第14話 過去編⑥ お前と会わなきゃ、わたしは

 結論を先に述べると、わたしは彼氏と別れた。

 ついでに、ツッキーとも二度と喋らなくなった。

 直接の契機は、わたしが彼氏の浮気を発見したことだ。

 ツッキーと喧嘩してからの週末、わたしは珍しく一人でぶらりと遊びに出かけた。彼氏は何やら用事がある、とか言って、わたしに『用事』があるのは許さないくせに、とムカついて、じゃあ一人で買い物してやるよ、と家を出た。


 「なんだよ、じゃあツッキーと一緒に遊べたじゃん……」


 一人で出かけるためなのに、しっかり服を考えてきっちりメイクするなんて面倒だったけど、可愛くない自分は解釈違いなので歯を食いしばりながらオシャレした。

 そして、電車に乗って、乗り換えて、三十分かけてショッピングモールに着いた。


 「あ、かわいい! これ着てみたい! ね、これどう? ツッキー────」


 可愛いランジェリーに食いついて隣を見ると、誰もいなかった。


 「……そっか。話さなくなっちゃったんだ」


 ツッキーだったらきっと、このランジェリーとわたしを交互に見て、わたしがこれ着た姿を妄想して、顔を赤くして、「ハカゼなら似合うよ」と言ってくれるはずだ。

 彼氏と一緒にランジェリーは選べないから……。

 わたしがコスメや服を選んでる時に退屈そうな顔をする彼氏を思い出して、腹が立った。

 ツッキーとだったら、ランジェリーも、コスメも、服だって、もっと楽しく選べたのに。お互いの似合いそうなやつを選び合いっこして、試着して感想を言い合って、一緒にメイクし合って……。


 「ツッキーが来ないから、ツッキーの好みのブラ、着てやんねーぞー……」


 来ないんじゃない。わたしが拒絶してしまったんだ。

 一度被った仮面なら、最後の最後まで被り続けていればいいんだ。なのに中途半端にしやがって。だから大事な人も、自分も傷つけるんだ。


 「大事な人……?」


 急に、店内に流れるBGMの音が大きくなった。

 急に、ショッピングモールを行く人々の雑踏と話声が大きくなった。

 あ────わたし────一人だ。


 「いらっしゃいませー。よろしければ────」

 「いいです」


 話しかけてきた店員さんに速攻でバリアを貼って、わたしは店を離れた。

 その後はどの店にあるどんな服も、アクセサリーも、コスメも、全部色あせて見えて、わたしは一体何をしてるんだろう、って気持ちになった。お酒を飲んだこともないのに素面になった気分だ。むしろ賢者タイムだ。

 お腹が空いたからフードコートに降りて、一緒に来てる人もいないし、全く可愛くないほっけ定食を注文した。誰かといる時は抑えてチマチマ食べるし、なんかいい感じの喫茶店でなんかいい感じのパスタやらサンドイッチやらを食べるけど、わたしは女の子にしては食べる方だし、茶色っぽい食べ物の方が好きだ。


 「はぁーあ。何してんだろ、わたし」


 ご飯をもぐもぐしながら呟く。


 「だいぶ面倒になってきたなぁ……でもせっかく外出る恰好してきたのに、すぐ帰るのはなんか負けた気がして嫌だし……うー……」


 その時、見つけてしまった。

 同じフードコートで、わたしの席からずーっと斜めにいったところの席に。

 彼氏が、わたしの知らない女に「あーん」をしているところを。

 その光景を目撃した瞬間、わたしは世界が終わるほどのショックを受け────


 「おいおい。地元で浮気すんなよ。脇が甘いな」


 なかった。むしろしっかり浮気現場を写真に収めた。今までできた彼氏二人中二人に浮気されるなんて本当にどうかし過ぎていて、逆に冷静になれた。

 そしてスマホを取り出して未読が99件溜まっているラインを開き、彼氏へ写真とともにメッセージを送った。『残念。見つかっちゃったね。バイバイ』『言い訳は聞きません』『二度とわたしに関わるな』。

 次にツッキーにラインを送る。ツッキーの方は通知をオフにしていたから気づかなかったけれど、めちゃくちゃ謝られていた。『ごめん』『私が悪かった』『もう、あんなこと二度と言わないから』『ハカゼと喋れなくなるのは嫌だ』。


 「ごめんて……もう会えるよ」


 わたしは内心申し訳なさを感じつつ、ツッキーのラインに彼氏の浮気写真を送り付け、『浮気されたw』『わたしもごめん。言い過ぎたし、ツッキーを傷つけたいわけじゃなかった。もしよかったら、またお話ししてね』『これでツッキーと遠慮なく遊べるから!』と送った。

 一度スマホを閉じてほっけ定食を片付けようとしたら、ブー、と通知音が鳴った。ツッキーからかも、と期待したら、彼氏からだった。


 『待って』

 『今どこにいる?』

 『話したい』

 『誤解』

 「うっせ、ばぁーか」


 ツッキーに早く連絡したくてブロックまでしてなかったことを思い出した。わたしは淡々とスマホを操作し、ブロックをした。

 よし、これで安心。誰に慮ることなく堂々とツッキーに会える────


 「ハカゼ!」


 彼氏の声が聞こえて、反射的に顔を上げてしまった。彼氏と目が合った。


 「いた! ハカゼ!」

 「げっ」


 わたしは慌てて逃げようとして、なんでわたしが逃げなきゃいけないんだ、と思い直し、むしろ椅子に深く座り直した。


 「ハカゼ! 聞いてくれ、これは────」

 「カノジョさん置いてきぼりにしない方がいいんじゃない? せっかくデートしてるんだからさぁ」


 わたしの席まで走ってやってきた彼氏の言葉を最後まで聞かずに、わたしはそう言い放った。むしろ目も見なかった。


 「言ったよね。言い訳は聞きません。どんな事情があっても無理」

 「は、ハカゼ。待ってよ。これは、そう、これはハカゼのプレゼントを選んでただけなんだって! なぁ! そうだよな!」


 彼氏は追いかけてきた浮気相手を振り返る。浮気相手は「ど、どういうこと? ダイキくん、何言ってるの?」と戸惑っているばかりだ。きっと彼氏は心の中で「話合わせろクソ女!」とでも思っているんだろうなぁ。焦りと苛立ちでぐちゃぐちゃに歪んだ顔を見るのは優越感を覚えた。


 「だ、だからハカゼ。お願い、俺の話を────」

 「触んな!」


 腕に触れようとしてきた彼氏の腕を、わたしは容赦なく払った。


 「キモ」


 もう話したくもない。食欲も無くなった。わたしは少し残したほっけ定食を置いて立ち上がった。彼氏はまだ追いすがって何かを言っているようだけど、わたしの耳はシャットアウトされていた。ただの雑音にしかならない。

 早くツッキーと話したいな。ライン見てくれたかな。そう思ってスマホを取り出す。


 『見つけた』


 液晶の通知欄には、そう表示されていた。

 ガン!


 「痛ったぁ!?」


 背後で何かが当たるような音がして、わたしは振り返った。コロコロと床にペットボトルが転がり、彼氏が頭を抑えている。

 状況的に、ペットボトルが投げられて彼氏に当たったのか?

 誰が? なんで?

 どういう意味────


 「お前ぇええ!」


 怒声がした。ガリガリと床を激しく音がして、そちらを見ると、フードコートの椅子を引きずるツッキーの姿があった。


 「つ、ツッキー!?」

 「わたしからハカゼを奪っておいて、よくも浮気なんかぁ!」


 ツッキーは足を速めて、歯を食いしばって眉間に皺をよせながら椅子を持ち上げる。あのまま投げたら彼氏に直撃する。女の子の力でもモロに当たったら無事では済まない。

 わたしは気付いたら飛び出していた。


 「ダメ、ツッキー!」

 「はっ、ハカゼ!?」


 わたしがツッキーに抱き着いて止めると、彼女は初めてわたしに気づいたように驚いた声を上げた。


 「な、ど、どうしたのツッキー! なにやってんの!」

 「あいつ……許せない! ハカゼという彼女がありながら浮気するなんて! お前のせいで私はハカゼと……!」

 「も、もう終わった話だから! あいつとはもうめちゃくちゃ終わったから! 落ち着いてよ!」


 わたしはツッキーにタックルするみたいにして押しとどめている。しかし勢いは全く衰えない。じりじりと押され続けている。どこから出ているんだ、この力。


 「椅子放して、ツッキー! 危ないから! またいっぱいデートしよ! ね? もう誰も邪魔しないよ! わたしとツッキーのこと邪魔しないから!」

 「……ハカゼ……」

 「ツッキー、ね、落ち着いて。もうどっか行こ? 二人でさ。ね?」


 椅子を引きずっているツッキーの手の上に、優しく自分のものを乗せる。背もたれを力いっぱいに握って白く変色していた彼女の手はとても冷たかった。それがだんだん、温かな血色へと変化していく。


 「……もう、ハカゼといれるの?」

 「うん。そうだよ。わざわざツッキーがこんな奴のために暴力振るうことないよ。だから……ね?」


 わたしはツッキーにキスをした。ツッキーは目を見開き、椅子を手放し、わたしを抱きしめた。


 「うん。いいこ。いいこだよ、ツッキー」

 「ハカゼ……もう離さないから……!」

 「あー……うん」


 なんかまた面倒になりそうだな……と思いつつ、今はこれが最善の道だ、とわたしはツッキーに頷いた。

 これで事態を収拾できたか。そろそろ離れないと、警察か何か呼ばれかねないな、と思った、その時────


 「終わったってどういうことだよ、ハカゼ……!」


 視界の端で、蹲っていた彼氏がふらりと立ち上がった。


 「ふざけんな、そいつだろ。俺より優先してた奴って……」

 「ちょ、なんなんだよ! もう! めんどくさいな! 今度はお前かよ! 落ち着け!」

 「うるせぇ!」

 「きゃあっ!」


 わたしは彼氏に押しのけられ、床に倒れた。

 その隙に────彼氏は、ツッキーの胸倉を掴んでいた。


 「なっ、何すんの!? ちょ、ツッキーに触んな!」

 「うるせぇ、お前がハカゼを俺から盗ったんだろ! もう、全部、全部お前のせいだ! 俺にペットボトル投げつけてきやがって、ふざけんな……ふざけんなぁ!」


 彼氏はツッキーに詰め寄って、拳を握って振りかぶった。


 「ひっ」


 ツッキーは目を瞑って、身体を縮こまらせて、痛みに耐えようとした。

 しかし、どうやら、それはやってこなかったようだ。


 「え────」


 わたしが、ツッキーの代わりに、顔面で彼氏の拳を受け止めたからだ。


 「ハカゼっ!」


 ぐらりと体勢を崩したわたしをツッキーは抱え込んで、一緒に倒れた。


 「痛った……」

 「ハカゼ! 大丈夫!? ごめんね、私が……」


 わたしに謝ろうとするツッキーを押しのけ、わたしはふらふらしながら、なんとか立ち上がった。

 なんでこんなことしてんだ、わたし。せっかく可愛い顔に生まれてきたのに。よりによって顔面で庇うとか。痕が残ったらどうしよ。裁判かな。裁判起こしてやる。


 「ハカゼ!? ごっ、ごめ」


 わたしを殴りやがった彼氏が、我に返ったような青い顔でわたしにオロオロ近づいてきた。

 だから────


 「女殴んなよ、クソ野郎!」


 わたしは彼氏に────いや、もうそんな大層なもんじゃない。このクソに思い切りビンタをかましてやった。彼氏は流石に倒れはしなかったけれど、二、三歩ふらりと後退した。

 頬に手を当てながら、彼は叫ぶ。


 「な、なにすんだ……!」

 「こっちの台詞だ、ゴミ! もう一回言ってやるよ、二度とわたしにその腐った面見せんな!」


 そして、クソと浮気しやがった反吐女をもわたしは睨みつける。


 「そいつ連れて消えろ」

 「な、なんなの、あんた────」

 「もおおお! どいつもこいつも! 口答えするな! 死ね! ブス! 消えろ!」


 わたしは地団駄を踏んで叫んだ。


 「消えろぉっ!」


 その後、警備員たちに捕まったわたしたちは事情を問いただされ、お互いの親には連絡が行くことにはなったが、幸運なことに警察沙汰にはならなかった。

 わたしは金輪際元カレと関わることを止め、元カレももうわたしのことを諦めるようだった。ずっと憔悴し切った顔をしていて、そうしたいのはむしろわたしだよ、被害者面しやがって、と怒りが沸騰した。

 やっと解放されたのは日が暮れてからで、わたしはツッキーと一緒に家路に着いた。


 「ハカゼ……」

 「…………」

 「ハカゼ、ごめんね、迷惑かけて……」

 「…………」

 「私、あいつのこと許せなくて……ハカゼのこと、本当に大好────」

 「うっさいなぁ」


 わたしは足を止めた。背後を歩いていたツッキーも足を止めたのが西日で伸びる影で分かった。


 「ハカゼ……?」

 「だから言ったじゃん。好きだの付き合うだのは面倒だって。なんなの、もう」


 わたしは深く、深く息を吐いて、ツッキーを振り返った。


 「もういいわ。ほんと。もういい。疲れた。なんでわたしがこんな目に遭わなきゃいけないの? なんでわたし殴られたの?」

 「そ、それは……わたしを庇って……」

 「わたし、殴られなきゃいけないようなことした?」


 喋る度に、息をする度に殴られた左頬がズキズキと疼いた。


 「もうやだよ……どいつもこいつも……ただわたしは楽に生きたいだけなのに……くそ、痛い……」

 「ハカゼ、大丈────」

 「触らないで!」


 ツッキーが伸ばしてきた手を、わたしは容赦なく払った。

 わたしは彼女を睨みつけた。身体が震えて、歯がカチカチ鳴って、気づけば熱い息が溢れてきた。


 「ふざけんな、お前と会わなきゃ、わたしは……っ」


 涙を流して、わたしはツッキーの胸を殴った。しかし力が入らなくて、ぽんっ、と情けない音が鳴るばかりだった。


 「ばかやろー、どっか行け、ばか……しね……!」

 「……ハカゼ、私は……」

 「うるさいっ!」


 わたしが泣きながら叫ぶと、ツッキーは何かを言おうと口を開き、止め、目を伏せ、踵を返した。

 そして、二度とわたしを振り返ることは無かった。

 彼女の背中が小さくなるまで見ていたけれど、太陽が完全に沈んで、ついに見えなくなった。それほど長く、わたしはその場に留まっていた。


 「ツッキー……」


 わたしも踵を返して、歩き始めた。


 「ツッキー……ツッキー……」


 何度も何度も顔を拭っても、それを上回るほど涙が流れた。


 「ツッキー、ツッキー、つっきぃ……っ!」


 胸が痛くて、頭が痛くて、自分のことが嫌いになった。


 「うわああああああん……っ!」

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