天文台の星空喫茶

三河すて

天の川のオレグラッセ

 届け先の住所は山を二つ越えた先。ひとっ飛び、というには遠いけれど、これを終わらせたら直帰できるからありがたい。しかも、報酬はそれなりときた。

 時刻は日付を越えるあたり。目的地につく頃には夜がもっと深まるだろう。

 こんな真夜中に受け取るとなれば、だいたい夜行性の種族だ。

 ここは飛行宅配便、真夜中部隊の配達所。私は近場で数件終えて、本日の締めくくり、長距離配達に駆り出された。

 初めての長距離配達への緊張も解けないまま、どんどん準備は進む。山の上だから防寒対策もしっかりと。

「荷物と飲み物、一応携帯食も持って行きな」

「ありがとうございます。じゃ、行ってきます」

「そうそう、向こうさんにこれ、差し入れしてやってよ」

 産休から戻ったばかりのオヒキさんが、荷物とは別の小包を手渡してきた。包み紙の奥から、こんがりした甘い匂いが漂ってくる。

 片手に収まるくらいの大きさで、可愛らしい紙に包んである。

 重さも考えると、オヒキさんお手製のクッキーだ。

 オヒキさんはお菓子作りが得意で、何度かお裾分けをもらったがどれも美味しかった。そんなオヒキさんのクッキーを食べられる相手が、お客さんなのに羨ましい。

「常連さんでさ、前は私がよく届けてたんだ。面白い学者の先生なんだよ。産休明けでも元気ですって伝えといて」

「わかりました、お伝えしますっ」

「はい、行っといで」

 勢いよく羽を広げて、風を掴む。澄んだ空気がくちばしにひんやり気持ちいい。いい流れを見つけたら、数回羽ばたいてテイクオフ。

 街の灯もかなり少なくなってきた。私の目にはそんなことは無関係。地図の通りにすいすい進む。風を切っていたら、緊張も少しずつほぐれてきた。

 誰もいない一つめの山を越えたら、そこから先は初めて向かう配達区域。

 ぱあっと景色が広がって、満天の星空の中に飛び出る。

「よし、いっちょやりますか」

 若葉マークがやっと取れたばかりの私に任された大仕事。嬉しくなって、ほう、と鳴いた。眼下の森からこだまする私の鳴き声。

 はしゃいでうっかり荷物を落としかけたのは、オヒキさんには内緒にしておこう。


 生の人間を見たのは初めてだ。

 写真とかでは見たことがあるけど。

「サインを、お、お願いします」

「ああ、そうだ、ペンがどこかに……」

 人間はそう言って部屋の奧に向かってしまう。私のペンを、と言おうとする前に。

 玄関らしい玄関はなくて、入口と思われる扉から入ってしまった。貼り紙に【配達のかたはこちら】の矢印。それの通りに進んで、ぐるぐる螺旋階段を昇る。

 飛んだほうが速いけど、人間用だから幅が狭くて羽が広げられない。

 普段歩かないから疲れる。文句の一つでも言いたい気持ちを抑えて、やっと辿りついた先の扉を開けると、人間が一人だけ、部屋の中に立っていた。

「すまない、待たせてしまって」

「いえ、はい、だいじょぶ、です」

 ペンを持った人間は、受領書にサインをすらすら書いてこちらに渡す。

 そうだ、忘れかけてた。

「あの、以前こちらに配達をしていたオヒキさん、覚えてますか?」

「……ああ、コウモリの」

「そうです、コウモリの。これを差し入れにって」

 配達鞄の中にしまっておいた小包を差し出すと、人間はちょっと笑った。笑ったというか、顔が緩んだ感じ。

 口の周りにぽつぽつ毛が生えていて、頭の方はもさもさ。詳しくないけど、話し方とか声の感じからすると、ある程度年齢は上の男だろう。微笑むまではちょっと無愛想だった顔、人間としては整ってるのかな。造形の良し悪しはわからない。

「彼女、辞めたのかな?」

「いえいえ、産休で。最近復帰して、今は事務として元気にお仕事してます」

「それはいい、それはよかった」

 人間は何度かひとりごとを言いながら頷いて、小包をそっと受け取った。

 移動した空間に広がるクッキーの甘い香り。

 ぐう、と私のお腹が盛大に鳴って、人間は眉をしかめた。


 山頂にあるこの建物は人間にとっては寒いのか、彼は引きずりそうな丈のローブを羽織っている。厚手の生地でものがいいのが分かる。

 私達鳥獣系に比べると、彼らの手先は相当器用だ。もちろん私達だって文字を書いたり料理くらいはできるけど、人間はかなり細かいことまで出来る。

 角砂糖に硝子ペンで文字を書き始めた時は、人間の習性かと思った。

「人間なら誰でもできるわけじゃない」

「そうなんですね……」

 珍しくて、ついじろじろ見てしまう。人間は、教科書で見るよりも真面目そうな顔をしているし、想像よりも無口だ。

 これも個性なんだろうけど、初めて接触した人間なので違いはわからない。

 人間が住むにしては広すぎる部屋は、ドーム型の高い天井でさらに広く見える。真ん中には体の何倍もある大きな望遠鏡。外から見たとき、ドームが真ん中から割れているみたいでちょっとびっくりしたっけ。

 書類だの筆記用具だの計測器具みたいなものだの。ものは多いわりに片付いていて、几帳面な性格なのはなんとなく分かった。

 お腹が鳴って通されたのは、そんな部屋の片隅。しっかりした造りの椅子と机は、人間の休憩用なのか丁寧に使っている様子がみられる。

 レトロなキャビネットから出てくるお皿に、オヒキさんのクッキーが乗ってきた。帰りにどこかで食べようとしていた携帯食の乾パンも出してみたら喜ばれた。

 どうせならここで休憩して帰るように勧められて、お言葉に甘えさせてもらっている。

「さて、こんなものか。珈琲は好きかね?」

「飲めますけど、苦いのはちょっと……」

「なるほど」

 片手に持っていたカップを足つきグラスに持ち替えて、人間はとことこドームの真ん中へ。開いたドームから星空が覗く。

 気になるのでついていくと、面白いものでもないと返された。

 小皿に乗せた文字入り角砂糖をグラスに入れる。カランと軽くて涼やかな音。人間は、すっとグラスを空に向かって掲げた。角砂糖がころころ、グラスの中を回りだす。

 人間が動かしているようには見えないし、かといって角砂糖が自分で動くわけがない。書かれていた文字が浮き上がって、角砂糖から剥がれていった。

 じんわりと光りながら、文字はグラスから溢れて夜空に昇る。それをじっと見つめているだけの人間は、真剣そのもの。

 文字だったものは霧のように夜空に溶けて、ほのかな輝きを保ったまま空中でするするとまとまっていく。角砂糖もそれを追って、塊から砂状に、もっと細かい粒子に。さらさらと光に混じっていった。

 二つがしばらく空の中を漂ったら、今度はくるくると糸のように絡まって、グラスを目指して滑らかに走る。

 グラスの底に光の糸がたどり着いた瞬間、湧き出るように液体が満ちていく。真っ白でほんのり輝くものと、黒くてきらきら光るもの。二層になって、八分目になったあたりで光もちょうど収まった。

 グラスの脚を持った人間は軽く息をついて、私にそれを差し出した。

 なめらかな表面は、今の空を切り取ったようにきらめいている。とろっとした質感に、コーヒーの香ばしさとミルクのやさしい甘い香り。今まで見たことがない飲み物だけれど、とても美味しそう。

 それにしても、今のは一体、なに?

「オレグラッセはお嫌いかね?」

「えっ、へっ?」

「好みでなければ別のものを淹れるが……」

 ムッとしたのかしょんぼりしたのかよく分からないのは、人間だからというより表情が読み取りにくい個体だからかもしれない。

 好みかどうかは飲んで決めることにして、グラスを受け取った。


 ほろ苦いとしっかり甘いが一気に口の中に広がる。滑らかな感触が舌の上を通って、コーヒーの香ばしさが後を追う。

 ぐるぐる混ぜるのかと思ったら、そのままそっと飲むのを勧められた。二層を保ったまま飲むのは、人間の口の構造だと楽みたいだ。

 しっかり二層に分かれているのが不思議だけど、どうやらミルク側に秘密がありそう。ただのミルクよりかなり甘い。シロップか何かを混ぜたような甘さ。でも、しつこくなくてコーヒーの苦みにとても合う。

「この飲み物、初めてですけど携帯食とも相性いいです」

「ナッツが多いから合うと思ったのでね」

 携帯食はざくざくのナッツぎっしりなビスケット。甘さ控えめだから、オレグラッセという飲み物にもちょうどいい。

 作り方は不思議だけど、味は最高。とはいえ、人間の見た目とはあんまり合わない気もする。どちらかというと渋い顔だと思うので。

「さっきの角砂糖からこれが出来たのは人間の習性です? あの大きい望遠鏡との関係は?」

「人間の習性でもないし、あの技術と望遠鏡は関係ない」

「大きい望遠鏡で空を見るのも?」

「それは個人的な研究だ」

「ああ、オヒキさんが学者さんだって言ってました」

 会話は最小限ながら出来るし、ちょっと無愛想だけど悪い感じもない。でも、踏み込んであれこれ聞く雰囲気にはならない。

 謎の技術でオレグラッセを作るのは趣味で、望遠鏡で星を見るのは仕事。宛名のところには天文台としか書かれてなかったから、個体名も知らない。

 世界的にみれば人間も数は少ないとはいえあちこちでコロニーを作ってるし、教科書に旧世代から生存してると書かれているから概要くらいは分かっている。ただ、山が多くて高低差のきっぱりしたこのあたりには、人間には厳しい環境らしくまったく住み着いてない。もっぱら寒冷地に適応した種族で構成されている。

 人間の個体に関しては、全然分からないことだらけだ。

「えーと、あの、人間……の、先生」

「なんだい」

「ごちそうさまでした。お邪魔しちゃってすみません」

「別にいい。こちらもいい気分転換になった」

 オヒキさんのクッキー、半分以上私が食べちゃったから悪い気がしている。そんなに量があったわけじゃないから余計に。美味しくてつい手が止まらなくなって、人間の先生が勧めてきたのもあって。

 それにしても、人間も私達と同じ味覚を持っているし、趣味嗜好はそこまで変わらないらしい。

 ふう、と彼はため息をついてまた角砂糖に文字を書きだした。今度はさっきとは違う色のインク。濃紺のインクもきれいだったけど、透き通るような青も素敵だ。

「実のところ、アレを作ったのは久しぶりでね。旨くなかったらどうしようと内心ひやひやしていた」

「すごく美味しかったです、初めて飲みましたけど」

「では、コウモリの彼女にお礼を渡しておいてくれ。久しぶりついでだ」

 多分、今のは笑った。

 彼は薄紙の上に角砂糖を並べて、星空に掲げる。ほんのりと輝く角砂糖はほろほろ解けて浮かんでいった。溶けそうなほど澄んだ空に、小さな星が瞬いている。

 その光を吸い込むように、砂糖の粒が宙を踊った。


 真夜中部隊の事務室で、オヒキさんは歌いながらくるくる回っている。

 あの人間の作ったものが相当お気に召したらしい。他のみんなも知っているのか、渡した包み紙の中を覗き込んでいた。

「天文台の先生は人間だから、味つけが繊細で旨いんだよ」

「オヒキさん、前からおやつの交換してたもんなぁ」

「それにしたって不思議だったんですよ、角砂糖をぴかぴか、ふわふわぁっと……」

 超ハイトーンのオヒキさんの歌声は、弾みながら事務室に響き渡る。

 包み紙の中には、輝く星みたいなこんぺいとう。内側からじんわり光るような淡い青が爽やか粒たち。ほろほろ口の中で溶けて、さらりとした舌触り。じゅわっと甘さが弾けて、溶けても幸せな味が残っている。

 原理はまったく分からないけれど、人間の中には魔法が使える個体がいる。知識としては頭にあった。多分あの人間の先生はそれなんだろう。

 世界の反対側には人間がたくさんいて、魔法で出来た国がいくつもあるらしい。もしかしたらそっちから来たのかもしれない。

「最近、真夜中便じゃなくて明け方便が多かったんだよ。だからオヒキさんもちょっと心配してたみたいだけど、心配なさそうだな」

 私と同じフクロウのキンメ先輩がご機嫌のオヒキさんを見ながら笑う。他の先輩たちも一粒だけお裾分けしてもらったこんぺいとうを堪能して、各自の配達準備を始めた。

 あの配達以来、オレグラッセが忘れられなくて夢にまで見ている。

 星の浮かんだきらきらの表面。こっくり甘いミルクに、じんわり苦い濃縮コーヒーが混じり合う。なめらかな舌触り。二層になったまま飲むからこその味わい。

「シロちゃん、遅れるよ」

「はーい」

 うっとりしている場合じゃなかった。ミミズクのミナミさんに呼ばれて現実に引き戻される。

 真夜中便は今夜もひっそり空を行く。

「白くて丸くてシュッとしているから……フクロウか、君は」

「そうです。シロといいます」

「おお、それは分かりやすい。シロくん、か」

 うんうん、と頷いて先生はオレグラッセを一口。おかわりください、と言い出せなかったのがセットになって思い出される。

 他にはどんなものが作れるんだろう。

「またお届けもの、来ないかなぁ」

 ちょっと冷たい風に乗って、羽毛の隙間がひゅっと鳴る。

 ふと見上げた夜空があの表面にそっくりで、また思い出したらお腹も鳴った。

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