【井上成美】フィリピンを攻略せよ②

 井上が大和、武蔵を引き連れてダバオの沖合に到着すると大歓迎された。アメリカ海軍の艦隊によって。井上が双眼鏡で確認した限りでは、戦艦や空母の類は見当たらない。さすがに昨日今日では十分な準備ができるはずもない。



 井上の予想内ではあったが、すぐに敵艦に打撃を与えなくては、この後に到着する零戦たちは対空砲火で撃墜される。井上に残されたタイムリミットは残り二時間。



「やはり、昨日の濃霧が敵に時間を与えてしまったか……」



 こればかりは仕方がないとはいえ、井上は天を恨んだ。こうなった以上は、大和、武蔵の主砲で蹴散らすしかない。しかし、相手は軽巡洋艦を主軸にしている。機動力はアメリカ海軍の方が上で、主砲を当てるのに苦労するのは目に見えている。



 井上はどのような作戦をとるべきか、冷静に状況を把握する。大和ら戦艦は主砲の射程距離が長い。先制攻撃をすれば、少なからず打撃を与えられるはずだ。そう判断した井上は号令をかける。



「主砲による砲撃を用意! 圧倒的火力をもって敵を撃滅する」



「おい、準備を始めろ!」「敵に大日本帝国の力を見せつけるぞ!」「大和の主砲で蹴散らしてやれ!」



 部下たちの士気は高まったが、井上には一抹の不安が残っていた。敵艦隊の足が想像より速ければ、この作戦は失敗する。



 井上が見守る中、主砲から弾が発射されると、遠方の敵艦隊に直撃し、煙が立ち上る。



「このまま距離を保ちつつ、砲撃を続けろ!」



 しかし、敵もさるもの、井上たちの意図を察すると散開して的を絞らせない。



「くそ、砲撃が当たらないぞ」「ちょこまかと動きやがって! 正々堂々と勝負しろ!」



 井上は表面上は強気に振舞っているが、内心では焦っていた。零戦が到着するまで、残り一時間。タイムリミットがすぐそこまで迫っている。このままでは、らちが開かない。そう考えた井上は「後退用意!」と指示を飛ばす。



「後退!? まだ、大和で攻撃すべきです!」「敵に舐められちまう」



 当然、部下たちは井上の判断に異を唱える。井上にも、彼らの反発は予想できていた。それでも、後退するのが一番良い選択だと信じていた。これが井上の考えていた秘策だった。



「どんな理由があろうとも後退だ! ただ、敵艦との距離は維持しろ!」



 部下たちは「そこまで、おっしゃるのなら……」と渋々後退の作業に入る。



「ただの後退じゃないからな……」井上は誰にも聞こえないくらいの声でそう言った。





「後退開始しました」「敵艦もピッタリとついてきています」

 


 これは井上が望んでいた展開だった。敵艦はこちらが後退したのを見て、追撃をしようと考えているに違いない。



「後退中止! 反転し、攻撃範囲に入った敵艦に向かって全力で砲撃せよ!」



 そう、井上の作戦は二段構えだった。先制攻撃による正面突破と後退してからの一転攻勢。指揮官たる者、常に最悪の状況を想定して、対応策を考えなくてはならない。それができるのが井上いのうえ成美しげよしだった。



 井上の作戦に引っかかった敵艦は次々と被弾し、煙を上げて沈んでいく。その光景に井上は爽快感を感じた。一時的に不利であっても、諦めなければ道は開ける。部下たちも気を良くしたのか「大日本帝国を舐めるからだ!」だの叫んでいる。彼らには井上の苦労が分からないに違いない。しかし、それでいいのだ。胃が痛いのは井上一人で十分だ。



「敵艦が戦闘不能になり次第、零戦が爆撃を開始する。みんな、よく耐えた!」



 井上の労いの言葉によって、部下たちの士気は最高潮に達した。いよいよフィリピンの飛行場確保に向けて爆撃の時間だ。井上が青空を見上げると、零戦が編隊を組みながら飛んでいく。それは、まるで神武天皇を大和まで案内した導きの神八咫烏やたがらすのようだった。きっと零戦は導いてくれるに違いない。フィリピンの攻略と、その先の作戦の成功へと。

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