それは呪いか祝福か

川瀬川獺

第1話 呪い

 まだ真夏の酷く蒸し暑い日、俺の彼氏は死んだ。

 交通事故でほぼ即死、外傷は酷いものだったが幸い身体は繋がっていてまだ見られる遺体だった。

 彼氏――幼馴染だった雨宮健斗(あまみやけんと)の家族、雨宮家には俺達が付き合っていた事は知られていたしその事を受け入れられていた為ごく身内のみの家族葬にも呼んで貰えた。もう何も言ってくれない冷たい遺体に向き合って、どうして、何でこいつが……とそう泣きじゃくって真実を受け入れるのには時間がかかったし今でも正直信じたくは無い。

 幼稚園からの幼馴染で家も近所、小学校も中学校も高校さえも一緒。大人になった今でも家族同士も仲が良い。

 付き合い始めたのは高校生最後の冬だった。健斗と二人きりで公園のベンチに座り、自販機で買ったホットの缶に入ったコーンポタージュを回し飲みしていた時に急に告白され、それを切欠に自分も健斗が好きだという事に気付かされたのだ。

 その時に飲んでいたコーンポタージュの味は今でも鮮明に覚えている。初めてのキスもその味だったから。

 独りになったその日の夜。またあの公園の自販機で、夏場の為今度は冷たいコーンポタージュを買った。あの時のベンチに座ってキャップを外し静かに啜るとひんやりとして甘くて、濃厚な味が口の中に広がった。

 七森包(ななもりくるむ)、それが俺の名前。またあの優しい低めの声で「包!」と名前を呼ばれた気がして顔を上げるがそこには当然誰も居なかった。じりじりとした蒸し暑さも夜になって少しだけ落ち着いたとはいえやはり暑い。

 本格的に汗をかく前に家に帰ろうとコーンポタージュを一気に飲み干して立ち上がり、ゴミ箱に空き缶を放りカランという音を響かせながら帰路を辿る。二人で暮らしていたマンションも今日から一人になるのかと思うとより寂しさが込み上げた。

 足取りが重い。現実を見たくない。健斗が居ない日常なんて考えたく無い。あいつが何をしたって言うんだ。あいつは馬鹿が付く程真面目で、まっすぐで、言わなくても分かる位俺の事が大好きで……本当に心から愛していた。

 朝は癖っ毛の黒髪に対していつもヘアアイロンとヘアワックスで格闘して、綺麗に整え終わったら見て見てとまるで犬の様に駆け寄って来るし料理も上手くてあいつの作る夕飯のハンバーグはどの店よりも美味い。180センチ丁度ある俺とほぼ同じ位の身長で、大きな目はいつだって俺だけを見ていた。そこまで考えてああ、どうして思い出してしまうんだろう。もう居ないというのにと思い知らされる。いつも当たり前に隣にあった温もりはもう何処にも無い。

 葬儀の時、小さなセレモニーホールで泣きじゃくる俺に健斗の両親は肩を摩って優しく接してくれた。皆が皆、それぞれに涙を流していたのを覚えている。その位、本当に……良い奴だったんだ。

 火葬場で焼かれ、骨だけになった健斗だったものを見てもあいつが死んだという現実はやはり受け入れられなかった。これは何かの悪い夢で、目が覚めたら隣で「おはよう、包」と大きな手で髪を撫でて笑い掛けてくれるんじゃないかと思いたかった。

 夢ならば痛くない筈、そう考えて両手で自分の頬を叩くが無情にも微かな痛みが走る。夢なんかじゃないと現実を叩き付けられている様で最悪だ。

 歩きながらそんな事をしている内に住んでいるマンションの前まで来てしまい、渋々ポケットから鍵を取り出し自動ドアを潜ってマンションの中に入り迷う事無く自分の家に辿り着く。マンションの廊下の電灯が瞬く様に点滅し、何か違和感を感じた。

 そうは言ってももう疲れたし廊下の電気が切れそうだという報告は管理人に明日電話すれば良いだろう。そう思って扉の鍵穴に鍵をさし込み捻ればガチャ、とロックが外れる音がする。扉を開けて中に入れば当然家の中は真っ暗で、伺い見れるベランダからは月明りがリビングに注いでいた。

「……ただいま」

 もう誰も居ないというのに、習慣というのは嫌な物でこうして帰宅の合図を呟いてしまう。手探りで電気のスイッチを入れるとパッと部屋に明かりが灯る。扉に鍵を掛けて靴を脱ぎ、片手でネクタイを緩めて我が家に上がった。

「おかえり、包」

「……は?」

 変わらず重い足取りでリビングに入り電気のスイッチを入れると背後から何者かに抱き締められた。でもそれに温もりは無く冷たい。恐る恐る振り返ると、そこに居たのは肩に顎を乗せて甘える様に擦り寄って来る健斗で思考が停止する。何が起きているのか分からない。

「俺、やっぱ死んだんだよね?」

「……何で居るんだよ」

 ぽた、ぽたと雨が降る。否、部屋の中で雨なんか降る訳がない。それが自分の涙だと気付くのは容易だった。

「人ってさ、未練があると魂が残っちゃうって言うじゃん?俺、包を置いて逝けなかったんだと思うんだよね」

「てか、何勝手に死んでんだよ!馬鹿野郎!」

 一度流れ出した涙はもう自分では止められなかった。確かに抱き締められていると感覚では分かるのに、やはり温度はとても冷たい。その温度一つで、こいつは生きているものでは無いと分からされるのが辛かった。

「ごめんね、包。ごめん……」

 温度こそ感じられなくてもその優しさはやはりこいつを健斗だと思わせてくれる。無理やり身体を反転させて健斗の唇にキスをした。こいつが今幽霊なのかそれとも何かの化け物なのかは分からないが、確かにそこに居て触れられる。この際もう何だって良い、一分でも一秒でも永く傍に居られるならそれで良かった。

「どこもかしこも冷てぇんだよ馬鹿」

「ごめん……俺、死んじゃってるし……」

 温度の無い唇から離れ、視線が絡み合う。ああ、やっぱり健斗だ。見間違える筈が無い。また一筋涙が頬を伝って落ちていく。

「なら俺、お前に取り憑かれたって事?」

「悪霊みたいに言わないで欲しいけど、でも実際そうなのかも?」

「なら俺が死ぬまで取り憑いてろ、先に成仏しやがったらマジで許さねぇから」

「けど良いのかな……俺多分幽霊でしょ?やっぱりこんなの変だよね」

 健斗が渋い顔をして自分の身体を触ってうーんと唸りながら現状を確かめている。確かに普通の幽霊が触れるなんて聞いた事が無い。幽霊と言えば脚が透けてるとか白い服で佇んでるとか人を呪うとかそういうイメージだ。しかし健斗はいつも通りの小洒落た水色のシャツにジーンズで別に白い服を着ている訳でも無ければ透けてもおらず何より手を伸ばせば触る事が出来る。やはり温度は無いが。

 触れると冷たい健斗の頬を撫でて、もう片方の手の甲で涙を拭う。例え他人からすれば可笑しな関係だろうと構わない。例えこれが一種の呪いだとしたらそれも上等だ、受けて立つ。

「幽霊なら幽霊らしく俺を呪えば良いだろ。死ぬまで絶対に離さないって」

「包らしいね。じゃあ包が死んでも愛して続けてやるって呪いをかけてあげる」

 また温度の無い腕に抱き締められる。それは冷たい筈なのにどうしようもなく心を暖かくした。もう一度啄む様に唇を重ね、そしてそれを何度も繰り返す。

 果たして、それは呪いか祝福か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それは呪いか祝福か 川瀬川獺 @kawasekawauso

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ