37話 ディアファン
日がもうじき暮れるという頃。
一行はようやく、大きな赤茶の壁に囲まれた町、ディアファンへと足を踏み入れた。
関所には長い列が出来ていたものの、ガルムとステラが門番にギルドの証明書を見せると、あっさりと中に入ることができた。
空は暗くなり始めているにも関わらず、松明やランタンが等間隔に飾られてあかあかと照らされ、華やかな空気に満ちている。美味しそうな肉料理や酒の匂いが、大通りから漂ってくる。
コマタよりも格段に人や建物が多く、なにより活気が感じられた。大きな町に入るなんて久しぶりのことで、マグニとヴィオレッタはすっかり、おのぼりさん状態。
「大きな町ねー。クラインの領土ってところが癪だけど、良いところじゃない」
「キョロキョロするな、みっともない。冒険者ギルドはこっちだ、着いてこい」
「マグニ、こっちよ。離れないでね」
「はいっ!ヴィオレッタ、手繋ぐかい?」
「子供扱いしないでよねっ!これで離したら承知しないからねっ」
冒険者ギルドは、ディアファンの中でもひときわ大きな建物だ。
頑丈な石と煉瓦で建てられ、冒険者ギルドの象徴である、ランタンと短剣のシンボルが看板として掲げられている。
知った顔とばかりガルム達はギルドの扉を開けると、いくつも並ぶ受付の一つに並んだ。マグニたちも背後から着いていき、ちらっと受付の看板を見やった。
古ぼけた看板には、「冒険者・戸籍登録受付」と書かれている。
「次の方、どうぞ」
「戸籍と雇用登録がしたい。二人だ」
「承りました、では書類を全て記入してお待ちください」
受付の女性は、てきぱきと大量の書類を用意するや、ガルムに手渡した。かなりの分厚さだ。全て記入するとなると、それなりに時間がかかってしまうだろう。
マグニは興味津々に、書類を覗き込んだ。戸籍登録、健康診断の実施、ギルド保険登録の勧め、職種適性の案内……見慣れない単語がぞくぞく出てくる。
ガルムは辟易した顔で、一枚ずつぱらぱらとめくっていく。
「ステラ、半分手伝え。書類仕事は嫌いだ」
「字が汚いこと気にしてるだけでしょ。マグニ、ヴィオレッタ。暇だろうから、適当なところを見て回ってていいわよ」
「あの、僕も手伝います。分かる所だけでも書くので……」
「私もやるわ!二人に任せっきりには出来ないもの!」
「なんだ。ヴィオレッタはともかく、マグニは読み書きできるのか」
「奴隷という身ではありましたけど、エラブッタ様が勉強させてくださったんです。読み書き、そろばん、歴史、礼儀作法も教わりました」
言いながら、書類の一枚に手を伸ばし、羽ペンを手に取る。
名前、性別、身長、年齢、生誕日、種族名、出生国、来歴、病歴、エトセトラ。かなり書くことは多そうだ。
分かる所から次々と書き込んでいく。ギルド一階の点在するテーブルを占領し、四人で黙々と書類の空欄を埋め込んでいく。
「ヴィオレットの名前は、そのままだと疑われかねないな。いっそ偽名を作ったほうがよさそうだ。何が良い?」
「じゃあ、ヴィオがいいわ!名前は極力変えたくないもの。ヴィオなら結構ありふれた名前だから、気づかれにくいんじゃない?」
「なるほど。ヴィオ、十歳。父ガルム、母……おいステラ、あとでコレ提出しとけ」
「えーとなになに、冒険者婚姻とど……ちょっと!?」
ステラが顔を真っ赤にして、ガルムから書類をひったくった。
書類には「冒険者婚姻届」と橙色のインクで印刷されており、夫の項目はしっかりガルムの字で署名済みであった。
「(用意周到だな、ガルム様)」という言葉をマグニが飲み込む横で、「用意周到ね、ガルム」とヴィオレッタがじとっとした目で見やりながらぼやいた。
そんな二人の視線などお構いなしに、またもガルムとステラの痴話喧嘩が勃発。
「あのっ!ここに書いてあることの意味、ちゃんと分かって書いてますッ!?」
「当たり前だろう、たわけめ」
「おおおおお気持ちは嬉しいですけどッ!あなた、今度こそ兄様に八つ裂きにされますよッ!?」
「あのな、なんでそんなに騒ぐか知らんが、これはマグニとヴィオの冒険者登録に必要なことだ。
未成年の冒険者登録は「親」の許可が必須だろ、だから二人とは養子縁組しなきゃならん。だが養子縁組は冒険者が両者ともに、夫婦間でないと成立せんって書いてある。妻役が出来るのはお前だけじゃないか」
しばし、間。
立ち上がったステラは、すぅっと無そのものの真顔になると、すとんと椅子に座り直した。
「………………あ、ああ、そういうことね。あなたの場合、どこまでが本気なのかわからないから反応に困るのよ……」
「えっえっ。養子?」
あまりに会話の展開が乱高下。マグニもこれには開いた口が塞がらない。
養子?流石に寝耳に水もいいところだ。そもそも、養子縁組を組むなんて理由で、こんな形であっさり結婚していいものなのか?
横で聞いていたヴィオレッタも、目玉が飛び出るほど飛び上がり、チチフをぎゅっと抱きしめながら「ちょっと!そんな雑な理由で結婚していいと思ってるの!?」と喚き始める始末。
「仕方ないですねっ、マグニのお母さん役になる、と言うことなら、よしとします」
「よくなーいッ!好き同士もでないのに結婚なんてダメダメッ!ムードなさすぎ!
だいたいプロポーズは!?飾り嫁は!?結婚式は!?」
「この
「おい今何と書いて何つった」
「あら、そんなに耳が大きいのに聞こえなかったの?最初からプロポーズも結婚式も、期待なんかしてないわって言ったのよ。どうせ暫くしたら破棄しちゃうんでしょ」
「私は断固反対!こんな最悪に愛のない結婚なんて、ぜーったい認めませんからッ!ほらっマグニとモルトーからも言ってやんなさいよっ!」
『そ、そうですねえ、見習い登録からするってのはどうです?それなら格安で登録できやすし、二人にゃ研修だって必要でしょう!そこから自力で冒険者免許を取得してもらうって手もありですぜ!ねっ!』
「む。そうなると暫く、このディアファンに滞在せねばならんだろうが。マグニ、お前も俺様との養子縁組に反対するのか?」
「え、えっとぉ」
ちら、とステラやヴィオレッタに視線を向けた。
二人とも、視線が真冬の氷柱のように凍てついたもので、このテーブルに座っているだけで身震いしてしまう。
「ぼ、僕も、モルトーさんの方法に賛成です。お金が安くすむならそれに越したことはないですし、僕は自力で冒険者になれるって、認められたい、です」
「…………、そうか」
その言葉を聞くと、ガルムはようやく納得したようで、養子縁組の話はお流れに。
だがステラがしれっと、記入済みの婚姻届を小さく折りたたんで懐にそっと仕舞ったのを、モルトーとチチフは見逃さなかった。
「そういえば、お二人の種族って何て記入したんですか?」
「俺様がウルラン人のアリマニア族、ステラはプランタ人のアルボル族だ。一番それらしい種族なら相手も疑わんだろう」
「マグニと私は、エルー人の子供、とかどうかしら。イリスに近い姿をしているもの」とヴィオレッタ。
「じゃあエルー人っと……男性……14歳……」
「14ん!?お前、14にしては少し小さすぎだ!年齢も盛っとけ、馬鹿にされるぞ。17とかにしとけ」
「さ、流石に年齢まで偽装するのは……あれ、チチフ?モルトーさん?」
ふと、チチフの姿がないことに気づき、マグニはきょろきょろと視線を彷徨わせる。この雑多で酒臭いギルドの中で、あの小さいチチフを見つけることは至難の業だ。
ガルムは「その辺でも散歩でもしてるんだろう。すぐ戻ってくるさ」とマグニの頭をわしづかみ、書類に視線を向け直させる。
やいのやいのと言い合ううちに、全ての記入が終わる。書類を提出すれば、五日以内に戸籍が取得できるとのことだった。
だが問題が一つある。健康診断だ。
近頃は暗黒地帯から帰還した冒険者が、数々の未知の病気を持ち込んでしまうこともあるのだそうだ。
よって加入時と半年に一回は、必ず医療ギルドにて健康診断も受けねばならない、とある。
「どうしましょう、僕イリスってばれちゃいませんか?」
「こればかりは致し方ない、幻姿術で誤魔化すしかないな。幸い、俺様たちもばれることはなかったし」
「使ったの?健康診断で……高位魔術のひとつとされてる幻姿術を……?」
横でヴィオレッタは驚くやら、呆れるやら。
「幻姿術なら任せて。エルー人の特徴なら覚えてるから、一番それらしい姿にしてみせるわ」
こちらもどうにか切り抜けることが出来た。ステラの幻姿術は、大抵の人にはばれないとのお墨つきであったらしい。
幸い服を脱がされることもなく、二人とも問診と軽い触診、身長や体重を計測するだけで終わった。ただし、「年齢の割に軽すぎます、食事はしてくださいね」とやや刺々しい指摘は受けてしまったが……。
やることはまだ多い。ギルド保険の前金支払い、初期装備品の申請、貸金庫の申請、諸々。
「後は……職種適性の案内?って、なんですか?必ずしも必須ではない……て書いてありますけど」
「一言で言うなら、戦闘の際の役割、そして就職する際に適正のある職を采配してもらうんだ。そいつ自身の能力に即してな。
例えば俺様は剣士あるいは拳闘士、ステラは戦導術師や癒師、といった具合だ」
「成程。僕は……どうしよう、あんまりどれもぴんとこないや……」
「私は間違いなく戦導術師ねっ!癒やしの術は苦手だもの」
「どのみち、必ず受けろ。俺様たちはある程度どんな役割も務まるが、お前は先に伸びしろを知っておく必要がある。鍛錬の内容を変えねばならんかもしれん」
「わ、分かりました。でもちょっと怖いんで、一緒に受けていただけますか?」
「せっかくだもの、私達も適正、見てもらいましょ!」
「俺様は万能だ、わざわざ受ける必要もな……おいこら、押すな、押すなバカッ!」
ステラはニコニコ笑って、有無をいわさず、ガルムの背中を押しギルドの二階へと上がっていく。
苦笑いしつつ、追いかけるマグニ。階段を上がる際、ふと視線を感じて振り返る。
そこには、場違いな少女が一人ぼうっと突っ立って、マグニを見上げていた。
鱗粉をまぶしたような白い髪に、黒い眼窩には緋色の瞳。どこか気品のある整った顔だちには、耳の代わりに鮮やかな蝶の翅がハタハタとはためく。
「(あの子、ザベン人?綺麗な人だな……)」
ザベン人は、蝶の翅の耳を持つ人種だ。その耳の美しさ故に彼らを乱獲しようとする人売りも多く、一方でその耳には、猛毒の鱗粉があるという話だ。
少女は質の良い絹のドレスを一着身にまとうのみで、靴すらも履いていない。視線があうと、マグニへふっと笑みを向ける。
誰かの連れだろうか。周りは少女を気にも留めない。
すぐに「マグニ、早く来い」とガルムに呼び立てられ、反射的に視線をそらし「はいっ!」と返事する。
気になってもう一度視線を戻した時、もう少女の姿はなかった。
「チフ!」
「あ、チチフ、どこにいたんだい。勝手にいなくなっちゃだめだよ」
『すいやせんね坊ちゃん、チチフが「お腹空いた」ってんで、あちこち走り回ってたもんで……』
鳴き声につられ、視線を下ろすと、チチフが階段を駆け上がってくる。
冒険者たちから食べ物でも貰ったのか、口元が食べかすだらけだった。
「食いしん坊め」と笑って、チチフの口元を拭ってやり、マグニはガルムたちを追いかけ、二階へと上がった。
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