(5)囚われた者、囚われなかった者
夜空は曇り、星も月も見えない。
どろりとした暗闇を、タクシーはかき分けるようにして走る。
悧月と柊士郎は、虎ノ門に向かっていた。
「剣、今のうちにわかったことを聞かせてくれ」
悧月の質問に、柊士郎が口を開く。
「千代見姫について調べるため、憑捜の京都支部局と連絡をとった」
憑捜は、東京以外は京都のみに置かれている。
「平安の情報は、あっちの方が充実してるからな。それでもだいぶ苦労したようだが。……千代見姫は皇族の血を引く、有力貴族の姫君だった」
千代見姫は、美しく高貴な姫だった。当時の親王の妃となって寵愛を受け、幸せに暮らしていた。
ところが、親王が呪詛される事件が起こり、犯人は千代見姫だと告発される。
千代見姫は身に覚えがないと訴えたが、『やっていない証拠』など出せようはずもない。姫はすでに身ごもっていたにもかかわらず、怒った親王の訴えで帝によって武蔵国に配流され、幽閉された。
「その呪詛の犯人が、高鳥家の先祖である陰陽師らしい。有力貴族におもねるために、忖度して勝手に千代見姫に罪を着せたんだ」
姫の幽閉生活は、日々の食べ物にも苦労するような、ひどいものだったらしい。
月満ちて、姫は産気づいた。
当時は出産といえば、経験のある女性が手助けをしたものだ。ましてや高貴な姫なら何人もの女性がそばにつき、僧たちの祈りの中で産んだものだが、幽閉されている姫には下女一人くらいしか頼れる者もいない。
苦しみ抜いた末、ある日の明け方、姫は女児を産み落とした。
しかし、その女児はひと声、ふた声泣いただけで、動かなくなった。
『朝に生まれ、夜を知らずに儚くなった我が子を「星見」と名づける。高鳥の陰陽師、末代まで、夜の眠りに安寧はないと思え』
姫は下女に言い遺し、辞世の句を残す力もなく、そのまま力尽きたという。
「それから間もなく、親王は変死。謎の落雷や火事が起こったり、高鳥の血筋の陰陽師が数人、死んだり大怪我をしたりした。千代見姫の祟りだと噂され、姫と姫の子を鎮めるために武蔵国に建てられたのが、雛菊神社だ」
怨霊が鎮められ、死と不幸の連鎖はおさまった。
「それから数百年か……」
悧月がつぶやく。
「雛菊神社の儀式が忘れ去られた一因は、おそらく、ごく少ない人数で秘密裏に儀式を続けてきたせいじゃないかと思う」
「まあ、秘密にするよな。お上にまで影響したかもしれない怨霊を、高鳥家が生み出しちまったんだから」
「うん。何百年も経てば、儀式の意義も薄れる。これでも保った方かもな。そして、改暦の混乱で何か行き違いがあって、とうとう途切れたんだろう。千代見姫は明治の世に目覚めてしまった」
「その頃から怪異が増え始めて、陰陽寮の代わりに憑捜が組織されて……作家先生も言ってたが、怨霊は悪いものを引き寄せる。仇を探して帝都をさまよう姫が、怪異を引き寄せたのかもしれないな」
納得した様子で、柊士郎は続ける。
「明治の世の半ば、高鳥秀一の祖父が変死している。しめ縄を張り巡らし、奇妙な祭具が並んだ部屋で死んでいたらしい」
「姫を警戒して結界を張っていたが、とうとう発見され、突破され殺された。そんなところか」
「しかし、その直後、とある女性が身内を皆殺しにして自害する事件が起こった。以来、『憑き病』と呼ばれるようになったんだ」
「陰陽師の血筋ではない、一般人だよな?」
つぶやいてから、悧月は腕組みをした。
(高鳥秀一の祖父を殺したのに、千代見姫は成仏せず、一般人を殺すようになった。つまり姫は、高鳥秀一の祖父を殺した時に囚われ、操られるようになった……?)
「お、作家先生、そろそろじゃないか」
柊士郎が窓の外に目を向ける。
タクシーは、華族の屋敷街に入っていた。
ぱっ、と悧月は顔を上げる。
「運転手さん、ここで下ろしてください」
運転手が車を止め、悧月と柊士郎は暗い通りに降り立った。
走り去る車の音を背に、高鳥家へと急ぐ。
立派な門構えは、まるで門だけで一軒の家のようだ。正面まで来ると、悧月はすぐに柊士郎に言った。
「剣、ほら、呼び鈴を鳴らせ。『憑捜ですが大丈夫ですか』って入るんだろう」
「もう⁉ 様子を窺うとかナシでか⁉」
「様子はもう、おかしい」
悧月が門をにらみ、柊士郎もつられて門を見つめた。彼もまた霊感持ちだ。
「……本当だ。この家の中の一か所に、何か異様なものがある」
(いや、それだけじゃない)
悧月の額に、汗がにじむ。
(この家、元々、何かおかしいぞ)
彼は夜空を見上げた。
帝都の空は曇っている。しかし、高鳥家の空を覆っているのは、雲だけではない。
無数の『何か』の気配が、高鳥家を見つめていた。
『高鳥の陰陽師……よくも、よくも』
座敷牢の中、ぎしっ、と姫の両手を捕えた鎖が鳴る。
千代見姫の恨みが、重さを感じるほど、あたりに充満していた。
きちんとした会話にはならなかったものの、姫の語りを聞いていた花墨は、かろうじて理解していた。
明治の世に蘇った千代見姫の怨霊は、陰陽師を探してさまよった。しかしどうやら、高鳥秀一の祖父が結界によって一族を守っていたため、なかなか見つけることができなかったらしい。
しかし、とうとう一族を見つけた千代見姫は、屋敷を襲った。
『あやつの目の前で、あやつの妻に取り憑き、あやつの子を殺してやろうと思うた。我と同じ苦しみを味わわせ、可哀想な星見の仇をとってやろうと思うたのに……罠だった』
姫はすすり泣く。
『あの陰陽師め、老い先短いと悟って、自らを囮にして我をおびき寄せたのだ。我は再び、囚われてしまった』
『ははうえさま……』
星見もまた、ぽろぽろと涙をこぼしている。
『戒められた我は、雛菊神社に連れ戻され、そこに縛り付けられた。あやつらは、小さな小さな星見には気づかなかった。時々、あの匂いがして、我は匂いのするものを殺しに行った』
「……星見は、赤子の姿ではないのね。大きくなってる」
そっと花墨は尋ねた。
星見は生まれてすぐに亡くなっているため、今の姿、そして様々なことを理解している賢さが、少し不思議だったのだ。
千代見は星見を見つめたまま、答えた。
『星見が見つかって囚われるのは、耐えられぬ。我の力を注いで、少しずつ、少しずつ、育てた。そして……そして我がこの高鳥家に連れてこられる時、星見だけは自由にと……』
「雛菊神社に、置いて行った」
神社整理をきっかけに、高鳥家は屋敷に神社を建てて千代見を引き取り、それまでよりもさらに『利用』し始めた。しかし、廃神社に残された星見は、千代見のおかげで逃れることができたのだ。
そこへ、花墨が雛菊神社を探して訪れた。
『ふふ……ふふ』
不意に、姫の口から笑い声が漏れる。
『それからは、たくさん殺したぞ。何かに呼ばれ、目が覚めると、あやつの匂いがする。我はそこへ飛んで行って、あやつの匂いのするやつと、その身内のものをみんな、殺すのだ』
(匂い……髪のことだ)
花墨は歯噛みした。
(髪は、高鳥秀一の祖父のものかも。今の話だと、陰陽師の力を持っていたのは明らかだ、きっと髪は赤かったはず。自分たちが姫に恨まれてるのを利用して、一般の人を殺させるなんて!)
『殺したら、
千代見姫は呻いている。
『いつになったら終わる……いつになったら、高鳥の者たちを根絶やしにできるのだ……!』
『かすみ!』
悲痛な声で、星見が花墨を見上げた。
『ははうえさまがかわいそう。ほしみは、ははうえさまをたすけたい!』
そこへ、足音がした。
「おや、星見の話をしていたんですか」
男の声。
通路の角を曲がって現れたのは、相変わらず紳士的ないでたちをした、髭の男だった。
花墨は、かすれ声を押し出す。
「高鳥……秀一」
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