謝罪と未経験
謝罪と未経験
◇◇◇◇
「……お納め下さい」
最近、臨時休講とかになったから週末も挟んで、杏里に会うのはあの居酒屋以来の一週間ぶりぐらい。
でもその日の出来事を忘れたわけじゃない。
だから頭を下げながら、杏里にクッキーを献上した。
「私だけじゃなくて、メグとオー子にも謝っときなよ?あんたが企画したくせに好き勝手やって、先に帰ったんだから」
「もー、ホントごめんなさい」
大学の講義室で平謝りだった。
「おかげで晋とは仲直り?みたいな……ともかくいつも通りに戻れたよ」
「あれで新たな問題を持ち出してきたら、アタシはあんたを殴ったよ」
「……ですよね」
杏里がその場でクッキーの袋を開けたから、私も手を伸ばした。
「ちょっと!!あんたも食べるんかい!!」
「いーじゃん!!お腹空いたし!!」
「……比奈子って、なんだかんだで自由よね」
「そう?」
「シンくんの苦労が目に見える…」
「はっ?言っとくけど、自由度で言ったら晋のが自由だからね!!」
「自覚なしで振り回してんのが余計にタチ悪いよね」
「はぁ!?」
「シンくんと私は気が合いそうだ。比奈子の苦労ってあたりで」
「はあぁ!?」
「今度、会わせてよ」
「……へ?」
杏里がフッと微笑む。
「今度はちゃんと紹介してよ、比奈子の彼氏。シンくんさえ良かったら一緒に遊びに行こう」
突然の提案に瞬きをしたが、頷いた。
自分の彼氏と友達が仲良くなってくれたら……私は嬉しいかも。
晋もきっと喜ぶ。
杏里の不意打ちの優しさにジーンときた。
「杏里、好き!!」
「それ、シンくんにも言いなよ?」
「……」
「はいはいはい、言ってないのね?わかったっつの、そんな顔すんな」
黙ってクッキーをもしゃもしゃ食べた。
言った方が晋も喜んでくれるかもとは思うけど、言わなくても上手くいってんだからこの際よくない?
それ言うと杏里に怒られそうだから黙っとくけど。
「ーで、あのあとは?」
「あのあと?」
「ちゃんと家まで帰れたの?」
杏里は時々ひどい奴だけど、こういう所はきちんと心配してくれる。
「あぁ、うん。……あ、いや……家っていうか晋の部屋で寝てた」
「……ほー」
杏里がニヤリと笑った。
「なんだ、仲良く出来てんだね」
「まぁね!!」
「ーで、どうだった?」
「お?」
「良かった?」
「は!?良かった!?」
「仲直りの後は盛り上がったんじゃないの?」
杏里はたまに親父化する。
だから溜め息をついた。
「や……何もないよ?」
「ないの?」
「ただ寝てただけ」
「ふーん」
朝のあのあとも普通に家に戻ったし。
でもあれは軽いノリの範疇ってのもわかっているから別に気まずくもない。
杏里が首を傾げてこっちを見た。
「ねぇ、素朴な疑問なんだけど」
「うん」
「……あんた達って、」
「うん」
「──ヤッたの?」
何を?
……なんて野暮なことは聞かない。
私も今年で二十歳になるしね。
答える代わりに目線を斜め下に向けて「フッ」と鼻で笑った。
「杏里先生……」
「はい」
「まだですけど!!」
「あー……うん。あんたのリアクション見て、そうかなーとは思った」
杏里はクッキーをくわえて、めんどくさそうに頭を掻いた。
「私達ってそんな感じじゃないし」
「ふーん」
「幼なじみの延長っていうか」
「でもシンくんは考えてんじゃないの?」
「や、特に何も言ってこないよ」
ちょいちょい押し倒されてるけど。
でもまぁ……付き合う前からそんな感じなこともたまにあったし。
やっぱり幼なじみの延長と変わらない気がする。
だけど杏里は私の考えを見抜いたように言った。
「でもこのままずっと幼なじみの延長ってわけじゃないでしょ?いつかはヤるコトだし」
「……」
「は?」
「……杏里先生」
「はい、なんでしょう」
「杏里先生に聞いてほしいことが……」
「うわっ…すでに聞きたくない。めんどくさそうな予感がする!!」
杏里は眉をひそめて私から距離をとろうとしたが、すかさずその腕をつかんだ。
「私……」
「……うん」
「……」
「……」
「……」
「……だから何よ」
「……私、したことないんだよ」
「は?」
「……エッチ」
お互い真顔のまま沈黙した。
先に沈黙を破ったのは杏里だった。
「え…知ってるけど」
「うん。杏里はね」
「悪いけど、あんたの恋愛年表…言えるからね」
「いつも話聞いてくれてありがとう」
「……どういたしまして?」
「……」
「……」
「……」
「……で?」
「『で』って……だからどうすればいいかな?」
「は?」
「晋は多分、知らないんだよね。私の経験値の無さを!!」
「……あー」
「もし万が一、そんな流れになったら……どうすればいいと思う!?」
そう。
実は私は、まだしたことないのだ。
誰とも未経験。
キスまではある。
なんだったら、それっぽい状況に進みそうな場面に遭遇したこともある。
だけど運がいいのか、華麗に逃げてこれた。
今まで勢いで恋愛してきたけど、こればっかりは勢いで済ませる問題じゃない。
しかも相手は晋だ。
藁をもすがる目で杏里を見た。
「一体どうすれば……」
「言えば?」
「何を!?」
「……処女ですって」
「もー!!!!違う!!杏里は全然乙女心をわかってない!!」
「知らんし、そんなもん」
「杏里だって女でしょ!!わかってよ!!こうなんていうか……言えないじゃん!!」
「じゃあ言わなかったら?」
「投げやりに話終わらそうとしないでよ!!聞いてよ!!」
「何が言いたいのかわかんないんだもん」
「言うのもアレだけど、言わないのもアレじゃん!?」
「……悪いけどわかんない」
冷たすぎる杏里に頭を抱えた。
そんな私を見て、杏里もやりすぎたと思ったのか急に「えっとー…」と優しい声を出す。
「シンくんも実はなんとなく気付いてんじゃないの?」
「なんで…私何も言ってないし」
「でも今までの彼氏達って1,2ヶ月やそこらで別れてばっかだしさ……短過ぎるし。そんな比奈子の傍で見てたら、だいたい予想出来るんじゃない?」
「晋、アホだから多分そこまで考えてないよ」
「あ、そう」
「それに芳行とはちゃん半年ぐらいは付き合ってたよ!!」
「思えば、何にもないのにそこまで続いたのはヨソでやってたんだろうね」
「……」
「あ、ごめん」
もうすぐ授業が始まるからか周りの席も人が多くなってきた。
うーんと頭を悩ませたが、そのざわざわとした雑音に逆に我に返ったというか、ふと冷静になった。
「……よし、このことは保留にしよう」
「……つまりめんどくさくなったんでしょ」
……杏里って私のことをよくわかってて怖い。
でも今考える必要ないと思えた。
順調なんだから、自分から波風立てる必要もないんだ。
「うん。晋とはしばらくそういう雰囲気ないと思うし…保留でいいよ、保留。今のままで充分だし」
「あとで困っても知らないよ?今時、中学生でも進んでるってのに、元気盛りの高一がホントに何もないのか?」
「うーん、晋がエロいこと言ってもエロくないっていうか……意地悪なエロじゃないよ」
「なんじゃそりゃ」
「意外とさっぱりしてるよ!!」
「また裏で浮気されてても知んないからね?」
「……」
杏里は意地悪そうに笑った。
冗談のつもりらしいが、私は笑おうとしたのに笑えなかった。
まさか
……ね?
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