23話 竜との激闘


視点を戻し、迷宮深殿の深部。

震源地たる荒野では、たえず炎が空気を轟々と焼き、噴射された滝の如き水流が爆ぜて、一切合切を薙ぎ倒さんと爆風が渦巻いていた。

渦中に対敵するは、水女竜メリュジーヌとガルム。メリュジーヌがグバリ、と裂けるほど大口を開け、巨大な水球が口から放たれる。豪速で放たれる水砲を、ガルムはなんでもない顔で軽やかに跳び、身を捩らせ、目にも留まらぬ素早さで、次々と避けていく。そのたびに空気が唸り、水撃は地を揺るがし穿つ。

衝撃を伴い大穴を開けるその威力。まず間違いなく、直撃すれば肉も骨も微塵に砕かれることに違いなく。だのに、ガルムの表情には恐れも怯みも焦りもなく、寧ろ楽しげに牙を剥く。


「どうした竜よ、その程度か!芸のない水鉄砲や水遊びごときで倒せるほど、この俺様はヤワじゃないぞッ!さあもっと撃ってこいッ!」

【キシャアアアアアッ!!】


竜は唾を吐き散らしながら、怒号を上げてガルムの眼前まで突貫し、両腕を鞭の如くしならせて、竜の鉤爪を振りかざす。その爪ひとつひとつが、岩を布のように引き裂く威力だ。けたたましく甲高い音と共に、次々と荒れ地が凹み、砕かれ、地形がみるみる変わっていく。弾丸の如く飛び交う岩の瓦礫を掻い潜り、ガルムも威嚇のような咆哮を上げ、レーヴァティンを手にメリュジーヌの首を狙う。

瞬きひとつも出来ぬほどの攻防戦。マグニとステラは少し離れた高所から、見下ろす形で見守っていた。とてもじゃないが、彼らの戦いに割って飛びこむ余地などない。瓦礫の雨と業火によって、たちまち肉片すら残されないほどに叩き潰されてしまう。


「(す、すごい戦いだ……!竜を相手に、対等に渡り合ってる!一番弱いとされている小火竜サラマドーラですら、経験豊富な兵士200人くらいで、やっと討伐出来るって位の強さなのに……!)」

「マグニ、あんまり身を乗り出さないで!レーヴァティンの飛び火を喰らうわよ!」

「レーヴァティン?あの杖のことですか?」

「注がれたマナの分だけ、強力な炎を放つよ。ガルムはあんな玩具でも振り回す風に使っているけど、使い道をひとつ誤れば、大地を一ヶ月は燃やし続ける程の消えない炎を放ち続けるの。……あんな炎を喰らって、ずっとケロっとしているあたり、竜は竜といったところかしら」


ガルムが反撃に出る。杖を剣の如く持ち替え、深紅に輝く鋭い刃先が炎を纏う。

メリュジーヌが尾で薙ぎ払わんとするも、縄跳びの如く軽々と跳び越え、枯れ木や岩肌を蹴り上げながら、巨体のメリュジーヌの体に肉薄。太ましい上体にぶらさがる巨大な乳房──否、乳房のように連なる、鎧めいた奇妙で大きな鱗、その隙間へ力任せに刃を突き立てる!胴を覆う鱗の隙間から炎が迸り、メリュジーヌは苦しげな慟哭を上げて、しなやかな腕でガルムを力任せに殴りつけて振り払う。


「っく!」

「いけない!暴風の網ルアネィラ!」


吹き飛ぶガルムの体を、ステラの杖から発された強風が包んで抱き留める。すかさず体勢を立て直す間にも、ガルムの視線はたえず竜へと向けられている。

メリュジーヌの顔が、ビキビキと骨を砕く音と共に変形していく。皮膚が薄皮の如く剥がれ落ち、頭部はより爬虫類的な顔に、目は燃え盛る金の炎を宿し、胸部の鱗は鎧の胸当ての如く形を変え、グロテスクな下半身にも青い鱗がびっしりと生え替わっていく。

「シャアアアッ!」と掠れた咆哮を伴って、己が身でとぐろを巻くと、その全身から奇妙な赤い靄が立ちのぼる。靄はまたたく間に周囲へ広がり──刹那、尋常ならざる重量となって、一瞬で岩を真っ平らに押し潰し、地表に亀裂が走る!ガルムは瞬時に身構えるが、凄まじい重圧によって体が固定されたかのように、その場から動けなくなってしまった。靄が放つ重圧は、宙に浮かぶステラ達にも及び、風の結界を潰さんとする!


「チフーッ!チフチフチフッ!」

「うわああッ!?かっ体が、お、重たいッ……!?」

「重力魔術!?とんでもない質量の虚マナで、結界ごと私たちをすり潰そうとしてる!雑だけど、竜だからこそ出来る荒技……!でも、簡単に潰されてたまるもんですか……!根比べといきましょ、メリュジーヌ!」


やにわに、ステラの杖が緑色の閃光を放ち、地に吸い込まれる。直後、土と岩で築かれた巨大な手が生え、力任せに赤い靄を薙ぎ払う。振り払われた赤い靄は再び集合すると、巨大な竜のあぎとを模した姿に変わり、土の腕を噛み砕かんと襲いかかった。土と岩の両腕ががっしりと巨大な靄の顎に組み付き、可視化された重力と地のマナによる力比べが繰り広げられる。


「【砂の嘆き、岩の怒り、母なる地の悲しみを知るがいい!汝の骸は土に迎えられることはなく、塵芥に砕かれるのみ!】」


ステラが杖を握る手を前方に翳し、素速く呪文を唱えると、荒れ地から次々と巨大な腕が生え伸びた。数多の腕が靄の顎に次々絡みつき、たちまち地へと組み伏せる。

暴れ悶え狂う靄の塊に、無数の無機質な腕たちが続々圧しかかっていく。靄の顎が必死にガチガチと牙を鳴らして暴れては、土の腕を片っ端から噛み砕き、咀嚼する。腕を喰らった分だけ靄の竜はどんどん膨張し、顎から喉が、喉からずんぐりとした蛇の如き胴体が生えていき、やがて土の腕と拮抗し始めた。

ステラの額に汗が伝う。まるで大地そのものが、竜と戦うかのような、壮絶な光景が繰り広げられる。


「くっ!マナそのものが意志を持って、こっちのマナを喰らって成長してる……なんてデタラメな力なの!このままじゃ、マナのじり貧だわ……!」

「ステラさん、しっかり!そうだ、僕のマナを使って!」

「そんなことしたら、貴方が倒れちゃうわよ!」

「きっと大丈夫だから!僕を信じて!!」


マグニがステラの手に己の手を重ねる。ただ少年はがむしゃらだった。ガルムと体をリンクさせた時の感覚を思い出し、ステラの手を通して、自身の体の内にある、マナを送り込むイメージを描く。

途端、少年の銀色の瞳が、若草色に煌めいた。掌からもマナが緑の光を伴って、ステラの体に、そして杖に注がれていく。すると杖を通して、土の腕たちがマナを纏い、より力強く、より俊敏な動きで靄の竜を力任せにねじ伏せる!動けない靄の塊を腕たちがみるみる集合して圧縮していき──グシャッ!と重々しい音と共に、重力の靄は消失し、ふっと空気が軽くなるような感覚が辺りを包んだ。


「やった!倒せた……!!」

「(マナの循環と譲渡を自力で学習したというの!?しかもこれだけのマナを使ってケロッとしてるなんて)……これだけのマナを使った今なら……ガルム!」


重力の枷から解き放たれたガルムが、上を取るべく跳躍し宙に舞う。

すかさずステラが呪文を放ち、岩で出来た鎖でメリュジーヌの巨体をがんじがらめにする。身動きを封じられた竜に向け、レーヴァティンの刃先を振るう。


「水女竜メリュジーヌ──その首、貰い受けるッ!」


一閃。首を断つ音すらもなく、メリュジーヌの首と胴体が綺麗に分かたれた。深紅の噴水が断面から放出し、みるみる辺りを真っ赤に染め上げ、沈めていく。激流に巻き込まれる直前、岩の鎖がガルムに巻きついて宙へ引き上げ、ステラが抱き留めた。

首を失った巨体がドロドロと溶け出していき、水となって消失していく。灰色に広がる空がどんどん暗くなり、やがて土砂降りの雨が降り出した。雨の中、周囲の荒れ地は深紅の水を吸って、みるみると巨大な湖と、色鮮やかな森へと変貌していく。

新たにうまれた巨大な湖の湖面が、やおらブクリと膨張した。天を衝くほどの水柱が三人の前に聳えたち、ぐねぐねと姿を変えて色づいていく。サクラ色の髪、白い肌、そして黄金の如く煌めく瞳。僅かな光を取り込んだ豊満な肉体の内側は、血の色が混ざり毒々しく濁っている。見る者の目を奪うような美しい顔立ちは、激しい怒りの色に満ちていた。

マグニはその顔を見て、息を飲む。


「(! さっき、湖の水面に映っていた……もしかして、この人は、いや、この子は……!)」

【─────待っていたのに】


女の唇が動いた。その声は、迷宮のどこにいても聞こえる程の声量で、そして怨嗟に満ちていた。

迷宮の一帯が、まるで女の怒りに怯えるかのように静まりかえる。雨の音ばかりが周囲に響き渡る。

怒りをたたえた視線は──真っ直ぐ、ガルムへと向けられている。


【彼の言葉を信じて、貴方を待っていたのに。貴方が迎えに来てくれるって、信じてたのに!】


吼える声は暴風となって、木々を揺るがす。ザアアッと雨は激しさを増し、湖面と森とマグニたちの肌を叩き殴る。

飛ばされないよう、結界の中で足を踏ん張るだけで精一杯だ。ただ一人、微動だにせず見上げるガルムの巨体にしがみつき、ぐんっと近づいた巨大な顔と睨み合う。


「誰だ貴様は。名くらい名乗れないのか、迷宮の主」

【私を探しに来てくれるんじゃなかったの!?私に会いに来たんじゃなかったの!?私を愛しているんじゃなかったの、王様!許せないッ!私を忘れるなんて許せない、許せない、絶対に許さないッ!】


女の体内で巡る、どす黒い赤色が、巨きな双眸からボロボロと粘性を伴って降り注ぐ。血の雨が足元の森や草原を腐らせ、枯らして、また荒涼とした荒れ地へと変えていく。

ぐあっと女の両手が振るわれ、宙に浮かぶ三人を叩き落とそうと構える。ガルムはレーヴァティンを、ステラは杖を振るって応戦しようとする。

──このままではいけない!マグニは女の目を見て、はっきり轟く声を張り上げた。


「待ってくれ、ヴィオレッタ!この人は君の王様じゃないッ!!」


寸でのところで、ぴたり、と女の手が止まった。

きょとり、と大きな目がマグニを見据える。今まさにレーヴァティンを振るおうとしたガルムも、瓦礫の雨を降らせようとしたステラも、訝しむ目でマグニを見た。

女はやや間の抜けた顔で、キョトキョトとガルムとマグニを見やる。


「この人はガルム!よく似てるけど別人だ!ヴィオレッタ、君なら分かるはずだ!」

【……王様じゃない……?……あ……確かに、顎と耳の形が、ちょっと違う……】

「だ、だろ!僕たちは敵じゃない!君が苦しんでるなら、僕は君を助けたい!僕たちと話をしよう、ヴィオレッタ!君たちの身に何があったんだ!?」


ふ、っと女──ヴィオレッタから、殺意が消えた。雨足も徐々に和らいでいき、血の涙から色が抜けて、ただの水に変わっていく。

何が何やら、という表情のガルムとステラをよそに、ヴィオレッタはじっと三人を見つめ──両手で優しく、三人を包み込む。結界が水に溶かされるように消失し、水中に三人は放り出された。


「ッ……!?」

【話すより、見せるほうが早いわ】


流されそうになるチチフを急いで抱きしめ、ガルムとステラが、マグニの体を抱きかかえた景色を最後に、ブツンと意識が途切れた。


──眠っていた時間は、僅かかもしれない。はっと目を開けると、そこはヴンダー遺跡であった。

ヴンダー遺跡の周囲には、クライン国の鎧を着た兵士達たちがいた。見慣れない装備を身につけた者たちもいる。

彼らはヴンダー遺跡の壁にぐるりと取り囲むようにして、ひと組の男女を追い詰めていた。モルトーとヴィオレッタだ。

ヴィオレッタは、マグニが最後に見た時よりも、もっと成長していた。先程の水のヴィオレッタに近しい外見で、ダダナランの鎧を身につけている。モルトーもまた武装していたが、全身血まみれで、彼の足元には何人もの兵士達が倒れている。その中にはダダナランの兵士達の姿もあった。

後方に控えている、豪奢なローブを身に纏ったポリマン人の男が、感心とばかりに顎を撫でさすった。


「存外頑丈だな。流石はダダナランの近衛騎士団長というべきか。これだけの数の兵士を前にして、王妃に傷ひとつ付けぬとは……」

「控えろ、下郎共ッ!この方が何者か心得ての狼藉か。クライン国はダダナランを敵に回したいのか!?答えろ、ノルシアガル!」

「やれやれ、一国の宰相を前にして、口の利き方も忘れたか。これだから、イリスだのキュバスだのを庇護しようとする蛮人の国は好かん。国王は何を考えて同盟を結ばんとしていたのやら……」

「黙れッ!王妃を狙ったこと……我が王が知れば只では済まさんぞ!」

「おうおうおう、おっかないのう。では知られる前に、貴様らも徹底的に消さねばなるまい?」


「やれ」という声がかかった刹那、兵士達が一斉に飛び掛かる。だがモルトーは歯を食い縛り、襲い来るクラインの兵士達を次々と斬り伏せ、投げ飛ばし、肘だの膝だのを顔や急所にめりこませ、たった一人で立ち向かう。背後で怯えるヴィオレッタに、血飛沫ひとつすら降りかからせはしない、といわんばかりの気迫。

自国の兵士が次々倒されているというのに、ノルシアガルと呼ばれた中年のポリマン男は眉一つ動かさない。むしろ憐れみと愉悦をたたえた笑みを浮かべている。


「哀れな男だ。とっくにお前達も、お前達の国もというのに……」


マグニはただ、見ているしか出来ない。体が動かない。視線すら動かせない。

全身が岩のように硬直したかのようだ。やめろ、と叫びたくても、声すら出ない。側にぼんやりと、ガルムやステラの気配があることくらいしか分からない。

ただ、モルトーが単身、兵士達を相手に孤独に戦う姿を、見ているしか出来なかった。

だが一瞬だけ、ヴィオレッタが悲しみと絶望に満ちた瞳で、こちらに一瞥したような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る