明の父ペドロは
明の父ペドロは、現在レイカーズ刑務所にて服役中の身である。
このレイカーズ刑務所は、アメリカ合衆国でも有名な矯正施設だ。極悪な凶悪犯ばかりを収容している重警備の刑務所であり、マフィアの幹部や連続殺人犯などが収容されている。
また、受刑者の半分以上が、生きたまま出所することが出来ないことでも有名だ。収容された囚人のうち、およそ六割が刑務所の中で人生を終えることになる。彼らの死因のほとんどが、受刑者同士の殺し合いによるものだ。もっとも、それらは基本的に事故として処理されるのが公然の秘密だった。
そんな地獄のごとき刑務所に、明は訪問していた。面会室の椅子に座り、父のペドロと強化ガラス越しに向かい合っている。
明の横には、温厚そうな看守がひとりいるだけだ。一方、ペドロの周囲には屈強な看守が三人控えている。まるでゴリラのような体格の看守たちだ。全員がニメートル近い身長で、腕は並の人間の足より太い。木造の一軒家なら、素手で解体してしまえそうである。
そんな彼らであるが、ペドロから片時も目を離そうとしない。額には汗がにじんでおり、顔には緊張の色がある。明らかに、ペドロを恐れているのだ。
「まさか、お前が来てくれるとは予想外だよ。嬉しいね。聞いたが、お前もいろいろ大変だったようだな。で、今日は何の用だ?」
ペドロは、流暢な日本語で聞いてきた。発音も、アナウンサーのように完璧なものだ。看守たちは、困惑した表情を浮かべている。
明はといえば、何も答えない。座ったまま、ペドロの顔をじっと見つめていた。
そんな息子の反応に、父は顔をしかめる。
「お前は、本当に暗いな。そこは母親似だ」
言いながら、首を回した。刑務所とは思えない、リラックスしきった様子だ。
ペドロの身長は、百六十センチ強である。欧米人から見れば小柄だ。しかし、その体躯からは想像もつかないほどの身体能力を秘めている。しかも高い知性と、いかなる状況においてもヘラヘラ笑っていられる図太い神経、そして何者にも屈しない反抗心も持ち合わせている。
人間離れした、という形容詞がこれほど似合う男もそういないだろう。事実、ペドロはこの刑務所で最も恐れられている男なのである。看守の言うことを聞かない受刑者でも、ペドロの言うことなら聞き入れる……という者も少なくない。
そんな父ペドロを、明は静かな表情でずっと見つめていた。
「なんだ? 日本の遊びのにらめっこでもしに来たのか? わざわざアメリカまで、随分と暇な奴だ。まあいい、お前がやりたいなら付き合うがね」
ひとりで喋り続けるペドロ。すると、明はようやく口を開いた。
「親父……俺はな、あんたのことが大嫌いだ。あんたは最低の人殺しだ。あんたの両手両足をぶった斬り、スープにしてあんたに喰わしてやりたいよ。あんたは、世の中に害毒を撒き散らすだけの存在だ」
静かな口調で、ペドロの目をまっすぐ見ながら語った。しかし、ペドロは表情ひとつ変えない。
「おいおい、そんな事をわざわざ言いに来たのか? 本当に暇な奴だな。まあいいさ、俺も暇だ。もっと言え、どんどん言え。なんなら、日本語でラップバトルしても構わない」
そう言って、ペドロは笑った。クックック……という不気味な声が響き渡る。
次の瞬間、明が口を開く。その言葉は、意外なものだった。
「だがな、俺はあんたに感謝している」
聞いた瞬間、ペドロの笑い声が止まった。一方、明は静かな表情で語り続ける。
「あんたは、俺を強くしてくれた。あんたから受け継いだ血と、させられたトレーニングのお陰で、俺は友だちを守ることが出来たんだ。もし、あんたが俺の父親じゃなかったら……俺は友だちを守れず、目の前で死なせていた。もちろん俺も死んでいたよ。だから、その点についてだけは礼を言う」
重々しい口調で言うと、明は立ち上がる。唖然となっている看守たちの前で、ペドロに向かい頭を深々と下げた。
「本当にありがとう。俺を育て、強くしてくれて深く感謝している。あんたのお陰で、俺は友だちを守れた」
その言葉の奥には、偽らざる感謝の念があった。だが、ペドロは何も言わなかった。黙ったまま、息子を凝視している。その顔には、奇妙な表情が浮かんでいた。
ややあって、明は顔を上げた。
「俺には今、心の底から愛する
そう言うと、明は強化ガラスに顔を寄せる。
ペドロに向かい、そっと囁いた。
「俺は人間だ。あんたとは違う。俺は、まともな人間として生きる」
そう言うと、明は看守たちに頭を下げる。そして面会室から出て行こうとした。
しかし、ドアの所で立ち止まる。
「じゃあな、親父。もう会うこともないだろうが、元気でな」
背中を向けたまま言った。その時、異様な声が響き渡る。クックック……という声。振り返ると、ペドロは笑っていた。
「お前の身に何があったか、だいたいの予想はついている。だがな、俺の予想が正しければ……まだ、終わってはいない」
その言葉に、明の表情が一変する。
「どういう意味だ?」
「刑務所の中にいても、情報は入ってくるのだよ。俺の勘が間違っていなければ、この件はまだ終わっていない。むしろ、本当の戦いはこれからだ」
・・・
「ところで鈴、普段は何してんの?」
僕が尋ねると、鈴は暗い表情になる。
「別に何もしてない。ずっと寝てばっか。駄目人間だね」
言いながら、自嘲の笑みを浮かべた。僕は、最後の部分をやり過ごし話を続ける。
「ふーん。じゃあ、ネットやテレビとかは観ないの?」
「ネットは、たまに見るよ。でも最近、何か嫌になるニュースが多いね。あっ、そういえばさ……」
鈴はそこで言葉を切り、ためらうような表情を見せた。
「どうしたの?」
「ねえ、一週間くらい前だったと思うんだけど、ヤクザの事務所が襲撃されて、三人が殺されたって事件があったよね。これって、明の仕業じゃないよね? なんか話聞いてない?」
「何言ってんのさ。今の明が、そんなことするはずないじゃない。考え過ぎだよ」
「そう、だよね……でも変なんだ。そのニュース見たとたん、凄く不安になって……あたしの知ってる人間が関わってる気がしたんだ。あんなこと出来るの、明ぐらいしかいないし」
鈴は、真剣そのものの表情で訴えてくる。彼女を安心させるため、僕は微笑んだ。
「あのね、明にそんなことする理由なんかないじゃん。そもそも明は、純さんとイチャイチャするのに忙しくて、ヤクザを殺してる暇なんかないさ。お幸せに、としか言いようがないよ」
「なんだとぉ、それは腹立つな。あの明がイチャイチャするなんて、世の中間違ってるね」
そう言いながらも、鈴の表情が少し明るくなる。
「そうなんだよね。明は自分からは言わないけど、純さんとのことを聞くと、顔を真っ赤にして照れまくるんだよ。本当に、耳まで真っ赤になるんだよ……あの。おっかない明がさ」
「何それ、すっげえ気持ち悪い。うわぁ、やだやだ」
口ではそう言いながらも、鈴は本当に嬉しそうだった。そんな鈴に向かい、僕は前から考えていたことを言ってみる。
「ねえ鈴、今度さ、二人で明の家に行かない?」
「えっ……」
鈴の表情が、一気に暗くなった。僕は、慌てて言い添える。
「いや、急ぐ話じゃないから。いつでもいいよ」
「それは……いつになるかわからないよ」
「大丈夫。僕は、何年でも通い続けるからさ。出られるようになったら、いろんな所に行こう。明も一緒に三人で、鈴の行きたい所どこにでも……いや、純さんも入れて四人で出かけよう。いわゆるダブルデート、って奴さ」
そう言うと、僕は自分にできる精一杯のキザったらしい表情で鈴を見つめる。カッコ悪いんだろうな、と思いながら。
恐らく、鈴は笑いながら突っ込むだろう。いや、むしろ笑って欲しかったのだが。
しかし、彼女の反応は僕の想像と違った。
「あんた、本当に変わったね。昔とは別人みたいだよ」
鈴は僕から目を逸らし、そう呟く。
「うん、変わったかもしれない。でもね、僕は変わりたくて変わったんじゃない。変わらざるを得なかったんだよ」
そう言うと、僕は自分の両手を見つめた。
あの日、この手で何人の命を奪ったのだろう。
「ネットや雑誌なんかで、ボクサーの体がカッコいい、なんて話を聞くけど……ボクサーはなりたくて、あんな体になってる訳じゃない」
「はあ? 何言ってんの?」
きょとんとしている鈴に、僕は一方的に語り続けた。
「ボクサーは、あの体にならざるを得ないんだよ。強烈なパンチを放つために筋肉を強化し、動きを良くするために脂肪を削ぎ落とす。その結果、ああいう体になっているんだ。あくまで試合のため、相手に勝つためなんだよ。別にカッコいいとか、そういう理由であんな体になってるわけじゃない」
「だからあ、何言ってんのか全然わかんないんだけど?」
そう言いながら、足を器用に動かして僕の体をつついてきた鈴。彼女の足クセの悪さだけは、今も変わらないらしい。僕は、思わず苦笑していた。
「まあ早い話、僕も変わらざるを得なかったって事だよ」
鈴の家を出た後、のんびりと帰り道を歩いていった。既に日は沈み、空には月が出ている。あの夜と同じ、綺麗な月だ。
ふと考えてみた。鈴は、これからどうなるのだろうか……と。
もっとも、僕は変わらない。もしも鈴が、一生あのまま引きこもりを続けたとしても……僕は、彼女の所に通い続けるだろう。
(特殊な状況で結ばれたカップルは、長続きしない)
何かの映画に、そんなセリフがあった。たぶん、一般的には正しい言葉なのだろうと思う。しかし僕らの状況は、あまりに特殊過ぎた。このセリフを考えた人は、僕らのような状況を想定していたのだろうか。
そもそも、僕と鈴との関係は……恋とか愛とか、そんなありきたりの言葉で語れるものとも、また違う気がする。
あえて言葉にするなら、絆だろうか。呪われて血塗られた、忌まわしくも固い絆。
その絆は、明との間にもある。
一生消えることのない、三人だけの秘密の絆なのだ。僕たちは、あの夜の出来事を忘れることなどないのだから。
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