第3話 職場
「で、何でお前憑いて来てる訳?」
「まぁ誰にも見えない死人じゃ、仕事は当然買い物も全く出来ない上に家に居ても暇だし?じゃあ幽霊特権使って彼氏の職場見学してみようかなーって」
迷い無くいつもの出勤ルートを歩くすぐ後ろを恋人の幽霊が付いて来るなんてどんな状況だ。
清々しい程の快晴の空は青く澄んでいて朝から既に蒸し暑い。そんな中でも涼し気な声色でそう言ってのけた健斗に溜息を吐く。
「あのな……絶っっ対変な事すんなよ」
「はいはーい」
こうしている間も俺は確かに間違いなく健斗と話しているが、傍から見れば盛大に独り言を喋っている変人になりかねないと思い道端に居る学生を見てそっと口を閉じる。健斗も察したのか大人しく付いて来るだけで静かにしていた。
仕事は至って普通のウェブデザイナー、堅苦しい職場では無く私服通勤だし空調の効いたビルのオフィスで自分のデスクに向かいパソコンでクライアントから依頼された仕事を淡々と熟すだけだ。センスと知識を大きく問われる職業ではあるが割と気に入っている。
いつもより早く着いた職場のオフィスはまだ人がちらほらと居る程度で、流石に少し早過ぎたかと思いつつも鞄を置いてデスクの椅子に座る。ふう、と息を吐き出すと背中に一人分の体重が掛かる。前に腕を回され背後から抱き着かれたと分かるのにそう時間は掛からなかった。
「……おい」
「いつも通りで居ないと周りから不思議がられちゃうよー?」
「お前ぜってぇ楽しんでるだろ」
「さて、どうでしょう」
周りに聞こえない程度の小声で、不自然じゃない程度に背後の幽霊の額を小突いてやるとあははと軽い笑い声が耳元に届く。
誰一人として部外者がこんな所に居るなんて気付きもしないし見向きもしない。まぁ当たり前か、と少しだけ寂しい気持ちに浸りつつパソコンの電源スイッチを押してデスクトップを立ち上げ仕事の準備を進めた。
仕事の時だけ着けているブルーライトカットの眼鏡をして画面と向かい合うとほぼ同時に隣のデスクの同期、東堂のぞみが現れはぁーと盛大な溜息を吐きながら鞄をデスクの上に置き此方を見て「七森おはよ」といつも通りの挨拶をされる。
「おはよ東堂」
「昨日羽目外してちょっと飲み過ぎた……」
「ストレス?」
「帰りに彼氏が女と居るとこ見ちゃってサイッアクだったわ」
「そりゃそうもなるわな」
東堂は自分の長い黒髪をわしゃわしゃと搔き乱してまた盛大に溜息を吐いていた。しかし椅子に座ると少し二日酔いも覚めたのかそうだ、と此方を見て気まずそうに口を開く。
「そういえば七森……あんたの身近な人亡くなったって……聞いたけど」
「ああ、事実。交通事故で死んだ」
「あー……その、ゴメン……」
「何で俺より深刻そうな顔してんだよバーカ」
「だってさ……」
昨日は葬儀に出る為休暇を取っていた。理由は隠していなかったし東堂の耳にも入ったのだろう。余りにも沈んだ顔をする東堂に一呼吸置いてから彼女の額にデコピンをする真似をして見せた。
「そりゃショックだったし今でも信じらんねぇけどさ、お前が気にする事じゃないし」
「でも七森、酷い顔してるよ……?幽霊にでも取り憑かれたみたいな……」
「……それも事実って言ったら?」
「は?悪霊にでも憑かれたの?お祓い行きなってえ!?は!?何!?」
「おまっ……悪い、落ち着け東堂」
背後から離れフラフラと歩き出した健斗が何を思ったのかおもむろに東堂のデスクの上のスタンドカレンダーを指先で摘まみカタカタと揺らして見せる。慌てた東堂を宥めてすぐに辞める様にと手を離させた。
「……何……何これ、ほんとに?何で」
「混乱させて悪いな、でも本当」
「え、悪霊じゃないよね?それ大丈夫な奴?」
周りが一瞬ざわついたが特に気にもされずすぐ通常時に戻る。困惑する東堂に頷いて見せると露骨に心配を滲ませて肩を揺すられた。
「俺も分かんねぇ。けど、もしも恋人の幽霊ってなったら放って置けるか?」
「死んだ身近な人って……こんな事聞くのアレかもだけど……まさか恋人なの?」
「そ、恋人。俺を遺して死んだ大馬鹿」
気が済んだのか背後に戻って来て椅子の背凭れに手を掛けた健斗が俺の言葉に少し切な気に俯く。それを横目に見て一息吐くと東堂が周囲を見渡してから此方を改めて見る。
「……今、居るの?」
「俺の後ろに、な」
「その、悪霊とか言ってごめんなさい。七森にはいつもお世話になってます……?」
「律儀だな東堂」
背後と教えたその直後姿勢を正して東堂が軽く一礼し恐る恐る顔を上げた。心霊現象を目の当たりにしたとは言え東堂は根は本当に良い奴だ。後ろの健斗も何かを考える素振りを見せた後俺の肩を一度ポンと叩く。
「包、驚かせてすみませんって伝えて?」
「ああ……東堂、こいつが驚かせてすみませんってさ」
「いえいえ……てか七森、霊と対話出来るの普通にやばくない?」
「やっぱ変だよな……いや分かってはいたっつーか」
元々は霊感なんて何一つ無く、夏場のテレビ番組で良く放映される心霊映像も大して信じていなかったというのにいざ取り憑かれてみるとその自分の中の常識は全て一瞬で書き替えられた。
幽霊は確かに存在するし、見えて、触れて、喋る事も出来る。限られたごく一部の人間だけなのか、それとも取り憑かれた事による拍子になのかは分からない。それでも健斗は確実にそこに居るのだと思えたし信じたかった。
「でもちゃんとご飯食べてお風呂入って充分寝なよ?顔色悪いのは事実だから」
「おー、そうするわ。サンキュ」
その遣り取りの後、それ以上東堂は深入りして来なかった。健斗の事で騒がれず済んだのも有難かったし彼女なりの気遣いなのだろう。溜息を吐いてデスクのパソコンに向かい、目の前の企業用ウェブサイトのデザインに打ち込んでいると不意に健斗がまた背後から抱き着いて擦り寄って来る。仕事の邪魔だと追い払いたい所ではあるが満更じゃない自分も何処かに居た。
「包の眼鏡姿、初めて見た」
此処で喋っては不審に思われると思い手元のブロックメモにボールペンを走らせ一枚捲り取り『仕事中だけ』と書いて自然を装って後ろに見せる。するとブルーライトカット眼鏡のフレームのサイドをつう、と健斗の指先が撫でた。
「眼鏡の包、すっごいえろい」
耳元に唇を寄せて吐息と共に吹き込まれて思わずゾクりと粟立った。すぐにまたブロックメモへ『セクハラ禁止』とペン先を走らせて捲るとそれを見せ付けて仕事に集中する。その後も「これ位なら良い?」とマウスを操作する手を重ねられたりと堪らなかったので明日からは職場は出禁にしようと心に決めた。
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