イグチユウ

「オウル君、ちょっとこれを見て。」

 何事もなく平穏であったはずの学校での昼休み。

 いつものように自分の机で本を読んでいると、学校一のトラブルメーカーと名高い女子生徒、川野彩香が徒競走のような勢いで俺の所へ駆け寄ってきて一枚の紙を顔の前に突き出した。それは少し茶色を帯びてぼろぼろになっていたため一目では分かりづらかったが、どうやら手書きの地図らしい。だが何時代の誰々が書いたとかいう骨董的価値がありそうな物ではなく、ノートから切り離されたものであろう紙にボールペンで書かれているだけのたいした値打ちもない物だ。

 だが、それを俺に突き出している彩香の顔まるで新しいおもちゃを手にした子供のように輝いている。俺の経験上では、彩香がこういう顔をするときは面倒なことに巻き込まれる前触れなので無視を決め込むことにした。

「オウル君! 無視は禁止だよ!」

 こいつが俺を呼ぶときに使ったオウルという名前はあだ名であって当然のごとく本名ではない。本名は坂井梟助。「梟」を訓読みにすると「ふくろう」なので、それを英語にかえて「OWL(オウル)」と呼ばれているのだ。本音を言ってしまえばそのネーミングセンスの良さは疑わしく、個人的にもあまり気に入ってはいない。

 俺はしばらく本に意識を集中させて彩香の声を耳に入れないようにしていたが、耳元で何度もしつこく大声を出されては本の内容が全く頭に入ってこない。俺はついに根負けし反応してやることにした。

「……何の用だ。」

 不機嫌さを隠さずにそう言ったが、彩香はそれに全く気づくことなく話し始めた。

「これ、何だと思う?」

「ただの紙切れだろ。」

 俺は本から目を上げずにわざとぶっきらぼうで素っ気ない答え方をした。すると彩香は心底呆れたとばかりに大きな溜息をつき、大げさに肩を落とした。芝居じみた仕草だが、こいつはこれで自然体なのだ。

「きっと徳川埋蔵金とかの宝の地図だよ。」

 彩香が自信満々にそう言い切って胸を張るが、もちろんそう言いきれる根拠など微塵にもなく、逆にそうでないという証拠ならいくらでもある。だいたい徳川埋蔵金の地図があるなんて、お前の家はどういう家系だという話だ。

「あいかわらず自分に都合のいい頭をしているな。」

「へへっ、ありがとう。」

 褒めたのではなく皮肉を口にしたというのに、幼児に対して言ったかのように全く通じなかった。

「というわけで、明日は宝探しに行ってみましょう。都合よく明日は土曜日で学校も休みだからね。これはきっと神のお導きに違いないね。」

 ――お前は神様なんて信じちゃいないだろうが。

心の中で一度そうつっこむと、断ろうと思いすぐさま本から顔を上げたが、彩香は先程と同じように風のごとく教室から去って行った。

 一人になった俺は、教室にいる他のクラスメートに気づかれないように小さく溜息をつく。

 あいつはいつもでもこうだ。勝手に何か面倒事を持ってきて、俺を巻き込んでいく。あいつのやることは理不尽な自然災害のように防ぎようがないのだ。

 とりあえず、あいつの心の中では俺の参加は決定事項となっているようなので、一応行ってやることにしよう。後で色々と文句を言われるのは面白くない。

 あいつがいなくなった教室で、俺は再び本に目を落とした。


 その日の放課後、帰りのホームルームが終わりいつものように帰路についていると、そこを見覚えのある一台の車が通っていった。ちょうどいいのか悪いのか、それは普段仕事で忙しくあまり家に帰らない父親の車だった。

 父親の方も俺に気付いたらしく、少し先の方で停車して窓を開いた。

「久しぶりだな、梟助。」

 そういう父親の声は以前に聞いた声と比べて弱々しくなっていた。連日仕事尽くしで、肉体的にも精神的にも疲れているのだろう。

「あぁ、久しぶり。」

「ところで勉強はしっかりしているのだろうな?」

「あぁ。ちゃんとやっているよ。順位も学年一位のままだよ。」 

「そうか、だったらいい。」

 父親はまだ仕事があるらしく、車の窓を閉めると再びアクセルを踏んだ。

 車はすぐに走り去って行き車から吐き出されたガスの臭いだけが残った。父親の乗った車は既に遠くへ行ってしまい、ここからでは小さな点にしか見えなくなってしまっていた。

 俺の父親は日本中を飛び回っているかなり腕利きの商社マンで、俺が小さい頃からほとんど家にいない。そのせいで俺は父親と遊んだ記憶など全然なく、物心つく前は父親の顔を見るたびに知らない人だと思って泣いていたというエピソードもあるくらいだ。

 しかもかなり厳格な父親なので、笑顔を見せることすら少ない。その性格のせいか、オウムが同じ言葉を繰り返すように俺の顔を見るたび勉強の話ばかりをする。勉強が大事なのは重々承知しているし、俺も将来のためを思ってやっているが、その話ばかりされるというのはあまり気分のいいものではない。

 正直な話あまり父親が好きではないのだ。別段嫌いというわけでもないが好きではないということだけははっきりしている。俺は父親の車が走り去っていった方に目を向けながら溜息をついた。

 ……特に不幸というわけでもないのに今日は溜息ばかりだ。

 溜息をつくと幸せが逃げるとかいう話を聞いたことがあるが、それが本当なら今日は幸せが逃げてばかりだ。そんなことを頭の隅で思いながら、俺は家に向かって足を進めた。


 家に帰ると母親がソファーの上に寝転がっていた。口からはスピーカーを通したように大きないびきが吐き出されている。顔はとても幸せそうに緩んでいるので何かいい夢でも見ているのだろう。一見駄目な母親のように見えるが、これでも毎日家事はしっかりしている。

「かぁさん起きてくれ。帰ってきたよ。」

 まずは小さく揺すってみる。しかし起きない。次は耳元で大きな声を出してみた。だが、やはり起きない。そうこう格闘するほど五分。やっと母親は目を覚ました。しかし目が空ろでとても眠そうだ。

「かぁさん、ただいま。」

「……お帰りなさい。」

 それだけ言うとまた夢の世界へ戻ろうとしたがすかさずそれを阻止する。すると流石に抵抗をあきらめたようで、目をこすりながらも台所へ移動した。

 この母親は、だいたいのことはちゃんとやるがもともと怠け者で、俺が帰ってくる時間帯は大抵先程のようにソファーで寝ている。厳格で仕事人間な父親とは真逆な性格だ。

「かぁさん。」

 台所で眠そうに夕飯の準備をする母親に声をかけた。

「かぁさんは父さんのどこが好きで結婚したんだ。」

「そうねー。まぁいろいろと話が合ったからかな。」

「話しが合ったっていうと、鳥の話か」

 この母親、実は鳥にはかなり詳しい。部屋の本棚がほとんど鳥に関係した本でしめられており、一日暇な時にはバードウォッチングに出かけたりするほどだ。

「想像できないな。あの父さんがそんな話しをするなんて」

「まぁ多分合わせてくれていたんだろうけどね。」

 そういいながら昔を思い出したのか、母親はクスリと笑った。いったい昔の父親と母どんな子供でどんなことをしていたのか全く想像がつかないが、その笑顔を見ると幸せだったんだろうなということくらいは理解できた。

「最初にもらったプレゼントは梟のぬいぐるみだったわね。それがあったからあなたの名前に梟の文字を入れたのよ。といってもお父さんは過去のことには興味がなくてあまり覚えていないから賢くなるようにと思ってつけたんだろうけどね。梟っていえば賢いイメージのある鳥だから」

「そのぬいぐるみはどうしたんだ。」

「埋めたわ」

 いきなりとんでもないことを言い出した。人形はふつう埋めないだろう。

「埋めたっていってもタイムカプセルよ。友達と一緒にやったの。この町の山にある神社のところに埋めたんだけどそれっきり掘り出してないわ。ちゃんといつ掘り出そうとか決めてなかったから。」

 そんな話をしたからか、母親は食事中昔の思い出話を俺に

聞かせてくれたた。


 次の日、俺は朝から出かけた。事の経緯はこうだ。

まだ朝食を食べたばかりという時間、家にいた俺へ彩香から電話がかかってきて、俺が電話にでると「学校の前に集合今すぐに。」と、早送りしているかのような言葉が早口で聞こえてきて、すぐに電話は切れた。

 一瞬、無視してやろうかという考えが頭に浮かんだが、とりあえず行ってやることにして自転車をとばした。それで現在俺は出かけていて、学校の校門前にいる。

「さぁ行こうか、オウル君。今日から私たちもお金持ちの仲間入りだよ。私、ダイヤモンドとかが欲しいな」

 ……そういうのを捕らぬ狸の皮算用と言うのだがな、と心の中で呟いた。

それと気づいているかは知らないが、古いとはいえ明らか

にノートとかそういう類の紙だったし、どう見てもボールペンで書かれていた。埋蔵金の可能性は万に一つもないだろう。

「それじゃあ山に行くよ。」

 そう言って彩香が足を進めようとしたので俺は一度彩香の腕をつかんで止めた。

「どうしたの。」

「山というと、この町のだよな。」

「そうそう。地図によると山の中の神社に宝はあるみたいだね。」

 そう言われて思い出したのは、昨日の母親の話だった。確か母親が小さい頃に埋めたというタイムカプセルも山の中の神社にあると言っていた。それに以前聞いた話だと彩香の母親とは幼馴染みらしい。もしかするとこの地図は母親が埋めたタイムカプセルの場所が書かれている地図ではないだろうか?

 そう思った途端に不思議とやる気が沸いてきて、急にせかすような口調で彩香にこう言っていた。

「彩香、早く行こう。」

「どうしたの。いきなりやる気になって。」

 彩香は俺のやる気が急変したのを不思議に思っていたが、やる気になってくれたのなら都合がいいと特に追求はしてこなかった。

 俺は自転車に乗ると、彩香と一緒に山へと向かっていった。顔に向かってかかってくる風がうっとうしかったが気にせずに立ちこぎで力一杯ペダルをこいだ。

 何故俺がやる気になったのか。それはおそらく昔の父親がどういう子供だったのかを知りたいと思ったからだ。

 父親と長話などしたことがない俺は父親の表面部分――厳格で仕事人間な部分しか知らない。だから子供だった頃の父親を知ることで父親の内面部分――心中で何を考えているかを知ることが出来るのではなかろうかという考えがあったんだろう。

 俺は山に到着すると、彩香と一緒に神社へ向かって山道を登っている。季節はちょうど梅雨で空気はじめじめしており、気温も高いので蒸し暑い。俺は唇を結び我慢して足を進めているが、誘ってきた側であるはずの彩香が辛抱弱く、既にへばってしまっている。しかし体はへばっていても口はせわしなく動いているので鬱陶しい。

「暑いよ~。さすがは温暖化が進んでいる時代だよ。まぁでもお宝ゲットのためにはがまんしないと。」

 宝なんてないぞと教えてやりたいが、帰るとか言い出されると困るので口を結んだ。

「梟助。おぶって~。」

 聞こえてはいるが、無駄にやる気が削がれてしまうので聞こえていないふりをして黙々と進んでいく。

「着いた、ここだ。」

 目の前に少し色の剥げた赤い鳥居が現れた。神社は古ぼけており、周りに生えた草は地面を包み隠すように無秩序に伸びており、それはまるで長い間誰も足を踏み入れていないかのようだ。

「で、どこにあるんだ」

 俺が聞くと、彩香はポケットの中からあの地図を取り出した。

「これによると神社の後ろにあるみたいだね。それじゃあ早速埋蔵金を掘り起こすとしようか。」

 彩香が掘り出すために持ってきたのは芋掘りなどに使う小さなスコップだった。これで埋蔵金を掘り出そうというのだから、やはりどうにかしている。だが実際に埋まっているのは埋蔵金ではないので問題ない。

「オウル君。ボーッとしてないで早く掘ろうよ。」

 彩香に呼ばれ、俺も作業を始めた。

 すぐに終わると思っていたが、意外と作業は困難だった。

まず長く育ちすぎた草が多いせいで掘るだけでも大変でかなり骨が折れる。その上地図がかなり大雑把に描かれているので、それなりに広い範囲を掘らなくてはならなかった。

 細々とした作業は精神的にも堪え、苛立ちが募ってくる。それでも作業をやめなかったのは、ひとえに昔の父親のことを知りたいという好奇心がそれらよりも勝ったからだろう。なんだかんだ思いつつも、父親のことが気になって仕方ないのだ。

 普段は会うことが出来ず、会ったとしてもまともに話すことも出来なかった。

 しかし偶然にも父親のことを知る機会が現れた。だからこれを機に父親との関係を変えていこう。もっと父親のことを理解していきたい。作業を行いながら、頭の中にそういう思いが浮かんでいた。

「きついよ~。もう嫌だ~。」

「ここまでやったんだ。今更やめられないだろう。」

彩香をそう励ましながらも、俺自身もかなり疲れていた。

一度汗をぬぐい、手に持ったシャベルを地面に向かって振り下ろす。すると今までとは違う、何か堅いものにぶつかった手応えがシャベルを通して伝わってきた。

――よし、きた。

俺は心の中でガッツポーズを作った。

ついに見つかったという嬉しさのせいか、シャベルを持つ手が今までよりも快調に動いているような気がした。手を動かしていくにつれて徐々に埋まっている物の姿があらわになってくる。それは直径五十センチほどの球体で、土がこびりついてくすんだ赤色をしていた。

「……見つかった。」

「本当!」

 俺がそう呟いたのが聞こえたらしく、餌を見せられた犬のように隣へやってきた。

「……なにこれ」

 彩香は俺が掘り出したそれを目にすると、訝しげに眉をひそめた。宝物だと思いこんでいるのでこれが地図に書かれていたものだとは信じられないらしい。

「これが探していたものだ。俺のかぁさんと父さん、そしてお前のかぁさんとその友人の人たちが埋めたタイムカプセル。その地図はこれのありかが書かれていたというわけだ。」

「がーん」

 彩香は漫画の擬音のようなことばを口から発して膝を折った。相当ショックだったらしく地面に体を倒して真っ白な灰になってしまっている。

 そんな彩香を尻目に、カプセルを開く。中にはおもちゃや手紙などが入っていたが、その中でも一際目立つものがあった。二十センチほどの大きさの人形で、市販のものではなく手作り。翼らしきものがあるのでかろうじて鳥だと分かるが、限りなく完成度の低い人形だった。

「まさか手作りだとは予想外だったな。・・・・・・けど、どう見ても梟には見えないよな。」

 おれは不格好なそのぬいぐるみを目の高さまで持ち上げ、自然と頬を緩ませていた。

 あの厳格な父親が一人で人形作りに集中している姿を想像していると自然とそうなってしまったのだ。厳しいだけのイメージしかなかった父親だったが、これを見ているとそれ以外の顔が感じられる。

「なにそれ?」

 ショックからやっと立ち直ったらしい彩香がひょっこりと俺の背中から顔を出した。基本興味心旺盛な奴なのですぐにタイムカプセルに興味を示し、中に入っているものに手を伸ばしていく。彩香はしばらく色々と手に取って眺めていたが、少しして底の方にあった一枚の写真を俺の目の前に差し出した。

「これ見てよ、オウル君。これって私のおかぁさんと、オウル君のお父さんとおかぁさんだよね。」

 その写真には俺や彩香と同い年ぐらいの五人の男女が写っていた。そのうち二人は誰だか分からないが真ん中に移っている三人は知っていた。それは彩香の母親と俺の両親だ。

 俺の母親と彩香の母親はくっついてじゃれあっておりどちらとも今と比べても少ししか変わらない。父親の姿は今とかなり違っていたが、一人だけビシッとして、今と同じような真面目な表情をしていたのですぐに分かった。だが――

「笑っている。」

 そう、笑っていたのだ。真面目な顔だがそれでも友人たちに囲まれた父の顔はぎこちなくだがかすかに笑っていた。


 ――その後、俺と彩香はカプセルを元の場所に埋めた。その作業はすぐに終わったので、俺と彩香はさよならを言ってそれぞれ家へと帰った。

 しかし俺は来た時と同じように手ぶらではない。自転車のかごの中には、あの不格好なぬいぐるみが入れられている。母親に見せたら一体どんな顔をするのかを考えるととても楽しみだ。

 それと、次に父親にあったら自分からもっと積極的に話しかけてみよう。そうすればほかにも色々と父親の顔がみられるかもしれない。

 俺はそう思いながら俺は自転車のペダルをこぐ。

 来た時より風が心地よく感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イグチユウ @iguchiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ