第25話 死んでも言いたくない①

 「ハカゼ、おはよう。待った?」

 「……おはよ。遅いぞっ」


 いつものようにわたしを迎えに来たイツキに、おりゃっ、と脇腹に肘を入れると、彼女は「やめてよ」とくすくす笑った。

 イツキと歩く駅までの道のりも、ゴツいブーツのせいで余計にできた身長差から分かる彼女の顎のシャープさも、いつも通りだ。

 今日は二回目のゼミの日だ。あの光景を見てから一週間が経った。イツキはそのことについて何も語っていない。当然だろう。わたしに見られているとは気づいていないのだから。

 わたしも何も訊いていない。なぜなら、特に問いただす理由が無いからだ。

 そもそもわたしが泣いたのだって意味不明だ。イツキが誰と何をしようがわたしには関係ないし、それを咎めるべき資格も傷つくべき身分も無い。そもそも好きじゃないし。わたしはそう簡単に人を好きにならない。はずだ。


 「最近調子よさそうだね」


 と、隣で歩くイツキが能天気に言ってきた。


 「……マジでそう見えんの?」

 「え? うん。顔色も良いし、あの……可愛い、よ」

 「そっかー……じゃあいいか」


 こいつさぁ……。

 一瞬イラっと来て、可愛いと言ってくれたから感情がプラマイゼロになって、でも鈍感なコイツに余計ムカついて、わたしは頭を振った。わたしにムカつく資格はない。たとえ、この一週間寝つきが余計に悪くなったし深夜に何度も起きるしすぐイツキのこと考えてあの光景がフラッシュバックしてどういうことなのあいつとどういう関係なのなんでわたしを嫌うようなヤツと仲良くしてんのってずっとぐるぐるぐるぐる考えてしまって食欲が無くなって気分がずっと沈み切っていたとしても、それはイツキに関係の無いことだ。


 「ハカゼ?」


 きょとんとしているこいつの整った顔へ衝動的に教科書叩きつけてやりたくなっても我慢だ。そんなことをしたら暴行罪だ。暴行罪……。

 ほんとこいつ美人だよな……隙がないというか、みんなの理想の顔というか……まるで作られたみたいで……。


 「……イツキさぁ」


 あんまり顔を見ていると絆されそうになるから、わたしは目を逸らした。


 「もういいよ? 無理して来なくて」

 「……え?」


 歩道のど真ん中で、イツキは足を止めた。せめて真正面から言いたかったから、わたしは数歩先を歩いて彼女を振り返る。


 「ほら、わたし、調子良さそうなんでしょ? もう一人で行動しても怖くないし、危なそうな場所にも行かないようにするからさ。だから大丈夫」

 「えっ……そ、そんな……いや、まだ心配だよ!」

 「あと、変に優しくしてくれなくてもいい」


 口の中を貫かれたみたいに、イツキは息を飲んだ。傷つけたいわけじゃなかったから、わたしは慌ててフォローする。


 「あの、ほら、前はもうちょっと砕けてたじゃん。扱いも雑でさぁ。でも最近はちょっと、らしくないっていうか。そうじゃない?」

 「……それは」

 「だからさ、ほら、ちょっと変な感じになっちゃったけど、またイチから友達としてやり直そまい! あ、方言出ちゃった、はは……」


 そもそも最初から友達だったのかどうか分からない。ただの顔見知りからワンナイトラブをして、こじれて、クソ男に襲われて、やけに過保護にされて……今だ。思えば、わたしたちが通常の関係性だったことなど一度もない。


 「……私たちが友達だったことなんて、ない」


 考えられないくらい低い声だった。それに震えていた。唇を噛み、眉間に皺を寄せて……涙を堪えているのは明らかだった。だから、わたしは酷く動揺した。


 「えっ、ちょ、泣くほど!? ごめん、ごめんって。泣かせたかったわけじゃないの。わ、わたし的には普通の提案だった的なアレで……」


 わたしはついにえぐえぐ泣き出してしまったイツキの元に駆け寄って、バッグからハンカチを取り出して彼女に押し付ける。


 「ちょ、ちょ、道の端っこ寄ろう。問題だ、問題になっちゃう」

 「……うん」


 イツキはすっかりしおらしくなって、腕を引っ張るわたしにされるがままになった。まるで幼い子どもだ。今ならどこへでも連れて行けそうだった。こいつ、顔とファッションと内面が釣り合ってないのか?

 わたしたちは人目を避けて大通りから一本裏路地に入り、ビルとビルの谷間に入り込んだ。わたしはイツキをあやすように、頭や肩を撫でてゆっくりと切り出す。


 「あのさ、イツキ。あの、ね、ちょっと疲れてんだよ。ほら、普通の授業でも大変じゃん? イツキちゃんと勉強してるっぽいしさぁ、それにわたしのお世話もして早起きもしてるわけでしょ? そういやバイトしてんだっけ?」

 「してる……」

 「そっか、どこ?」

 「ガールズバー……」

 「なるほど、ガールズバーか……ガールズバー!?」


 衝撃の事実だった。でもそうか、こんなに派手に髪の毛をいじくれるのはそういう職場しかないか。ただ、なんとなく、あんまりガールズバーに詳しくないから分からないし偏見だけどおそらくわたしのやっていたギャラ飲みみたいなもので、アフターとか、露出度の高いコスプレしておじさんに媚び媚びしてシャンパン入りましたーとか、そういうのをイツキがしている所を想像して……嫌だと思った。


 「そ、そっか、ガールズバーね。と、とにかく、あの、夜のお仕事でしょ? 睡眠時間も足りてないだろうし」

 「今度きてほしい……サービスするから……」

 「えっ、うん!? う、ん? サービス!? あ、うん、行く! 行くからさぁ、あー、もう、泣き止んでよぉ、わたし人の泣き顔見るの苦手なんだよぉ」


 なんなんだよこいつ! 話通じない! 幼児退行しやがって! わたしだって泣きたいんだが!?

 一向に泣き止まないイツキにワタワタしていると、「はい」と涙とメイクでぐっしょり汚れたハンカチを返される。


 「ごめん……ちょっと、動揺しちゃった」


 ぐじゅ、と鼻を鳴らしながらイツキは気丈に振舞っていた。おそらく、わたしがあまりにも慌てているから冷静になれたんだろう。そうだとしたら慌てた甲斐があった。そう自分を納得させた。


 「動揺って……そんなにわたしの面倒、見たかったとか?」

 「うん」

 「見たかったぁ!?」


 まさかの肯定でさらに動揺してしまった。


 「だ、だからぁ。別にイツキが申し訳なく思う必要ないんだって。全然イツキのせいとか思ってないし、むしろ助けてもらったんだから」

 「……それだけじゃない」

 「うぇ?」


 じゃあ何、という意味を込めて相槌を打ったのに、イツキは何も話さなかった。だからわたしは次の言葉を見失って、「え」の口を開けたまま固まってしまった。


 「……わたし、イツキのこと、ぜんぜん分かんないんだけど」


 だからつい、思ったことが、今までずっと自分の内で燻ぶっていた疑問が口からするりと零れ落ちてしまった。


 「イツキは、わたしの、なんなの?」

 「……そ、れは……」


 イツキはわたしからの視線を避けるように肩を落として俯いた。そしてやっと、ぼそりと呟いたのは、ただ一言だけだった。


 「死んでも言いたくない」

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