タイム・クロスオーバー

天貴 新斗

第1話 奪われた始まりの日1

「成功シた――」


 その瞬間、誰も何が起きたのか理解できなかった。

 ただその歓喜に溢れたひび割れた声だけが土煙で塞がれた視界の奥から響き渡っていた。

「な、なんだ……一体、なにが」

 痛む頭と歪む視界を押さえて、衝撃が残る身体をどうにか支えて顔を持ち上げるのが精一杯だった。

 確か、と彼が記憶を巡らせることが出来たのは痛みのお陰だったのかも知れない。

「そうだ彼女は」

 自分の隣を、他愛もない話をしながら歩いていたはずだと思い出し、視界を巡らせる。

 黒い土煙の奥で高く笑う歪な声も無視してを探すために視界を動かすだけが今の彼には精一杯だった。

「うっ――」

 そして突風が辺りを吹き抜け土煙を一掃したそのとき、彼の視界一杯に見えたのは荒れ果てた中央広場と、ほんの少し前まで自分たちと同じように日常を過ごしていたはずの町の人たちが瓦礫に圧し潰され、苦痛と苦悶の声を上げている姿だった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「なんだよ……これ」

 自分の上に降り積もった破片を押し退け、クリエスの視界に広がって見えたのは荒れ果てた中央広場だった。

 つい先程まで中央の噴水を中心に商店が広がり、それを目当てにする人々で溢れかえっていたはずだ。

 けれど目の前に広がる風景はそれとはかけ離れていた。崩れ落ちた噴水が砕けあらぬ方向に水を吐き出し、建物の壁は無惨に剥がれ落ちており、濛々と立ち上る土煙の向こう側で呻く人々の声が聞こえてくるだけだった。

「そ、そうだ……ハーちゃん。ハーシェルッ!」

 つい先程まで傍らで晩御飯をどうしようかと悩んでいた彼女の姿は何処かと求め、焦りながら視線を巡らせるが如何せん土煙で前が見えない。

「……被害が増えませんように。エアーブラスト!」

 祈るように両手を組み合わせ、出来るだけ小さくなるように風を生み出せば、クリエスを中心に風の渦が発生し遠くにまで残る土煙を払っていく。

「……な、なんだあれ」

 土煙が晴れた先、人間――と言うにはあまりに歪な骨格を持つモノが天を仰いでいた。

 クリエスの驚く声が届いたのか、不意にぎょろりと月光色の視線を向けて来た。

「ひっ――」

 本能的な嫌悪と恐怖感に全て支配され身動きが取れなくなった次の瞬間、クリエスの眼前を過ぎったのは大柄な男の影だった。

 逆光で人相の判別はできないが、崩れた噴水の破片が刺さったせいか、血を流す腕も構わずに異形へ鋭く立ち向かっていた。

 声も無く、それでも激しい怒りの咆哮を上げているのがその背中から伝わって来る。

「助けなきゃ――アースウィップ!」

 クリエス自身、何故そうしたのかは分からない。

 それでも男の動きに突き動かされるようクリエスが放った魔法は、両手を付いた地面から勢い良く異形の背後へ蛇のように隆起していくものの、異形の起こした震脚ひとつで止まってしまった。

 そして大柄な男の振り抜いた拳も見えない壁に阻まれ、宙で止まった。次の瞬間、異形の黒い腕がぱっと男の拳を掴むと、半円を描くように地面へと叩きつけていた。

 強い……

 僅かな合間に見せつけられた異形の力に、クリエスの背中に冷やりとした雫が流れ落ちていくのを感じた。

 しかし、容易く大柄の男を投げ飛ばした異形の興味は歯向かった者には向けられず、別の場所に向けられているようだった。

 異形の鎧のような左手が緩く前に伸ばされると、瞳と同じ光が掌に集められ、すっと水平に薙がれた。

 刹那、光が立て続けに弾け、帯のような煙を巻き上げながら、更に周囲に瓦礫が降り注いだ。

「うわっ! ど、どれだけの魔力圧縮すればあんな……」

 クリエスは直撃しない位置に居たにもかかわらず、風圧と再び舞い上がった土煙の酷さに目も開けられずにいた。

 大切な人を探しに行きたいと望む反面で、掠れた助けを求める声が耳に届いて足を動かせなかった。

 こんな奴を野放しにしたら危なすぎる。

 周囲に溢れる悲鳴に身体が固くなりつつも、思考を巡らせ、先程踏み消された魔法以上の手段を使うか迷い、すぐに首を振った。

「ダメだ。下手すれば更に瓦礫の下敷きになっちゃう……せめてスヴェルムさんが居てくれたら」

 くっと唇を噛みしめたクリエスの脳裏に一瞬、師匠にあたる男の顔に思い浮かんだ。

 しかし、その人物は憲兵隊の役目で早朝から町を離れてしまっていた。

 それでも周囲に溢れる呻き声に、これ以上は迷ってられないと異形の姿を視界に定めた瞬間、異形は何かを見つけたように瓦礫の山と化した建物へと近付き、そして地面に膝を付けた。

 人間なら四、五人でようやく持ち上げるような、大きな瓦礫を異形は無造作に片手で持ち上げ、後ろへと放り投げる。

「うわぁ!」

 新たに上がった悲鳴に、クリエスはこの場にどれだけの町の人たちがいるのか判断も付かず、足元が竦んでしまった。

 誰も止める者がおらず、周囲を顧みることのない異形の動作に、彼は己の右腕に視線を落とす。

 右手に意識を集中させ、手袋グローブ越しにもしっかりと手指が動く事を確かめると、決意を固めるように拳を強く握りしめた。

「ここで、ビビってられないよね……」

 キシリッと音を立てて拳を開き、クリエスは足元に散らばっていた瓦礫に手を伸ばし、掴み上げた。

「ぅおりゃあ!」

 恐怖感を覆す様に叫び声で奮い立たせて、異形へと走り迫る。

 しかし、異形はそんな彼を気に留めていなかったのか、瓦礫の下から伸びていた細腕を掴み引きずり出そうとして――その手を離した。

 こっちに来る!

 そう直感しても既にクリエスの手は瓦礫を掴んだまま、振り下ろし始めていた。

「ふっ――」

 僅かに零されたのは異形の気合の声か、それとも嘲笑の吐息か。

 見えない障壁にクリエスの腕は弾かれ、代わりに異形からの鋭い拳が腹部に打ち込まれていた。

「う、がはっ」

 小柄なクリエスはその衝撃をまともに受け、地面の上をボールの様に転げるしか出来なかった。

 そしてその傍らで、気絶したクリエスに代わるように、離れた位置で倒れていた大柄の男が身を起こすと異形の姿を探した。

 声を焼き潰された男は僅かに倒れた青年へと眼差しを向け、再び異形へと飛び掛かって行く。

「そレでも、魔力なしネルマーギはいラなイ」

 男からの拳を受け止め、異形の反撃の一撃が入る。

 鋭く突き出されたその一撃は男の脇腹を穿ち、引き抜き様に地面へ叩き落とす。

 血に濡れた手のまま異形は瓦礫を払うと、その下にあった女性の細い腕を改めて掴み、微かにその口元を緩めた。

「ハー、シェル……お前、その手を離せ!」

 よろめきながら異形へ向かうクリエスの声を聞き届けたか、僅かにか細い呻き声が女性から零れた。


 全身が痛い。

 ぼんやりとした思考の中で彼女は目を開けた気がする。

 瓦礫だらけの薄汚れた視界に、赤黒い何かが落ちてほたほたと地面を濡らしていくのが見える。

 さっきまで隣にいた居候クリエスと晩御飯をどうしようかと話をしながら、野菜を選んでた気がする。

 たっぷりと野菜を入れた鍋にして、ついでに干し果物デザートを買うか、確かそんなことを迷いながら一番食いしん坊な彼に問い掛けようと振り返り、噴水から上がる水が晩冬の陽光を反射して辺り一面に虹色の光を降らせて目を奪われたのは確かだった。

 それから、と記憶を進めたとき虹色の光は鮮烈な白い光となって周囲を塗りつぶした。

「クウ……うぅ、いた」

 思考は纏まらないままだったが、彼の無事を確かめなきゃと必死に意識を手繰り寄せようとし、腕に走る痛みの強さに再び呻いた。

「ハーシェルっ!」

 叫ばれた声にハーシェルの意識が痛みと共に覚醒していく。

「っ……な、なに」

 引きずり出されるように、全身に走った痛みに更に意識が鮮明になる。

 目の前に歪な黒が広がり、赤く濡れる地面から視線を持ち上げた先、黒ずんだ肌と月光色の瞳がじっと見据えて来た。

 魔物――えっ、人っ?

 有り得ない事に混乱するハーシェルだが不意にちかりと色鮮やかな虹色の光が黒の淵に現れた。

 彼女に理解出来たのはその虹色の光が自分のだと言うこと。

「離せ!」

 クリエスの声と地面を蹴り付ける音と訪れた衝撃に、ハーシェルの視界が横へ流れる。

 掴まれていた腕は解放されたが、代わりに瓦礫の上に落ちて破片が服の上から肌に刺さって痛い。

 けれど、異形の追撃を受けるよりも先に、大柄な男が二人から引き離すように異形を蹴り飛ばしていた。

 その隙きにクリエスはハーシェルの身体を支え、瓦礫の壁に身を隠した。

「ハーちゃんっ、大丈夫だった?」

「クウ……な、何とか」

 泥だらけの顔で険しい顔で心配していたクリエスの黒い瞳が、彼女の返事で少しだけ安堵したと和らぐ。

「現状説明は無理。ボクも何がなんだか……とにかくこの場から離れるのが優先だけど」

「あは、は……簡単には逃げられそうに、ないよねぇ」

 痛む身体を壁に預けたまま、その端からそっと周囲を見れば、彼女の視界にもほんの少し前まで日常的な賑やかさで溢れていた噴水広場の有様は一転し、苦しく呻く声があちこちに零れる光景が広がっていた。

「うん。それに……」

 クリエスは出来る事ならハーシェルに避難を託したいと考えてみたが、瓦礫によって傷付いた彼女の足元からは血が流れており、歩くことも難しそうかと顔を顰めた。

 それに先程、異形に果敢にも立ち向かった大男がどうなったかが分からない。しかし、一刻も早い治療を受けさせなければと過ぎる。

 焦りから浅くなる呼吸にクリエスは自分自身を落ち着かせるように、意識的に空気を吸い込み、唇を舐めた。

「ハーちゃん……」

「わたしは大丈夫。それよりあのバケモノが持ってるのは、ヤバイかも……」

 あの異形の狙いが何か分からないが、少しでもこの場から離れた方が良い。そう告げようとした刹那に、ハーシェルの手が腕を掴み、掠れた声で忠告を放つ。

 彼女の視線を追い掛ければ、異形はゆらりと周囲へその月光色の眼差しを向け、落としてしまっていた虹色の欠片を拾い上げる瞬間だった。

「ハーちゃんがそう言うならヤバイ認定しとく」

 彼女が“ヤバイ”と言った虹色の結晶体モノを見ても、クリエスには正直に意味が良く分からなかった。

 あの異形が持っている虹色の光の物体は、子供の手のひらサイズの丸い結晶体にしか見ないし、窓際に飾れば、外の光を受けた輝きが部屋の中を満たして綺麗だろうなという感想が浮かぶくらいだった。

 ただ、ハーシェルの魔力感知と魔法鑑定の目は類まれなる素質があると、周囲から聞いていた。

 その彼女が「ヤバイ」と言うのなら、きっとそうなのだろうと信じるだけだった。

「とにかく何をするにしても、あいつが居るとどうにもならないかなぁって……」

 いつもの様に買い物をすると考えていただけに、武器になるようなものを何も持って来なかったことを悔やむクリエスに、ハーシェルは異形の様子を伺いつつも小さく「あっ」と声を上げた。

 何かを見つけたらしいが、彼女はきゅっと口を閉ざし視線を他の場所へと移していく。だから、クリエスはその視線を遡る様に追い掛けハーシェルが見つけた物が何かと理解した。

 先に彼女が異形越しに見つけたのは、瓦礫の上に柄尻をこちらに向けた細身の剣。その身を包む金属製の鞘が、虹色の光を反射してクリエスには一縷の光明にも見えた。

「クウっ、危ないことは止めて」

 微かに身を前へと乗り出したクリエスの動きに気付き、ハーシェルの傷だらけの手もお構いなしに引き留めるように彼の上着の裾を掴んだ。

 その一瞬、クリエスの眉根が苦し気に寄せられ、そしてゆっくりと「大丈夫だよ」と笑みに変えて言う。

「倒せるのが一番だけど、まずはヤバイ認定したあの虹色の結晶をバケモノから引き剥がす」

 そう言いながら、彼の手がハーシェルの手をそっと外していくにも関わらず、視線は既に合わなくなっていた。

 いつもの自信とは違う嫌な響きを滲ませられ、ハーシェルも「待って」ともう一度、クリエスの手を掴んだ。

「こっちに投げてくれたら、わたしが全力で魔法使って、森の方にぶん投げるわよ」

 こんな訳の分からない状況に翻弄され続けるもの癪だと言いたげなハーシェルの言葉に、思わずクリエスはきょとんとした視線を返してしまった。

「わー、その後はどうする?」

「……わかんない。でも、町中よりはマシそうじゃない? 出来る事は一つずつ、確かめてからよ」

 やれるだけの事はやってみるしか無いと、これ以上町中で暴れられる方が困ると言うハーシェルの意見に、おおむねクリエスも同意出来たが、異形がそのまま去ってくれるかどうかの保証は何処にもないままだ。

「二人でやってみて、ダメならその時はその時……だけどね」

 微かに手を震わせつつも無邪気な笑みを作るハーシェルに、クリエスは一瞬見惚れてしまい、静かに右手を握りしめて決意を固めていた。

「だから、クウ」

 無理をしないでというよりも前に、結晶体の状態を確かめていた異形の傍らから、からりという音が響き、ハーシェルはびくりと身体を竦めた。

 虹色の光を放つ結晶体を手にしたまま異形は自らの前に翳し、微かに動く唇を見つめていると、どんな細工をしたのか分からないが、虹色の光の動きに変化が起きた。

 これまで結晶体は放出するように光を放っていたが、今度は逆に光を内側へと吸収しているように変化している。

「迷ってる時間ないみたいじゃない?」

「だね」

 二人で覚悟を決めるように頷き合い、クリエスは小さめな瓦礫片を右手に掴み取り、ハーシェルは自身の掌より少しばかり大きな瓦礫片を持ち上げた。

 最後にもう一度だけ呼吸を合わせるように深呼吸し、先にハーシェルが礫を異形の方へと投げつけ、クリエスも同時に走り出していた。

 ハーシェルの投げた礫は狙った場所よりも大きく外れ、異形のいる位置の遥か手前で地面に当たり、砕けた。

「無謀ナ……」

 足先にからからと力なく当たってきた破片を冷たく見下ろし、その投げられた方へと月光色の眼差しを向けた。どうやら隠れているつもりらしいが、瓦礫の壁からハーシェルの長い髪が風に煽られてたなびいていた。

 ゆるりと細められた月光色の瞳の端に人影が走り抜けるのを捉え、クリエスの挑むような黒い瞳とぱちりと合った。

 そして、遅れて礫が目の前に迫っているのが分かると、咄嗟に異形は硬質な腕で振り払ったが、細かな砂礫が視界を塞いだ。

 その瞬きの合間の隙にクリエスは瓦礫の上で主を失った細剣の柄を掴み上げ、異形に迫り直していた。

「ハアッ!」

 気合いの声と共に結晶体を掴む異形の掌を狙い刺突を繰り出す。微かに高い金属音を響かせ、結晶体の側面を刃が滑り逸れて行くが、クリエスはそのまま体ごと鍔を結晶体へと押し当てた。

 憲兵隊仕様の護拳一体型特有の鍔の返しを使い、異形の掌の間に生じた隙間へねじ込むと思いっきり腕を振るい上げた。

 その瞬間、鍔の返しに掬い上げられた結晶体は異形の手を離れ、ふわりと高く宙に浮いた。

 跳ね上げられた結晶体が弧を描き、高く舞うのを追いかけるように異形の腕が伸ばされる。

「させるかッ」

 クリエスは伸ばし切った腕を今度は振り下ろしへと変え異形の手を阻むと、再び異形と視線が交わった。

 深い憎悪の炎を燃やす月光色に射貫かれ、思わずクリエスの身体が恐怖に硬直する。

 クリエスの視界の端、異形の硬質な黒い腕が刃と化し、自分の半身を裂くよう猛然と動いたはずだった。

 しかし、覚悟した衝撃も鋭い痛みもクリエスの元には訪れなかった。

「――サすが、しブとい」

 一瞬。

 足元に小さく土埃を上げ踏み止まった異形は、己の胴に巻き付くように体当たりをしてきた男を見下ろした。

 大柄な男の右下肢は血に塗れ、今もぽたぽたと地面に落ちているのに、何処にこれほどの拘束力があるのか不思議にさえ思えた。

「ダが、邪魔ダ」

 異形が大男の拘束を解くために両腕を組み上げれば、異形の肘が鋭い槍の穂先へと変じる。

「させるかってば!」

 咄嗟に伸ばしたクリエスの右腕が男の背の代わりに異形の切っ先を受け止め、衝撃に呻くよりも、青年の視線は先に地面へと硬い音を立てて落ちた結晶体の行方を捜していた。

「ハーちゃん!」

 瓦礫だらけの道を結晶体はやはり光を吸収しながら、ごろごろと――ハーシェルが身を寄せる瓦礫の山側へと向かっていた。

「邪魔ダ!」

 異形は男とクリエスの二人をまとめて振り払うように投げ飛ばす。

 そして黒い両手を地面へつけた途端、地面が蛇のように隆起し結晶体を追い掛けて行く。

 断続的に響き渡る轟音に、咄嗟にハーシェルは身を捩り逃げ出そうとしたが、体中に刻まれた傷の痛みがその動きを邪魔する。

 その時、異形の口元から微かに舌打ちのような音が響いた。

 結晶体の行方を遮るように、ハーシェルと結晶の間に土蛇が首を伸ばし、周囲の瓦礫をまとめて突き上げた。

「ぅきゃあ!」

 ハーシェルは悲鳴を上げ、成す術もなく異形の放った魔法に巻き込まれ、その身を結晶体共々宙に浮かせていた。

「エアーバイ――うぐっ」

「エアーバインドッ!」

 僅かに重なった声だったが、クリエスの方は腕に負った傷の反動で途切れ、対して異形の放った魔法は大きな密度で結晶体周辺の空気の流れを固定した。

「た、助かった……」

 奇しくも結晶体の傍らにいたハーシェルも固定された空気の層を緩やかに地面へと圧し潰していき、遅れて結晶体が彼女の膝の上にぽとりと落ちた。

 虹色の光が彼女の服の上で煌めきほんの一瞬、吸い込まれるように手を伸ばしていた。

「エルクレプスッ、のみ込めエングルーティッ!」

 異形のひび割れた声が響き、ハーシェルは慌てて結晶体を左手で払い除けた。

「え――」

 触れたのは一瞬のはずにも拘らず、突如彼女の視界は暗転した。

「ハーシェルっ!」

 クリエスの叫ぶ声は聞こえる。だから気絶したわけではないはずと思いながらも、全身の力が入らなくなり、次第に眠るように意識が遠のいていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「ハーシェルっ!」

 魔法が不発になったと思い、クリエスは彼女の元へと走り出していた。

 けれど結晶体の飲み込むような虹色の光に触れたハーシェルは、まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちて行った。

「触レるなァッ!」

 異形の叫ぶ声に合わせるように、虹色の光がクリエスの視界に入った。

 クリエスはこのまま奪われると不味いと判断を下し、転がりざまに結晶体を拾い上げれば、先程までは光を吸収しているように見えた結晶体が再び光を外へと放出し始めた。

 結晶体を取り戻そうと迫る異形の姿に、クリエスが咄嗟に結晶体を掴んでいる手を突き出した。

「近付くなって! エアーブラスト!」

「チッ――」

 渾身の力を込めて魔法を打ち出せば、普段ならば正面を薙ぎ払うだけの風が、竜巻のように地面から上へと向かい吹き荒れた。

「う、わ……なんだ、これ!」

 クリエス自身も予想していなかった出来事に制御しようと思わず魔力を込めた途端、手の中の結晶体に違和感を感じた。

 鉱石を削り出すときの感触に似ている崩壊の感覚だと気が付いた瞬間、パキン――ッと高い音を立て結晶体は砕け、大きな破片が魔法の風に巻き込まれ高く吹き飛んでしまった。

 赤、青、緑と光の軌跡を残し結晶体の欠片はバラバラな方向へと飛び散り、それを追い掛けたのか魔法の嵐を堪えていた異形の姿がふっと消え失せた。

「ぅぎぎっ……手、が。壊れ、ちゃう」

 クリエスが魔法を解除しようと思うも魔力暴走が起きてしまい、自分の意思で破片を握りしめる手を開けない。

 身の丈に合わない魔法を止められない状況のクリエスは、少しでも気を抜けば町を破壊しつくしそうな魔法を止めるべく、結晶体を握りしめたままの右腕に触れ、接続部の金具を外した。

 指先の力も感覚もなくなり、支えられなくなった結晶体が緩み落ち、光が収まると吹き荒れていた風も唐突に止んだ。

 全てが終わったと言うように、ばらばらと巻き上げられていた砂礫が雨のように周囲に降り注ぎ、それを見ながら深く安堵の息を吐き出し地面にへたりこんだ。

「やばっ……ハーちゃ……ん」

 無理やり魔法を止めた影響を受けてか、クリエスは体中の力が抜け去り意識が暗転した。

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