性別オペレーション
Jack Sakuras
性別オペレーション
「受付番号三十番でお待ちのアヤセさん、病室にお入りください」
名前を呼ばれ、青年が立ち上がる。青のグラデーションがかったウルフカット、銀のピアス、マスク、オーバーサイズのロングTシャツとダメージジーンズ。全身を黒で統一した青年は、この病室の雰囲気にはおよそ似つかわしくなかった。
アヤセがこの「オオシロ性療内科」に来たのは、とある友人の勧めによるものだった。この国で唯一、性統一手術を受けられる性療内科である。
「初めまして、アヤセさん。担当医のオオシロです」
男性医がにこやかに迎えた。
「さて、本日は性統一手術をご希望とのことで、お間違いなかったですか」
オオシロはアヤセの目を見てゆっくりと問うた。アヤセは手元に視線を落としながら頷いた。
「緊張しておられるようですね。大丈夫ですよ。痛いことは何もしません。今日の時点で無理に結論を出さなくても大丈夫ですからね。まずはカウンセリングから始めていきますよ」
オオシロが笑う。アヤセは俯いたままだ。
一通りの問診が終わり、オオシロはアヤセの目を見つめながら語りかけた。
「人は誰しも、今の自分を変えたい、より美しくなりたいと思っているものです」
アヤセは黙ったままだ。
「当院で行う手術は、性転換手術ではありません。性別を統一する手術です」
オオシロは棚から一枚の髪を取り出してアヤセに手渡した。手術の詳細が書かれたパンフレットだ。
「人は誰しも、男性脳と女性脳を持っているとされています。どんな人にも、社会的に男性的・女性的とされる特徴的な部分を持っている。今の時代、特定の性別らしさについて語るのはご法度のように言われてますが、その点はあくまで特徴ということでご了承ください」
「…」
「世の中には、そういった男性脳と女性脳の切り替えに苦しんでいる人がいるんです」
その言葉に、アヤセが弾かれたように顔を上げる。濃く縁取られたアイメイクの奥の瞳が揺らいだ。
「あなたもそうだったのではないですが、アヤセさん」
「…」
「だから今日、わざわざここに足を運んでくれた、そう私は解釈したいです」
幼い頃から私は、周りの女の子が大抵知っているものを禁止されて育った。お化粧、雑誌、漫画、恋愛に加え、アイドルやKpopも。いわゆる、年頃の少女ならばその多くが一度は憧れたりときめいたりするものを、排除された環境で育った。親が駄目だというものは好きになっちゃいけない。そんなものを好きになるのは頭が悪いから、浮ついているから。羨ましい、私も知りたい、可愛くなりたい。そんな欲望を押し殺したまま、私は十八歳になった。女子校で育ち、男性との付き合い方や距離のとり方がわからなかった。そして気がついた。
私は女じゃない。
女の子らしさ。表現を変えれば、可愛いもの。キラキラふわふわしたもの。ピンク、量産系、地雷系、ゴスロリ、ゆるキャラ、ぬいぐるみ、ダンス。周囲の子が可愛い可愛いと声を上げて喜ぶそれらを、私はどうしても好きになれなかった。馴染めなかった。私の中での可愛いという単語は、未熟で幼稚なさまを表す言葉でしかなかった。だから、同調を求められるシーンでは皮肉のように連呼していた記憶がある。くだらないね、幼稚だね、と呪いながら。
それなのに。年頃になった私には、女らしさが求められるようになった。親の言う通りに、浮ついたものには興味を示さないようにしてきたのに。将来は子どもを持てと言われた。孫の顔が見たいと。もしも結婚できなかったらお見合いをさせると。
ある夜、私の中で。何かが音を立てて壊れた、気がした。
いつ頃からか定かではないが、心の中の一人称が「俺」になっていた。人と話すときは「自分」と言っていたが、一人でいるときには無意識のうちに「俺」を使っていた。「私」「あたし」「うち」は自分には似合わなかったし、そんな一人称を使っている自分を想像するだけで気持ちが悪くなった。思春期の多感な時期を通して、人格の骨組みは確立されていくのだと思う。自他ともに少女らしく可愛いものを徹底的に排除して育った私は、女でも男でもない、中途半端な存在に成長してしまった。男性脳のほうが発達してしまったから、ますます周囲の同世代の少女たちとは会話が噛み合わなくなり、孤立した。
「男性脳と女性脳、どちらを残したいですか」
一瞬の沈黙の後、
「俺、男になりたいです」
「分かりました」
オオシロは軽く微笑み、機械の操作を始めた。
「オオシロ先生」
「何でしょう」
「もしも俺が可愛い女の子だったら、先生は俺のことを異性として見てくれましたか」
機器の立てる電子音だけが手術室に響く。
「…やっぱりなんでもないです。始めてください」
「あなたは、とてもチャーミングな方だと私は思います」
オオシロは横たわるアヤセの側に立ち言った。
「…先生?」
「最後に一つだけ」
オオシロはしゃがみ込むと、アヤセの手を取った。アヤセの体がさらに強張る。
「性別があって患者様があるのではない、と私は考えています。あなたという人があって、そこで初めて、性別が付随してくるのではないでしょうか」
「簡単に切り離せるものではありませんが、だからといってずっと苦しめられないといけないものではない」
「…」
「あなたが少しでも自分本位な生き方ができるように。そんなお手伝いをさせていただくのが当院です」
オオシロは優しく微笑んだ。アヤセの視界がぼやけた。だんだんとオオシロの声が遠ざかる。薄れていく意識の中で、アヤセは名前を呼んだ。オオシロ先生、オオシロ先生、オオシロ…
真っ黒な遮光カーテンの隙間から差し込む朝日に顔を顰めた。男は気怠げに起き上がり、スマホで時間を確かめた。何やら嫌な夢を見ていた気がする。覚えていないが、やけに気分が沈んでいた。手の中でバイブが鳴った。知らない番号からの着信だ。
「…もしもし」
『またあなたなの? 電話番号は変わっていないのに…』
アヤセは『 』、と言いかけてやめた。そのまま切り、着信拒否設定にする。
「誰からの電話?」
隣で丸くなって眠っていた女が目を覚ました。
「知らね」
性別オペレーション Jack Sakuras @orion-imagine
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