Mix Tape vol.1 -竜巻太郎物語-

斎藤月鵬

第1話

今は存在しないが、

 北緯45度17分59秒、東経141度03分11秒に位置する「オクシモロ」(「尾久」と「志茂」を結ぶ街道として古くは用いられた。「尾久志茂路」と表記する。)に、かつて「ポンモシリ」と呼ばれる岩礁があった。

 岩礁阯は港となった。住人は港を「香深」(カフカ)と呼んでいる。

「香深」は、幾十年前に行われた曖昧な再開発を経て、〈現代社会〉の生きた化石として残存し、現在に至るまでハートランドフェリーという名の旅客船に「鴛泊」(オシドマリ)と「沓形」(クツガタ)とを行き来させることで、この地を支える唯一の観光財源として、昔なつかしい素朴な味のするふりかけ程度の人口流通を日々生み出している。

 「香深」の人々は、

みな宮沢賢治のように物静かで、欲がなく、狂っていた。その気質を象徴するものに「モノノアワレ」が挙げられる。人々は――主に成人は「アワレ」(春には白蓮のような花を咲かせ、夏には人の拳の形に似た実をつける「コブシ」という木がある。「コブシ」の実は緑色から、秋には赤紫色に染まり、冬になると身が痩せ、大豆ほどの種子が黒く干からびた皮層から顔をのぞかせる。その種子を粉末状にしたものを「アワレ」という。)人々は「アワレ」をモモンガの皮でできた袋に入れて腰元に吊るし、耳脇に挟んでいる鉛筆を舐めて袋に差し込み、「アワレ」を付着させて首から提げる「モノ」に擦り付けながら思索に耽る。思索に耽る回数と年月によって「モノ」は次第に太さを増してゆく。「モノ」が大きければ大きいほど人々からの尊敬を集めるのだそうだ。(今の酋長の「モノ」の大きさは歴代数えてもなかなかの「モノ」であると高齢のモモンガ猟師が言う。)この風習が「モノノアワレ」である。

 その「香深」に竜巻太郎は生まれた。

 父に関する記憶は曖昧だが、父は毎日、早朝に起きて扉の鍵を開け、夜遅くに扉の鍵を閉めることを生業としていた。竜巻太郎は扉の内側から父以外の誰かが出てくる様子を見たことはなかった。外側から父以外の誰かが入っていく様子を見たこともなかった。だから、扉の先に誰がいるのか、何があるのかを竜巻太郎は知らなかった。幼い頃、一度父親に質問した気もするが、答えてもらった覚えはない。おそらくは、黙殺されたのだと思う。あるいは、父としても何があるのかを説明し得なかったのかもしれない。それとも、父にも分からないでいたのか。分かっていたとしても、言いたくなかったのか。

 母はいなかった。記憶にあるのは、父とは違う声で「たっちゃん」と呼ぶ声だけである。確率的にそれが母親であるはずだった。


 竜巻太郎はよく本を読んだ。

 大小無数の眼を有する10から25メートルほどの高さの広葉樹林が、中心街である「百頭」(モモガシラ)から川を渡り、「鵤木」(イカルギ)と「八椚」(ヤツクヌギ)を越えて上った「利保」(カカボ)周辺に広がる。最も特徴的なのは樹皮の白さで、本はその樹皮を用いて作られる。 無数の眼によって吸収された知識や経験や感覚が樹木に宿り、その樹皮を薄く剥いで束ねることで、その一本の樹でしか成りえない一つの本が成るのである。(※【参考】柄谷行人「遊動論ー柳田國男と山人ー」2014.01)人々はそう教えられそのように考えるが、何が本を成すのかや、その本がいつから、どのようにして、なぜ今ここに存するのかといったことには無頓着である。しかし、本から得る知覚には絶対的な信頼を寄せ、なぜだか誇らしげな様子も見せる。竜巻太郎はその人々の様子には疑問を抱きつつ、本から得られる情報に対してはやはり信頼を寄せていた。竜巻太郎は本を読んで知っていた。あの声は、母親ではない。


(続)

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