阿修羅の道の十字路で

板倉恭司

プロローグ

「おいおい、正気なのか? 少年、お前の頭は大丈夫なのか?」


 髪を金色に染めた若者が、目の前で立っている少年に尋ねる。

 この若者、品行方正な好青年には見えない。耳には金のピアス、首からは金のネックレスをぶら下げ、手には金の指輪だ。ラッパーのような見た目だが、実はヤクザである。


「とりあえずは、大丈夫だと思うよ。なあ、どうなのよ? あんの? ないの?」


 黒いパーカーを着た少年には、恐れる様子がない。なおも、先ほどと同じような質問を繰り返す。

 少年の身長はさほど高くない。体格的には、中肉中背といったところか。フードを目深に被っている上に下を向きながら喋っているため、どんな顔なのか、相手からはほとんど見えていなかった。金髪の若者が、彼を少年と呼んだのも、声を聞いた上での判断である。さらに言うなら、こんなバカな質問をして来る大人はいないだろう、という推理に基づいた判断でもある。

 その時、兄貴分らしき人物が口を開いた。ブランドもののスーツを着た中年男だ。強面こわもての顔で、背は低いが肩幅は広くがっちりした体格である。年齢は四十を過ぎているだろう。身につけている時計やアクセサリーなども高級品ばかりだ。三人の中でも、もっとも貫禄がある人物である。細く鋭い目は、少年をじっと捉えていた。


「いいか、よく聞けよ少年。八百屋で大根買うのとは訳が違うんだ。俺たちはな、ヤクザなんだよ。いきなり事務所に来て、ピストル売ってください、なんて言われても出せるわけないだろ」


 そう、ここは広域指定暴力団・士想会しそうかいの事務所なのである。

 真幌まほろ駅近くの路地裏に建てられたビルの三階に『有限会社 真幌サービス』の看板を掲げている。言うまでもなくダミー会社であり、実態は士想会の業務を行っている。かつてのような、一目でヤクザの事務所とわかるような内装ではない。とはいえ、中で働いている者たちの人相を見れば、まともな人間は好き好んでお近づきになりたいとは思わないであろう。

 ところが、このパーカーを着た少年は、昼の三時に何の前触れもなく事務所に入ってきたのだ。訝しげな視線を向ける者たちに向かい、こう言い放った。


「悪いんだけどさ、拳銃売ってくんない?」


 その言葉に、三人の男たちは顔を見合わせた。こんなにストレートな注文の仕方は、聞いたことがない。

 



「あのなあ少年。俺たちも、遊びじゃねえんだわ。はい拳銃ですね、ありますよ! なんつって出せる訳ねえだろ」


 言ったのは、スキンヘッドの男だ。見た目の年齢は三十代。身長はさほど高くないが、百キロはありそうな体格である。黒のTシャツから覗く腕は太いが、腹にもたっぷり脂肪が付いている。


「いっそのこと、ネットで買ってみたらどうだよ」


 そう言って、ケラケラ笑ったのは金髪の若者だ。この男は、目の前の少年を退屈しのぎにイジる対象としか見ていなかった。


「なるほど。つまり、あんたらは用意できないんだね」


 少年は、冷めた口調で言葉を返す。すると、金髪はニヤリと笑った。


「どうしても欲しいなら、まず現金で百万持ってこい。そしたら売ってやるよ。パパとママに頼んで、百万用意してみな」


「百万かあ。そりゃ無理だな」


「だったら失せろ。でないと、とんでもなく怖い目に遭うよ」


 金髪の顔に、凶暴な表情が浮かぶ。

 この若者は、三人の中でも一番若い。立場も、一番下である。こういった業界では、パワハラなどという言葉は存在しない。上下関係は、神聖にして侵されざるべきものだ。下の人間は、様々な場面でこき使われることになる。したがって、常にストレスが溜まっている状態だ。

 その溜まったストレスを、目の前にいるバカで生意気な少年を痛め付けることにより解消させようとしていたのだ。

 しかし、若者は何もわかっていなかった。


「そんなこと言わないでよ。わざわざここまで来たんだからさ、五十円に負けてよ。お世辞くらいなら言うからさ」


 相変わらずのふざけた口調である。若者は、ちらりと兄貴分を見た。すると、兄貴分はこくんと頷く。

 暴力の許可が出たのだ。若者は、じろりと少年を睨みつけた。


「お前、俺らのことナメきってるな。バカは死ななきゃ治らねえっつーけどよ、いっぺん死んでみるか? 東京湾に沈むか、富士山の樹海に埋まるか、好きな方を選べ」


 その途端、パーカーの少年は動いた──

 金髪の若者に、いきなり左手が放たれる。四本の指が鞭のようにしなり、若者の眼球とその周辺を打った。

 若者は呻き、反射的に目を閉じ顔を背ける。だが、その間も少年の攻撃は続いている。若者の金髪を掴み、顔面を机に叩きつけた──

 ぐしゃり、という音。若者の顔は血まみれになり、前歯と鼻骨は砕けている。無論、戦意など残っていない。

 他の二人は、呆然とした様子でパーカーの少年を見つめている。なにせ、たった二秒ほどの間に起きた出来事だ。暴力慣れした彼らですら、何が起きたのか把握できていなかった。

 少年の方はといえば、既に動き出している。一気に間合いを詰めたかと思うと、高く跳躍する──

 スキンヘッドの顔面めがけ、先制攻撃の飛び膝蹴りを放った。膝は、まともにスキンヘッドの顔面に入る。前歯の大半と顎の骨を砕かれ、スキンヘッドは思わず前屈みになる。流血している顔面を、両手で覆った。

 直後、首に上から肘打ちが落とされる。コンクリートブロックすら破壊する衝撃が首を襲い、スキンヘッドは崩れ落ちた。

 その時になって、兄貴分がようやく反応する。事務机の引きだしを開け、拳銃を取り出した。


「このガキャ! 殺す──」


 言え終えることは出来なかった。少年は一瞬で、机の上に飛び上がった。兄貴分は慌てて安全装置を外そうとするが、あまりに遅すぎた。

 少年は蹴りを放つ。サッカーボールを蹴るようなキックだ。その足先が、兄貴分の顔面に炸裂した。

 直後、体が吹っ飛ぶ。続けて、呻き声が聞こえた。兄貴分は、自らの顔を両手で覆いうずくまっている。少年の蹴りで、前歯の大半と頬骨を砕かれてしまったのだ。

 それだけでは終わらなかった。少年は倒れた兄貴分の首めがけ、思いきり踵を振り下ろす──

 ぐしゃり、という音が響き渡る。首の脊髄は、踏み付けられた衝撃で完全に砕けてしまったのだ。もちろん命はない。

 さらに少年は、床に倒れている二人にも同じことをした──


 死体と化した三人を尻目に、少年は事務所をゆっくりと物色する。机の引きだしを開けていき、中身をきっちりチェックする。

 さらに、倒れている死体のチェックも忘れない。金や拳銃、さらにはスマホや金目の装飾品などを奪うと、悠々と姿を消した。




 士想会の事務所で、三人の構成員が死体となって発見された──


 この事件は、夜のニュース番組のトップを飾った。元刑事のコメンテーターや、裏の世界に精通する……と称するジャーナリストたちは、新興組織による襲撃だろうと述べた。さらに、新たな抗争の幕開けとなるかもしれないと語った。ネットでは自称・事情通やチンピラたちの勝手な憶測が飛び交い、一時はネットニュースのトップを飾った。

 もっとも、翌日にはほとんどの人の記憶から消え去ってしまっていた。数日もすると、話題にすらならなくなっていた。警察は対立関係にある組織や、半グレと呼ばれる集団を調べたが、犯人に結び付く情報は得られないままだ。捜査は、暗礁に乗り上げてしまう。


 誰もわかっていなかった。士想会事務所で起きたことは、始まりの始まりに過ぎない。後に、犯人の少年が引き起こすことになる数々の事件の、ほんの序章でしかなかったのだ。





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