(4)本気で復讐したいなら

 その後、悧月がどうしていたのかは、花墨も気になった。

「お兄さん、なんだか雰囲気が変わったような気がする。……やっぱり、戦争に?」

「うん」

 悧月はうなずいたけれど、それ以上は口にしなかった。ただ、優しく微笑む。

「さすがに君ももう子どもじゃないし、お兄さんと呼ばれるのも変だな。悧月、と名前で呼んでくれないかな?」

「嫌です」

 即答すると、悧月はギョッとする。

「なんで⁉」

「前にも言いましたけど、お兄さんはやっぱり良家の方でしょ。私なんかが馴れ馴れしくしたら変に思われますから」

 悧月の優しさを感じるたびに、花墨は自分の中のドロドロとした恨みを思い知らされる。それこそ、憑き病のようにうつして、汚してしまいそうに思えた。

 ふと、彼の手にペンだこを見つける。

「ねぇ、作家さんになったんですか?」

「あ、その、まあね」

 一瞬、目を泳がせた悧月はうなずいた。

「すごい。お兄さん、おめでとうございます」

 夢を叶えた彼を、花墨は祝福する。

 高いところに昇って輝く彼は、やはり自分とは違うのだ。綺麗なままでいてほしい。

「じゃあ私も鞠子さんみたいに、『先生』ってお呼びしよう」

「ちょ、花墨ちゃんまで。あの、その、ええと」

「どんなお話を書いてらっしゃるの? 前に言ってた、怪奇小説ですよね?」

「うん……そんなところかな……」

「へぇ、私、怪奇小説って読んだことないわ。最初のお給金で何を買おうか迷ってたけど、先生の本にしますね」

 本気で言うと、悧月は目だけでなく手まで泳がせる。

「で、でも、内容がね、若い女の子がいっぱい出てきて、大変な目に……うん、僕のことはいいから食べるといい」

「あ、はい。いただきます」

 花墨はサンドウイッチを手に取り、ぱくっと食らいついた。


 帝都ではライスカレーやカツレツ、コロッケといった洋食が流行っており、『カメリア』ではコロッケサンドを目玉にしている。

 なるべく大きく口を開けて、一口かぶりついた。

 唇にはふわりとしたパン、歯にはざくっとしたコロッケの衣が心地よい。ジャガイモと細切りのキャベツにしっかりとソースが絡んで、この甘辛味が嫌いな人はいないなと、改めて思う花墨である。

 じんわりと、仕事の疲れが抜けていくような美味しさだった。


「美味しそうに食べるね、何だかこっちも幸せになるなあ」

 悧月は、目を細めて花墨を見つめていた。無表情の彼女の心がわかるようだ。

「僕も、ここのコロッケサンドは絶品だと思うんだよねえ」

「ちゃんと食べるの、初めて。試食はさせてもらったことあるけど。先生も召し上がる?」

「いや、何だか胸がいっぱいで」

 その笑顔には、花墨と再会できて嬉しすぎる、と書いてある。

 恥ずかしくなってきて、花墨はわざとそっけなく「じゃ、遠慮なく」と言うと、ぺろりと平らげた。

 見計らったように、悧月が口を開く。

「花墨ちゃん。星見は、どうなった?」

「まだ、私の中にいます」

「そう。……別れるときに、言ってたよね。誰かに復讐したいって」

「…………」

「その様子だと、まだ復讐を終えてはいないんだね。行き詰ってる?」

「さすが先生、鋭いですね。でも、日本に戻って来たばかりなので仕方ないです。……ごちそうさまでした」

 すっ、と花墨は立ち上がった。

(お兄さんに……先生に、また心配をかけるようなことしちゃいけない)

「これからは、先生はお客さんなんですね。ごひいきにして下さいね」

 あくまで、自分と悧月は女給と客なのだと、花墨は一線を引いた。

 つもりだった。

「待って!」

 中腰になった悧月に、パッ、と手を掴まれた。

「花墨ちゃん、僕は君に借りがある。ずっと君を探してた。また会えたら今度こそ返したい、と思ってた」

「借りって……」

「本の物の怪を持ち込んだ件だよ。あれで君は十二階下にいられなくなったんだから」

 悧月は真剣な目で、花墨を見つめる。

「僕を使ってくれ。せめて今、行き詰ってることだけでも相談してほしい。本気で復讐したいなら、利用できるものは何でも利用すべきだ」


 その言葉に、花墨の心は動いた。

 以前、彼は「星見を成仏させるべきだ」と言った。それは花墨にとって、復讐をやめろと言われるのと同義で、到底受け入れられるものではなかった。

 しかし今、彼は、彼女の復讐に協力しようとしている。

(『本気で復讐したいなら』……そう。このまま何もできずにいたら、千代見姫を逃してしまう)


「……一度だけ」

 花墨は、強い視線を返す。

「一度だけ、助けて下さい」

「もちろん」

 悧月はうなずく。

「事情をもう少し、話してくれるね?」

 二人は見つめ合った。


 ――ふと気がつくと、衝立のすぐ外から、鞠子と数人の店員がじっとりと悧月をにらんでいる。

「先生? 何やら物騒な言葉が聞こえてくるんですけど、復讐ってなんですの? ていうか、うちの店員から手を離してくださいます?」

「あっ! ごめん!」

 あわてて悧月は、万歳するようにパッと両手を上げる。

「すみません皆さん、ちょっと小説の話をしていて、盛り上がってしまっただけなので」

 花墨もぺこぺこと頭を下げた。

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