(4)金庫に入っていたもの
「剣柊士郎、だね。僕は鏡宮悧月という作家だ。あー、帝国大学で教えている薬師寺武雄の、身内の者でもある」
悧月は名乗った。
作家、というだけでは怪しすぎると、自分でもわかっているらしい。花墨に『利用できるものは利用すべき』と言ったことがあるが、彼自身もそういう方針のようだ。
「薬師寺家……」
わずかに、柊士郎の勢いが弱まった。しかし気を取り直したように聞いてくる。
「監獄で一体、何をしたんだ。バーネット氏から何か聞き出したのか」
「まあね。君たちが掴んでいない情報を持っている、と思ってもらっていい」
「ならば報告しろ。市民の義務だ」
「もちろん、協力は惜しまない。憑捜も、市民に色々と教えて安心させてくれるだろう? 情報交換と行こう」
「くっ……ああ言えばこう言う……」
柊士郎は唇を噛み、しばらく考えた。やがて乱暴に、花墨を顎で指す。
「そっちの娘、危険ではないのか」
花墨はわざと、いぶかしげに答えてみせる。
「何の話?」
「ちっ」
柊士郎は、こいつもか、という目で彼女をにらみながら舌打ちをした。
七年前に十二階下にいた娘と、ここにいる花墨が同一人物である証拠など、そもそもないのだ。
やがて大きなため息をつくと、サーベルの柄から手を放す。
「同僚に気づかれる。日を改めて話そう」
同僚には秘密で、悧月の提案に応えることにしたらしい。
「ならば、そうだな、明後日は時間は取れるか?」
「午後なら」
「よし」
悧月は、浅草の和洋食堂を指定した。
「僕らはそこで待つ。逃げも隠れもしない」
堂々としている悧月に対して、何やら悔しいのか、柊士郎は肩を怒らせる。
「こちらの情報を渡すかどうかは、お前らの話を聞いてから判断する!」
「ああ。それでいいよ」
「もし食堂にいなかったら、薬師寺邸に事情を聞きに行くからな!」
「わかった。言うまでもないが、店には青服で来るなよ」
悧月が釘を刺す。
柊士郎はまだ何か言いたそうだったが、不機嫌そうに鼻を鳴らし、背を向けて立ち去って行った。
森に鍵を返してから、二人は華族会館を出て、タクシーに乗り込んだ。車が走り出し、二人は同時にため息をつく。
「先生、お疲れ様でした」
「花墨ちゃんも。ふぅ」
悧月はネクタイを緩める。
花墨は運転手を気にしつつ、ささやいた。
「あの人に『現場』を見られなくて、よかったですね」
別館に忍び込んで金庫を開けているところを柊士郎に抑えられていたら、二人はただの泥棒だ。取引はできなかっただろう。
「本当だね」
悧月は苦笑いした。
「にしても、勝手に場所と日にちを決めてごめん。家に呼ぶわけにもいかないし、あとは君の休日がいいかと思って」
運転手に会話が聞こえているだろうから、悧月も細かいところはぼかしている。まさか薬師寺家に憑捜が訪ねてくるところを近所の人に見られるわけにはいかないし、『カメリア』の定休日なら花墨が仕事を休まずに済む、と考えて、とっさに場所と日にちを決めたようだ。
「ありがとうございます、大丈夫です」
「
「いえ。私、持って帰ります」
そう言って、花墨は軽く腕を上げてみせた。
「ん? ……うわっ」
視線を落とした悧月が、ギョッと目を見開く。
花墨の腰のあたりから、半透明の小さな手がスウッ……と伸び、ショールをしっかりと掴んでいた。星見だ。
「これが気になるみたい。後でこっそり、話を聞いてみます」
花墨は、『カメリア』の他の女給と長屋暮らしをしている。星見とはタイミングを見て話さなくてはならない。
「まあ、それ、別に危ない感じはしないから大丈夫だとは思うけど……そうだ!」
悧月が花墨に向き直る。
「花墨ちゃん、それを持って、今夜は僕の家に泊まったらいいよ!」
運転手がバックミラー越しに、おっ、という視線を走らせた。
花墨は驚いて聞き返す。
「え? 泊まるって?」
「え? あっ、いやそのっ、変な意味じゃないよ⁉」
「あ、私もその、そういうふうにとったわけでは」
二人はなんとなく口ごもった。
運転手がチラチラと、二人を見ている。現場を見られるだの家に呼べないだのという会話から、運転手は二人を「なさぬ仲」だと誤解しているに違いない。
(先生がおかしいんだわ、泊まれだなんて)
少し、頬が熱くなるのを感じ、暗くて良かったと花墨は思う。
(だいたい、こんな時間に伺ったら、武雄様や誠子様に非常識だと思われちゃう。そういうとこホント無頓着なんだから)
つん、と花墨は顎を上げて背筋を伸ばした。
「夜遅くに伺うのは失礼なので、帰ります」
「あっ、そっか、わかった。じゃあ明後日に、店で会おう」
悧月は大きくうなずく。
運転手が、バックミラーの中で残念そうにため息をついた。
タクシーを見送ってから、花墨は街灯の下、細い路地を入った。
肩に入っていた力が、ようやく抜ける。
(不思議な一日だった。華族会館で、先生とドレスを着て踊って、それから泥棒だなんて)
善し悪しはともかくとして、よほど結びつきの強い男女でないとできないことだろう。
そう思うと、また頬が熱くなる。
(……早く帰ろう)
道の両側に長屋のひさしが並び、灯りが漏れている。花墨と『カメリア』の女給が住んでいる家は真っ暗で、同居人は留守のようだ。彼女には恋人がいるので、そっちに行っているのかもしれない。
中に入って引き戸を閉め、靴を脱いで畳に上がる。電灯をつけ、肩からショールを外すと、電灯から外れた薄暗がりに人の姿が現れた。
星見だ。
「星見、このショールが気になるの?」
花墨はショールを広げ、星見の前に掲げる。彼女はショールの周りをグルグルまわり、ジロジロと見つめた。
『……わからぬ』
「あ、そう」
『しかし……とても、いやなかんじがするのじゃ』
幼い星見だが、いっちょ前に眉間に皺を寄せている。
「え。これも物の怪になって暴れそう、とか?」
『ちがう。うーむ……その……いやなにおいがのこっている、みたいなやつじゃ』
「匂いが?」
花墨も改めてショールを観察した。
「刺繍が入ってる」
隅に、赤い鳥の刺繍が縫い取られている。
(母様のも確か刺繍があったような……鳥だったかどうかは覚えてないけど。そう、あの日に一度、見たきり……)
恐ろしい記憶が蘇りそうになって、思わず頭を振る。
とにかく、それはただの可愛らしい刺繍だった。顔を近づけてみても何の匂いもしない。
「特に残り香らしきものはないけど……とにかく、明後日、これを持って行って憑捜の人に見せよう。今日はしまうよ」
花墨はショールを畳む。
星見は不満そうではあったが、『しかたがないの』と答えて姿を消した。
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