キスしたあいつの武勇伝

海来 宙

episode 1 校内放送で読まれない

「うそつき。私が何を書いても私以外の人のを選んで放送してきたくせに、次は絶対読むって」

 五月も終わりが近い金曜日だった。私がホームルーム後に廊下で怒りをぶつけたのは、昼休みの校内放送を指揮する放送部部長にして同じ三年C組の西条さいじょうしょう。放送室に届いた生徒創作の小説から一日一作選ぶ権限を持つ彼は、毎回落選してきた私に「次は絶対読む」とうそをついた。ちなみに作品を決めるのは彼でも、実際にマイクの前で朗読するのは美人二年生の會川あいかわさんである。

「いやいや、さすがの俺でも河坂こうさかの才能までは否定しないよ。俺は期待してるんだって」

 西条くんは強気な顔で私、河坂美沙みさの瞳を見つめた。

「ふうん、じゃあ来週は今『さすがの俺』って言った原因、自分の恥ずかしい武勇伝でも放送したら? あっ、絶対読むんなら私が文章にしてきてあげよっか」

 つっけんどんに返す私はあっと思いつき、腕を組んでからかってみせる。とはいえ次は絶対読むだなんて信じてなかったから、その提案自体が冗談半分だった。彼の「恥ずかしい武勇伝」を書くのは――、

 面白いかもしれない。

 私が壁に寄りかかってにたあと笑うと、くたびれかけた学蘭姿の西条くんは顔に不満を浮かべて近づいてきた。

「あのな、俺は本当に河坂が書いてくれば流すつもりだぞ。ただ俺の武勇伝じゃなくて小説だけどな。ほら、うそなんか何もついてない」

 彼は私の怒りなど心外だとばかりに両手を広げ、とっさに横に逃げる私。彼の動きで変にどぎまぎさせられながら、「そんなの口だけだよ」と反論する。

「困った奴だなあ、河坂は。高三になってもまだお子ちゃまなんだから」

 西条くんは私を追いかけ、ばかにしたように口を突き出した。これはまるで最悪だったあのキスみたいだ、ふいに私は中学生の彼に強引に唇を奪われた放課後を思い出して胸が苦しくなる。

「…………」

 私たちは小学校から一緒だった。彼は私のこと、一度も好きになんかなってないくせにね。

「何だ、反論しないのか?」

 二人の間をぎすぎすした女子の一団が数秒さえぎり、彼は壁から離れられずに沈黙する私を穏やかに笑う。私は過去の彼の映像を振り払い、こぶしを握りしめて言ってやった。

「じゃあ西条くんの武勇伝を小説として書いてあげる。まさかこれまでに渡した小説を復活させて読んだりしないよね」

「な……っ」

 西条くんの「次は絶対読む」発言がうそでないとすると、次に私が提出するのが彼の武勇伝小説であれば、彼は恥ずかしくてもそれを放送せざるをえない。その意図を理解した彼は髪をかきむしり、「――ったく、最初は俺が河坂の小説を避けてるって話だったのに。何だよこの流れ」といじけてみせる。

 さらに私はこう言った。

「でも親切だと思わない? 私、こうして金曜日に前もって言ってあげてるんだもん」

「どこがだよ」

 怒る西条くんのゆがんだ眉を見て吹き出しそうになり、私は今度は近づいてにににと笑みを浮かべる。

「だって西条くん、私が持ってくるのは早くても月曜だから、土日の間にしっかり心の準備できるじゃん」

「はああ? ふんっ、俺のすばらしすぎる人生なんて、書くは書くで大仕事になる。三年C組の河坂美沙さん、無理して授業中居眠りしちゃいますよ? やめといたほうがいいですよねえ」

 はいはいはい、何言ってるんだか。彼は廊下の灰色の天井か窓の外、初夏の蒼空に不安げ得意げ半々の顔を向けた。

「私は小学生からずっと見てきたんだから大丈夫ですう、私のファーストキスを無理矢理奪ったことは書かないし。ねえ、こっち向いて」

 ぶっ、と今こらえた私とは反対に吹き出す西条くん、でも同時期のキスについて書かないのは私が恥ずかしいから。彼は私が伸ばした両手に捕まり、私の目を見て怒る。

「顔に触るなっ」

「あらお子ちゃまあぁ、何今さらびっくりしてんの?」

 本当は自分も緊張しながらふふふと笑う私に彼はうつむき、「次は絶対読む? 確かにそう言った。だから河坂もちゃんと、それにかなう立派な小説書いてこいよな」とぶつぶつぶんぶん低い〝蜂〟の鳴く声でつぶやいた。私は逃げるように階段に向かう彼を見送り、先ほどからのやり取りを振り返る。心のあいまいなため息。

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