40話 ヴィーザルとの密談


「チチフ、チチフやあい。どこいったのー?」


マグニは床に目を走らせながら、ギルド・インの中を歩き回る。

露市場の美味しそうな匂いにつられて、チチフがフラフラと消えてしまったのだ。

ただでさえ両掌で少しあまるくらいの大きさなのに、これだけ人が大勢いれば、すぐ姿を見失ってしまう。誰かにぷちっと踏み潰される前に、早く見つけなければ。


「チッフ、チフチチ、チフ~♪」

「あっ見つけた!チチフったら!」

「チャ~」


やっと見慣れたフカフカのお尻に、バッテン印の大きな古傷。チチフだ。

ひょいっと抱き上げると、チチフの両方の頬袋がぱんぱんだ。指で頬袋をむいっと挟むと、ぽろぽろぽろ……。まあ出てくるわ出てくるわ、見覚えのない小さな木の実にパンくず、チーズやキノコの欠片。どうやらギルド・インの中で、相当すれ違った冒険者たちからおこぼれをもらったようだ。


「だめじゃないか、ひとりでどこかに行っちゃ。迷子になったら出られない人もいるって、コウ・リウランさんが言ってただろう」

「チフ~……」

「分かったならいいんだ。お腹空いてたの?貰ったごはんはちゃんと全部食べなきゃだめだぞ」

「チフッ、チッチフ!チャ~フフッチフ~」

「え?僕のぶん?大丈夫だよ、後で皆で食べるか……ら……」


皆でやっと思い出し、はっと顔を上げる。

気づけばそこは、見知らぬ回廊。豪奢だが落ち着きのあるデザインのランプが等間隔に吊され、床には赤い絨毯が敷かれ、壁の彩りも自分たちの部屋がある回廊に比べれば大違い。まさしく、マグニにとっては「場違い」な場だった。

ここはどこだ?チチフを追いかけることに夢中になって、どうやってこの回廊まで来たか全く記憶にない。別のランクの回廊に紛れ込んでしまったのだろうか。

当然ながら、ガルムもステラもヴィオも居ない。それどころか、この回廊には殆ど人の気配がしない。


「どっ、どうしよう……!も、モルトーさん起きてる?」

「チフ、チッフフチチ」

「あ~っやっぱり寝ちゃってるよな、うん、夜になるとすっごく寝付きいいもんなモルトーさん!い、今からでも誰か、人を見つけて帰り道分からないかな……」


だが、時折すれ違う人に声をかけても、「低ランクが何でこんな所にいるんだ」「迷子?間抜けなガキンチョがいたもんだ」「眠いんだよ、ガキのお守りしてる余裕はないんだ」とばっさり切り捨てられるばかり。

マグニは気づかなかったが、歩く最中に、<マン・フリー>の通行手形がきらり、と輝いていた。

そして、あてもなく道を更に進むうち、更に見知らぬ回廊へと出てしまった。並ぶ扉は更に豪奢であったり、プレートすらなく、扉の意匠が個々によって異なり、花瓶に生けられた花は華やかで、壁に飾られた絵はゆらゆらと生きて動いている。

だが、景色に魅入られている場合ではない。いよいよ帰り道が分からないのだ。

「どうしよう、このままお爺さんになるまで、ギルドで迷子になっちゃうのかな」とマグニは途方にくれる。

──だが、捨てる神あれば拾う神あり。すっかりしょげるマグニの目と鼻の先で、きらきらと輝く扉が開いた。


「マグニ」

「へっ。ヴィ、ヴィーザル?」


扉の先には、薄着のヴィーザルがいた。泣きべそ一歩手前のマグニの顔を見て、何かを察したのか、「入れ」とマグニの手を引いて中に引き入れる。

訳も分からぬままに部屋に招かれ、その内装を見てマグニの涙はひっこんだ。まるでどこぞの宮殿の寝室をそのまま引っ張ってきたかのような、豪華絢爛な部屋だ。

天蓋とカーテンがついた寝台、顔が映るほど磨かれた黒のチェスト、お姫様が使いそうなドレッサーに、翼獅馬を模したガラスのテーブルや、大きなクローゼット。

壁にはレリーフや絵画が飾られ、マナ・クォーツで彫られた、どこかで見た事のある偉人の像がでぇん、と居座っている。


「す、すごい部屋……ここ、ヴィーザルの部屋?」

「うむ。まあかけろ。水と果物を出してやる」


ヴィーザルはするする、と柔らかな床を音もなく歩き、大きなクッションの上にマグニを座らせた。お尻がずるるっと飲み込まれるほどの、柔らかなクッションだ。チチフもクッションの柔らかさが気に入ったのか、ぽいんぽいんと跳ねる。

一方でマグニは困惑していた。先程、解体部屋であれほど素っ気ない態度を取った少年が、今は自分で手ずから水差しで水を入れ、瑞々しい果物まで渡してくれる。本当に同一人物なのだろうか。

「ありがとう」と水の入ったコップと果物を受け取ると、ヴィーザルが「先程はすまなかったな」と言葉をいきなり切り出してきた。マグニが呆気にとられると、「解体部屋で声をかけてくれただろう」と続ける。


「あの時は大勢ヒトがいたのでな、ついあのような態度を取ってしまった。余は故あって、身の上を忍んでおるのでな、親しい者がいると気取られるわけにはいかなかったのだ。すまなかった」

「あっい、いや!大丈夫だよ、確かに驚いたし、悲しかったけど。嫌われてるわけじゃなくて、良かった」

「誰が汝を嫌いなどするものか!……すまない、余はどうも言葉遣いも態度も圧が出てしまうらしい」


差し出された、真っ赤なベルストロの実を頬張る。掌市場でもなかなか見かけない果実だ。

掌くらいの大きさで、瑞々しく、口に入れると甘くて酸っぱい果汁が口の中でじゅわあっと広がる。チチフなんかは、頬張った瞬間に目をきらっきらに輝かせ、チャムチャムチャム……と凄まじい勢いで囓っている。

気に入ったようだな、とヴィーザルは目を細め、これも食え、これも美味いぞと、掌に次々のせてくる。


「昼間、森では言わなかったが、実は余は高貴な身の上なのだ。おそらくそなたが余の真の名を聞けば、ひっくり返って気をやってしまうほどかもしれん」

「(なんとなくそんな気はしていました)」とはいえず、マグニは黙って話を聞く。


「何を隠そう、余が属する国はクラインとは敵対しておってな、おいそれと本当の身分を明かして歩き回るわけにはいかぬ。

だが、余には余の目的があって、冒険者になりすまし、この地に来た。冒険者であれば、たとえ敵国の生まれだろうと犯罪者だろうと、ギルドが身の安全を保証してくれるのでな……」

「そっか。ヴィーザルも大変なんだね。……その、目的って聞いても良い?」

迷宮深殿ビフレストだ」 躊躇いなくヴィーザルは即答する。

「余はこれまでにも三度、迷宮深殿を踏破してきた。小さいものばかりではあるが、どれも興味深い謎に満ちたものばかり。

余の目的は、迷宮深殿の謎を解き明かすことだ。近頃は迷宮深殿こそが、このファンタジアの地を清浄の地に変える神の意思である、などと騙る教団も現れているらしい。

本当に迷宮はファンタジアを清浄に導くものなのか。何故、どのようにして不浄の迷宮は生まれるのか。その仕組みを、そして生み出すものがいるならばその思惑を知りたい」

「……すごいや。僕、そんなことちっとも考えたことなかった」

「物事にはすべからく疑問を持って生き、謎を解くために奔る。それが余の生き方だ。

疑問を持ち、謎を解き、知識を得るごとに、余の生き方は広がる。汝も常に世の中へ謎を問いかけてみるといい」


謎を問いかける、と言葉を反芻する。

歳もさほど変わらないのに、ヴィーザルはまるで千年を生きる魔術師のような風格がある。

だからだろうか、見た目が幼い少年だとしても、まるで軽んじられることなく、周りの大人たちも彼を尊敬して受け入れているように見えたのは。


「……うむ。余が話してばかりではつまらぬな。マグニ、何故ここに来た?迷子になるにしても、ここまで迷い込んでくるとは中々筋金入りの方向音痴だぞ」

「うぐっ、そうだっ、ゆっくりしてる場合じゃなかった。実は僕、今日ギルドに仮免許を登録したばかりなのだけど……」


マグニはチチフを撫でながら、この場に来た経緯を説明する。

ヴィーザルは話を聞くと、笑い出すのを堪えてか、少し震えながら「そうか、冒険家な相棒だな」と相槌を打つ。


「ならばその仲間とやらも心配していよう。今日のところは帰り道を教えてやる」

「本当?ありがとう!」

「うむ。代わりと言っては何だが、……暇があれば、いつでも余の部屋を訪ねてまいれ。汝の話は全く退屈せん」

「う、うん!でも、行き方忘れちゃうかも」

「心配ない、ギルド証がこの部屋を記録している。ギルド証を昇降機に掲げて余の部屋の番号を唱えれば、すぐにこの部屋がある回廊まで来れるはずだ」

「すごい!本当に便利だなあ」


その後、マグニはヴィーザルに連れられ、見覚えのある露市場の方まで戻ることが出来た。

「ではまた、明日会えたら。おやすみ」と告げられ、ヴィーザルはまたたくまに人ごみの中へ消えていく。

その背中を見送っていると、「いた!何してんのよマグニ!」とヴィオがマグニの背中へドンッ!と体当たり。うお、とよろけつつ振り返ると、ヴィオはすっかり頬を膨らかせて見上げてくる。


「今日はよくよく迷子になる日ね!あなた迷子の才能があるわよ」

「ご、ごめんよ。チチフが迷子になってたから探してたんだ」

「ふぅん。まあ良いわ、貴方が消えて

「へ?」


吹き抜けの中央で宙ぶらりんに浮かぶ、巨大な時計を見やった。

その時計は、マグニが皆とはぐれてから、5分とも経っていない時間を指していた。

とても奇妙だ。ヴィーザルの部屋には20分近く居座っていたというのに……。

ぽかんと時計を見上げていると、コウ・リウランが「いたいた!」と手を振って手招きする。


「オー!良かっタ良かっタ、ご無事デ。このギルド・インで迷子になったガ最後、うろついてる魔獣に喰わレることモあるから心配しまシタよ」


首を傾げつつ、ガルムとステラの元に戻り、「心配かけてごめんなさい」と頭を下げると、ガルムはスン……と急に鼻をひくつかせた。

そして、やおらマグニの手を掴むと、片手をあげさせて、頭や脇腹やらをすんすんと嗅ぎ始めたではないか。

「ちょっと、何してるのよ!」とややヒいているステラとヴィオには一瞥もくれず、「お前、どこにいた?」とマグニに問う。


「へっ、あ、友達と一緒にいました。迷子だったところを助けられて……」

「……ふん。昼間言ってたやつか。妙に気取った匂いだな」

「そ、そうでしょうか?」


ガルムは普段以上に不機嫌を醸しだし、むっすりと黙り込んだ。

四人の部屋に戻ってコウ・リウランに別れを告げた後も、ガルムの眉間の皺は深いまま。

しまいには、「おい小僧、ちょっと来い」と手招きすると、無警戒に近寄ってきたマグニをがっしりと抱き込むや否や、マグニの小さな頭頂部に頭をゴリゴリゴリゴリ!と勢いよく擦りつけ始めたではないか!


「あいだだだだだだっ!?潰れるっ!ガルム様、頭が潰れちゃうっ!?!?」

「貴様が鼻の曲がる匂いなぞつけてくるからだ、俺様の匂いで上書きせんと示しがつかん。……これで良し。次、ヴィオ。来い」

「やだーっ!絶対痛いやつでしょ!ロボ様ならまだしも、オッサンの体臭なんかつけられたくない!」

「俺様はオッサンじゃない!」


逃げ惑うヴィオ、のしのしと追うガルム。

荷を広げながらステラは「バカやってないでこっちを手伝いなさいよ!」とガルムを叱り飛ばし、耳をむんずと掴んで引き離す。

そしてお決まりのように口喧嘩が始まって、賑やかな夜はゆっくりと更けていくのであった。


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