけられる所であった」
「城代如き、千代丸が藩主となった暁には素っ首
「その千代丸だが、殿よりも長く生きる事はなさそうだな。乗る馬を間違えたわ」
「主膳」
お蘭は、襟元から乳房を弄んでいた主膳の手を抜き放ち、主膳から体を離して向き直った。だがその目は、怒りよりも不安に濡れていた。
「千代丸を、見限るというのか」
「殿は存外悪運が強い。仕掛けた落馬事故でも命を落とさなかった。だが千代丸はもういかぬ。国許よりの知らせでな、殿が下忍に産ませた子・鶴丸とやらが、江戸へ向けて出立したそうだ」
「ではわらわと千代丸は……」
「焦るな。我らには今一人、小夜姫がおるではないか」
小夜姫とは、今年12になる姫で、お蘭の産んだ娘である。千代丸とは同母妹にあたり、只一人の姫という事で明憲も手元に置いて可愛がっている。
「殿はお気づきではないのだろう」
「え、ええ」
「お手元にて御養育の姫君が、私とおまえの秘め事の証と知れたら、殿は卒中でも起こされるやもしれぬ」
主膳がお蘭の腕を掴んで抱き寄せた。そして娘のように飾り立てたお蘭の裾を割り、外見の若々しい美しさを裏切る程の熟した肉体に手を這わせた。脂のみっしりとのった太腿が、吸い付くように湿り気を帯びて主膳の指先を待ち構えていた。
「鶴丸と比べても、小夜姫の方がまだ分がある。今密かに、然るべき家柄の部屋住で、婿に足る人物を捜させておる」
「婿に足る? 」
「我らの言う事を聞き、我らが思いのままに藩政を牛耳ろうとも文句一つ言わぬような、木偶の坊やら朴念仁やら阿呆やら、だ。そこへいくと千代丸は賢いし中々の器量だ。無事に藩主となっていたら、却って我らは身を危うくしたかも知れぬ。これも天の配剤よ」
主膳の膝の上に跨がるように腰を落とし、半ば虚ろになりながら、お蘭は耳元で囁かれる悪の策謀を聞いていた。
「鶴丸が江戸の土を踏む事はまずあるまい。小夜姫に婿をとらせ、我らは栄耀栄華じゃ。千代丸の事はもう、諦めい」
「いやじゃ、いや……ああ、主膳! 」
息子の命を諦めよと囁かれながらも、お蘭は快楽を貪る己の体を止める事はなかった。
天を向いて声を上げるお蘭の淫らな表情を、主膳は冷ややかに見つめていた。
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