第42話 お気に入りの女性

 やがてルーヴァス侯爵邸に馬車が着く。

 私たちは馬車を降りて使用人に連れられてリビングに通された。

 そこにはルーヴァス侯爵の翼雨よくう様と侯爵夫人の夏菜なつな様がいらした。


 二人とも昔と変わらない。魔族は魔力で自分の姿を好きな年齢で止めることができるからだ。

 もちろんそれは見た目の話で魔族も中身は老いる。だから侯爵夫妻もそれなりに年齢は重ねているはずだが全然その老いを感じさせない。

 侯爵夫妻の見た目は三十代半ばくらいだ。


「お待ちしておりました。響様、吹雪様」


 翼雨様は響たちに挨拶をした。

 年齢は圧倒的に響たちの方が若いが身分は魔公爵の公子である響たちの方が侯爵より上だ。

 丁寧な対応になるのも当然のこと。


「いつもお世話になります。ルーヴァス侯爵。今日は父上のお世話をしている男爵令嬢の真雪を連れて来ましたので紹介いたします」


「ほお。魔公爵様のお世話を」


 翼雨様は明らかに動揺した様子だ。

 烈牙様が自分の傍に女性を置かないという話は有名だったようだから翼雨様にとっては驚くなという方が無理な話かもしれない。


「初めまして。ルーヴァス侯爵様。ジル男爵令嬢の真雪と申します」


 私は淑女の礼をする。


「真雪殿か。こちらこそよろしくお願いします。私はルーヴァス侯爵の翼雨でこちらは妻の夏菜です」


「真雪さん。ようこそ我が屋敷へ」


 夏菜夫人は笑顔で私に挨拶をしてくれた。


 やっぱり夏菜夫人は優しい方ね。

 私が格下の男爵令嬢と知っても嫌な顔一つなさらない。


「いやあ。魔公爵様が女性を傍に置かれているとは知りませんでした」


 翼雨様は正直に感想を伝えてきたがその言葉には私が魔公爵の寵愛を受けるお気に入りの女性なのかという含みを感じた。


「いえ。私は……」


 ただの侍女だと訂正しようとしたら私の言葉を遮るように吹雪が侯爵に答える。


「真雪は最近父上のお傍に上がったばかりでまだ社交界にも出ていませんがに変わりはありませんのでそのうち社交界で皆様と顔を合わせることもあるかもしれません」


 吹雪は「父上のお気に入り」というところを強調した。


 そんな言い方したら翼雨様が勘違いなさるじゃないの。

 それに烈牙様にも失礼に当たるわ。


 私が僅かに抗議の視線を吹雪に向けると吹雪は私に「黙っていろ」と目で合図してきた。


「そうでしたか。それは大変おめでたい話ですな。真雪さん。これから末永くよろしくお願いします」


「本当に。魔公爵様も先の奥方様を亡くされてからお元気がない様子でしたが真雪さんがいらっしゃるならもう寂しくありませんわね」


 ほらごらんなさい。

 侯爵夫妻は私が烈牙様の寵愛を受けている女性と勘違いしたわ。


「では私は演奏の準備をいたします」


「ええ。どうぞよろしくお願いいたします。響様。吹雪様と真雪さんには休憩室をご用意しております」


「ありがとうございます」


 吹雪と私は響と別れて休憩室に入る。

 使用人がお茶を淹れて部屋を出て行くのを確かめたあと私は吹雪に詰め寄った。


「吹雪様。あのような言い方では侯爵様たちに誤解されてしまうじゃないですか。私はただの侍女ですよ」


「いいんだよ。わざと誤解させたんだから。真雪の後ろには魔公爵がいるということにした方が都合がいいんだ」


「なぜですか?」


「真雪の身を護るためさ。これから真雪を社交界にも連れて行くつもりだからね。父上のお気に入りに手を出す勇気のある奴はこの魔界にそうはいないからさ。誰だって命は惜しいだろうし」


「だからといって烈牙様の許可も得ないで勝手なことをして怒られてしまいます」


「へえ。もう父上のことを名前で呼んでるんだね」


 しまった! ついうっかり烈牙様の名前を呼んでしまったわ。


 ただの侍女なら烈牙様のことは魔公爵様と呼ぶのが正しい。

 烈牙様が望んだので最近は烈牙様のことを魔公爵様ではなく烈牙様と呼ぶことが多くて失言してしまった。

 でも一度口に出した言葉は戻らない。


 これでは自分から烈牙様とはただの主従関係じゃないって言ったも同然だ。

 でも今のところは烈牙様と恋人でもなんでもないのだから吹雪に誤解されたら烈牙様に迷惑をかけてしまうかもしれない。


 少なくとも他の公子には私が烈牙様のことを名前で呼んでいることは吹雪に黙っていてもらった方がいいわね。


「すみません。吹雪様。魔公爵様のことを名前でお呼びしていることは内密にしてください」


「いいよ。真雪のお願いだもんね。でも父上のお気に入りに変わりはないみたいで良かった。父上が自分の名前を呼ぶのを許すのは親しい者だけだからね」


 吹雪はニヤニヤして私を見つめている。


「吹雪様。私と魔公爵様は吹雪様が思っているような仲ではありません。それだけはハッキリと申し上げておきます」


「うん。分かってる」


 意外にも吹雪が素直にそう答えたので私の方が面食らってしまった。

 吹雪ならもっと私をからかうと思ったのに。


「父上の亡くなった母上への愛情はそう簡単にはなくならないよ。でも俺はそろそろ父上にも新しい道を歩んで欲しいんだよね」


「新しい道ですか?」


「そう。もう母上はいないし俺たち子供も成人してるし。父上には新しい恋人でも作ってもっと幸せになってもらいたいんだ」


 吹雪。貴方はそんなことを考えていたのね。


 私も烈牙様には新しい幸せを見つけてもらいたい。

 アリシアの亡霊から烈牙様を解放するのは私の目標でもある。

 それと同時に真雪として烈牙様に愛されることも。


「私も魔公爵様には幸せになって欲しいです」


「だから父上が真雪を傍に置いたことは新しい道への一歩だと俺は思っている。もちろん真雪には想い人がいることは知っているけどもうしばらく父上の傍にいてあげてくれないかな?」


 吹雪は真面目な顔で私にお願いしてきた。

 私も烈牙様から離れることを考えたことはない。


「私でよければこれからも魔公爵様の侍女を務めたいと思います」


「ありがとう。真雪」


 吹雪はニコリと笑う。

 すると使用人が演奏会が始まると伝えに来てくれたので私と吹雪は会場に向かった。


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