直後

 直後、直枝の表情が暗くなるのがわかった。

 しかし、僕は間違っていない。その点については断言できる。




 奴らが何者なのかはわからない。ただ、まともな人間じゃないことだけは確かだ。

 泣いて許しを乞う上条に対し、奴らが振るった容赦のない徹底的な暴力を見た。

 さらに、向かって来た男たちの眼も見てしまった。あれは、僕の人生に嫌と言うほど出現した、弱い者をいたぶることに喜びを見出だす者の眼に似ている。

 いや、それとも微妙に違っていた。

 中学生の時に僕をいじめていた連中は、まだ若干の手加減らしきものをしていた。「コイツが怪我したり自殺したりしたらヤバいから、これ以上はやめとこう」というような意識があった気がする。

 昔、いじめっ子からプロレス技をかけられていた時期がある。僕は痛みのあまり、泣きながらギブアップするのが常だった。

 だが、ある日チョークスリーパーという技をかけてきた。その時は、苦しさのあまり意識を失ってしまった。いわゆる「落ちた」状態だ。そのまま放っておかれたら、死んでいたのかもしれない。

 どのくらい時間が経ったのかはわからないが、僕が意識を取り戻した時、奴らが心底からホッとしたような表情をしていたのを覚えている。

 もちろん、奴らは僕の身を案じていたのではない。奴らが案じていたのは、自分たちの将来だ。僕が死ぬことより、自分たちが殺人犯になるかもしれないことの方が心配だったのは明白であった。

 それ以来、いじめはほんの少しソフトになったように思う。


 しかし、ここにいる連中はいじめっ子などという生易しい存在ではない。明確な殺意があるのだ。躊躇する事なく、人を殺す眼をしていた。

 また、死体が見つからなければただの行方不明だ、という意味のことも言っている。

 つまり、警察も死体を発見すれば事件として捜査せざるを得ない。それが他殺体となれば、なおさらだ。ところが死体さえ発見されなければ、ただの行方不明である。家出や夜逃げ、果ては逃亡中の犯罪者などなど……行方不明の人間はいくらでもいる。行方不明と殺人事件とでは、警察のかける時間も労力も比べ物にならない。

 ここにいるのは、そういったことを計算に入れつつ、殺人を行う集団なのだ。どう考えても、普通ではないだろう。暴走族のような単なる粗暴犯よりも、遥かに性質たちが悪い。

 そんな人間たちを相手に戦って、殺さずに制することなど不可能だ。特に僕のような人間の場合、殺す気がなければ戦えるわけがない。

 さっきの戦いが、まさにそうだった。僕は、殺すつもりで襲いかかって行った。殺さなければ、こちらが殺されていただろう。相手の男か、あるいは明の手によって……。

 しかも、当時の僕は人殺しに伴うはずの罪悪感を、ほとんど感じていなかった。

 何故なら、奴らは悪人だからだ。それも、本物の殺意を持った悪人だ。どこから見ても、完全な悪としか言い様がない存在である。

 だから、奴らを殺す。殺さなければ、僕の方が殺される。あんな奴らの手で人生を終えるなど、まっぴらだ。

 さらに言うなら……あんな連中は、死んだ方が世の中のためだ。奴らが生き延びれば、また他の誰かを殺すことになる。

 つまり、奴らを殺すのは正義だ。

 僕は悪くない──


 今になって当時を振り返ると、この時の僕の思考は完全におかしかった。狂っていた、と言われても仕方ない気がする。

 しかし、僕はいじめられっ子だった。その上、ケンカなど生まれてから一度もしたことがない。そんな人間が、戦場のごとき状況でやっていくためには、普段の精神状態では不可能だったのだ。

 狂気に、いや凶気に身も心も委ねることで、かろうじて自分を保っていられたのだろうと思う。

 そうでなければ、生き延びることなど出来なかったはずだ。




 そんな思いとは裏腹に、直枝はなおも言葉を続ける。


「あたしは、あんたのことをよくは知らない。でも、あんたはそんな人間じゃないはずだよ。明とは違うでしょ?」


 その問いに、何も言えなかった。直枝はというと、さらに語り続ける。


「あんただって、さっきは嫌な気分だったでしょ? 明に脅された時、あんたは凄く怖かったはずだよ。だけど、このままだと、あんたも──」


「待ってよ。そんなことより、今は交代で休もう。君が先に寝なよ。目をつぶって横になるだけでも、だいぶ楽になる。休める時に休んでおかないと……」


 そう言って、僕は話を打ち切ろうとした。これ以上、彼女と話していても、結局は平行線を辿るだけだと思ったからだ。

 今の僕と直枝は、永遠に相容れぬ意見のままであろう。


「わ、わかったよ」


 不満そうな顔で、返事をした。僕から視線を逸らし、横になった。よほど疲れていたのだろう。すぐに寝息をたて始める。

 思わずドキッとした。なぜか、鼓動が早くなる。

 直枝はどちらかというと地味な、化粧っけのない顔ではある。だが、それでも女子の中では可愛い方だと思う。そんな女の子が、すぐそばで無防備な姿をさらしている。

 僕の人生において、あり得ないと思っていたシチュエーションだ。よからぬ考えが頭を掠める。

 頬がまたしても赤くなった。思わず、彼女をじっと見つめる──

 だが、今はそんな場合ではないのだ。目を逸らし、外の様子を窺う。


 耳をすませると、虫の声らしきものが聞こえる。さらに、小動物の立てるカサカサという音も。どうやら、この周辺には誰もいないようだ。

 改めて、これまでの出来事について考えてみた。来た時には気がつかなかったが、この村はかなり広い。しかし、この建物にしてもそうだが、かなり長い間ほったらかしにされていたようだ。

 近いうちに取り壊しになる廃村か、あるいは得体の知れない者たちが住んでいた集落か。いずれにしても、今はまともな人間は住んでいないらしい。少なくとも、生活の匂いがないのは確かだ。

 ただ、高宮に連れてこられた小屋は、そこそこ手入れされていた。ひょっとしたら、これまでにも僕らのような人間を誘い込み、そして皆殺しにしていたのかもしれない。

 そういえば明は、今まで遭遇した奴らはみんな都会の人間だと言っていた。となると、ここも昔は普通の村だったのだろう。しかし、今はさびれて人が消えてしまい……それを、都会から来た殺人鬼たちが何らかの目的のために使用している、という訳か。

 いったい、何のためだろう? いや、そもそも奴らは何者なのだろうか。カルトな新興宗教団体のメンバーか、それとも悪魔教だろうか。

 かつて読んだ本に書かれていた事を思い出した。外国では悪魔教が実際に存在し、活動しているらしい。悪魔を神として崇め、集会の時には想像を絶するような行為に耽る。麻薬を用いた乱交パーティーや、時には殺人まで……恐ろしい話だが、まんざらデタラメでもないらしい。

 実際の話、海外では悪魔教が絡んだ殺人事件も起きているというのだ。

 しかし、奴らがそういった集団である可能性は薄いのではないか、と僕は思っていた。

 奴らは全員、どこか真剣さに欠けている気がする。カルト系の新興宗教にハマってしまった者にありがちな真剣さや、狂信的な態度がないのだ。少なくとも、今まで遭った連中からは感じられない。

 今まで遭った人間からは……上手く言えないが、サークル活動か何かに参加しているような気楽さを感じるのだ。遊び気分、ともいえるかもしれない。ヘラヘラ笑いながら会話し、嬉々として襲いかかって来た気がする。

 だが逆に、サークル活動に参加しているような感覚で、気楽に殺人を行える集団なのだとすると……。

 その目的はどうあれ、本物の狂人集団だ。

 そして、完全なる悪だ。世の中に害悪という名の毒を撒き散らすだけの存在。

 やはり、殺しても構わない人間たちだ。


 そんな事を考えていた時、声が聞こえてきた。


「俺だ、明だ。入るぞ」


 低く押し殺したような声と同時に、明が静かな動きで入って来た。

 心底から、ホッとなった。この状況では、明以上に頼りになる人間はいない。

 たとえ、彼が殺人鬼であったとしてもだ。


「まだよくはわからんが、奴らの溜まり場は見てきたよ。村の中心にある役場みたいな所で、大勢集まって話してやがった」


 不快そうな表情で言うと、直枝の方を見る。彼女はまだ眠っていた。すぐに目を覚ます気配はなさそうだ。

 そんな直枝を見て、明は苦笑する。つられて、僕も笑ってしまった。


「寝ているのか。それよりも、これからどうしたもんかな。今、考えているんだが……」


 明はそう言って、僕の隣に腰かける。


「奴らはどうしようもないクズだな。俺が調べた限りじゃあ、ここにいるのは殺人マニアの集まりみたいだよ。人数もかなり多い。さて、どう戦うかな……」





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