第14話 ハカゼ高校生編⑥ じゃあ抱いてよ

 「父親が東京に帰るから、一緒に来いって言われたの。嫌だって言ったら殴られた。普段はそんなことされないんだけどね」

 「は?」


 終業式が終わって、スタバで二人で向かい合うと、ツッキーはそう切り出した。どんな話が来るのか身構えていたはずなのに、『東京』という言葉を聞いたら声が自然に漏れてしまった。


 「うち、離婚するんだって。でもまだ協議が終わっとらんから、父親の実家がある東京に行くんだって。高校も東京の学校に編入させるって」

 「お……おかしくない? そんな、おかしい。娘の学校変えさせてまですること? 子どもの都合とか考えないの?」

 「母親の下にわたしを置いておくのが許せないんだって。わたしが名古屋にいて母親のところに居続けるなら、もう面倒は見たくないって言われた」

 「はぁ!? なにそれ!? 自分勝手すぎる!」


 わたしは拳をテーブルに打ち付けそうになって、教室の二の舞になる、とギリギリのところで押しとどまった。


 「なにそれ……ひと様の親御さんにあーだこーだ言いたくないけど……ツッキーの親、わたし好きじゃない」

 「あはは。うん。私も好きじゃない」


 ツッキーは困ったように笑い、コーヒーを一口啜った。


 「たぶん、離婚がちゃんと成立したらわたしの学費もちゃんと払えって裁判所に言われるんだろうけど……タイミングの問題かなぁ、こればっかりは」

 「タイミングって……バカみたい。離婚すんならはじめっから結婚すんなよ」

 「そうだよね。でも結婚してくれなかったらハカゼに会えなかったから」

 「あ……」


 わたしは涙が出そうになった。


 「ごめん、わたし……」

 「ううん。いい」


 わたしたちはお互いに口を閉ざした。沈黙が肌に突き刺さった。周囲の話し声や雑音が鼓膜を揺らすだけで不快だった。


 「いつ、引っ越すの?」


 わたしは感傷で冷えた体温を温めるように、期間限定ラテのカップを両手で包み込みながら尋ねた。


 「休み明け、だと思う。休み中は引っ越し作業があるから、会えない」

 「どうしても抵抗できないの?」

 「無理かなぁ。独り立ちできるほど、私、力が無いし……」

 「もう一生会えない?」

 「そんなわけない。東京から名古屋まで100分だし、スマホがあればいつでも話せるし、休みの日には私が名古屋まで行くよ」

 「違う。そういうことじゃない」


 わたしはテーブルの上に寂し気に佇むツッキーの手に、自らのものを重ねた。


 「ツッキーは嫌じゃないの?」

 「……何を……」

 「そうだよ、東京名古屋間は100分だし、スマホがあればいつでも繋がれる。でもそんなんで上手くいくわけないじゃん」

 「それ、は……」

 「わたしのこと好きにさせてくれるんじゃなかったの!? ツッキーから離れてっちゃったらもう無理じゃん! わたしは無理! 新幹線で100分も離れてる相手のこと好きになれない!」


 わたしはツッキーの手の甲に爪を立てた。「いっ……」と彼女は表情を歪めた。


 「あんま舐めんなよ、わたしは付き合うにはセックスしかないって考えてたような女だぞ? 普段会えないような奴とどうセックスすんだよ!」

 「は、ハカゼ、ここ、公共の────」

 「うるさい!」


 今度こそ拳をテーブルに叩きつけ、わたしは立ち上がり、ツッキーを睨んだ。


 「いっつもいっつもいっつもいっつも隠し事して! ツッキーはわたしに何も教えてくれない! 親が離婚? 東京に帰る? だから何!? それでいいって、それでも好きだよ、って信じられるわけない! そんなんで納得しちゃうような気持ちなら最初っから『好き』とか言わないでよ!」

 「だって!」


 ツッキーは頭を振り乱し、顔を空いている手で覆った。


 「ハカゼは、私のこと……好きじゃないんでしょ!?」

 「……そ、ぅ、くっ……」


 わたしの勢いは、その一言で止まってしまった。

 この結果は、わたしの、つまらない意地か。意地を張っていたのはわたしの方だったか。きっと、ツッキーの信念に比べて、わたしのそれはちっぽけな、『自分を変えることが怖い』というものでしかなかった。

 もし、ツッキーとのセックスが気持ちよくなかったら、証明されてしまうじゃないか。

 ツッキーのことが好きじゃないって、ツッキーのことまで、好きになれなかったのだと、わたしはわたし自身に証明してしまうじゃないか。

 だから、怖かった。

 そして、それだけだった。


 「……じゃあ抱いてよ」

 「え……?」

 「明日と明後日と明々後日。三日、わたしのために使って。お泊りデートして」


 わたしはもう、やめた。

 ツッキーとのセックスがたとえ気持ちよくなくても、いいと思えた。

 彼女は本気の純粋な『好き』をくれる。わたしには何もないから、与えられたものを返すことしかできない。だからこそ、ちゃんと『好き』をくれるツッキーには、ちゃんとした『好き』を返すことができるかもしれない。


 「明日はデパートに行って、お互いの服を選び合って、クリスマスコフレ、プレゼントにして送り合って、明後日はそれを着てデートに行って、いっぱい写真撮って、うちで二人きりになって、そんで……」


 彼女の気持ちを、わたしに、繋ぎとめておきたい。くそったれな現実に翻弄されても決して折れないように、深く、深く突き刺さしてしまいたい。


 「25日と26日、うち、親いないの」


 わたしはツッキーの手を引っ張って、無理矢理立ち上がらせた。


 「そこで、抱いて。本気で」

 「ハカゼ……っ」

 「そうしたら、もしかしたら……ううん、きっと、わたし、ツッキーのこと好きになるから。本気で好きになれるかもしれないから」


 「もういいでしょ? ここまで気持ちが通じているなら」


 「わたしにツッキーのこと好きって思えるって証明して」


 「お願い、ツッキー」


 「わたし、ツッキーのこと心から────好きだって言いたいんだ」


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