ミズキ

香夢

初めに

 「っうぁあああ!」

悲鳴をあげながらガバっと起き上がる。何か、恐ろしい夢を見ていたような気がするが、なぜか何も覚えていない。息は荒くなったままで、中々収まらず、心臓が全身を使って脈打っていて気味が悪かった。

「大丈夫ですか、?!」

誰かが駆け寄ってきて僕の背中をさする。胸のあたりにあった黒いモヤのようなものがずずずっと自分の中に帰っていくような、そんな錯覚だった。次第に呼吸が整ってきて、周りを見渡す余裕ができた。壁も机も、何もかもが白く染まっていて人間味がない部屋だった。僕は、白いベッドの上にいて、何故か腕には得体の知れない管が巻き付いていた。

「びょう、しつ、?」

声がひどくかすれていて、ほとんど音にならない。

「いいえ、ここはあなたの部屋ですよ。」

それは、優しい優しい声だった。その人はまだ僕の背中をさすってくれていた。

「こんなに白い部屋なのに?」

「あなたは白が好きですから。」

僕の問いにそっと答える。

「この管はなんなんだ。点滴じゃないの?」

「管…?そんなものありませんよ。ほら、腕をよく見てごらんなさい。」

言われてはっとした。本当に管など巻き付いていなかったからだ。

「それより、まだ私の目を見てくれないんですね。」

寂しげな声に、反射的に目線を上げた。視界がぼやけてよくわからないが、女性のようだった。

「私が誰だかわかりますか?」

そう聞かれてもう一度よく見るが、やはりわからなかった。

「わ、わかりません。」

「では、自分のことは?」

女性は間髪入れずに聞いてくる。自分は誰なんだろうか。少しの間考えてみても、答えは出なかった。

「僕、はだれなんでしょうか、?」

僕の返答に、その女性は少しため息をついた。そして、ベッド横の机から何かを持ってきて僕の顔にかけさせた。眼鏡だった。

「よく見えるようになったでしょう?あなたは目が悪いはずだから。」

確かに、先ほどに比べて何もかもがくっきりと見えるようになっている。彼女の顔も、今度はちゃんと捉えることが出来た。年齢はよくわからなかったが、とてもきれいな人で栗色の目をしていた。しばらくの間、僕は彼女に見とれてしまっていた。

 突然、彼女が口を開いた。

「あの、驚かないでくださいね。」

それはあまりにも脈絡がない言葉だった。身構える間もなく彼女は次の言葉を口にする。

「実は、あなたは一日ごとに記憶を失う病気なんです。信じられないと思いますが、それは無理ないことですから、受け入れるのはあなたのペースで構いません。」

彼女は机の引き出しから一冊の本を取り出した。とても分厚い本だった。

「これは、あなたの日記です。昨日までの出来事や、人間関係などの必要事項が書かれているはずです。まぁ、」

そこで彼女は少しため息をつく。

「昨日までのあなたが書いていれば、の話ですが。」

「どういうこと、?」

「それはその本を見れば分かると思いますよ。」

そう言って、彼女は僕の頭を撫でた。

「その本に何か書いてあっても、私のことは同居人くらいに思っていてくださいね。では、私はこの後用事がありますので、あなたは好きなように過ごしていてください。」

少し微笑むと彼女はこの白い部屋から出ていった。

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