ガラスドーム~婚約破棄は雪原の上で~

倉世朔

ガラスドーム~婚約破棄は雪原の上で~


「すまない、エードリング公爵令嬢。君との婚約を破棄したい」


 どこまでも灰色がかった空に粗雑な雪が吹き荒ぶ。

 睫毛の上に粉雪が降り、自然と瞼が下がった。


「わかりました。殿下」


 ここで彼女が死んだ。

 この雪原の上で彼女は。

 あぁ、殿下。

 あなたはまだ、あの方が忘れられないのですね。


【ガラスドーム 〜婚約破棄は雪原の上で〜】


「カレン。よく似合っているわ」

「お母様。気が早いですわ。花嫁衣装だなんて」


 私はそう言いつつも、鏡の前でくるくると回ってみせる。

 お母様とその場にいる侍女たちは嬉しそうに微笑んでいた。


「だってアルファース王子の婚約者になったのよ。このリングスフェールドの王子の婚約者! 最高の結婚式にしたいじゃない?」

「まだ日取りも決まっていないのに、お母様ったら」

「ほほほ。そうですわね。それにしても本当に良かった。これも全てウェイツ公爵令嬢のおかげ……」

「お母様!」

「おっといけないいけない。他の衣装もあるのよ。着てみて私に見せてちょうだい」


 リングスフェールドの冬は早い。

 窓の外を見ると、弟たちは降り積もった雪の中でソリすべりをして楽しんでいた。


 この雪国の王子であるアルファース王子との婚約が決まり、我が家は毎日のようにお祭り状態。

 特にお母様の調子が毎日こうであるから、どちらが婚約者かわからなくなる。


「カレン! ほらこのフリル可愛いじゃないの! まるで妖精みたい」

「お母様。私もう子供じゃないのよ。もっと大人しいのがいいわ」


 親戚同士ということもあり、私は幼い頃からアルファース王子と遊んでいた。

 その頃から既に、アルファース王子の頃が好きだった。

 将来はこの人と結婚するんだと心から決めていた。


「奥様、お嬢様。アルファース王子が来られました」


 侍女がそう言うと、お母様は大慌ててドレスを私に渡してきた。


「あら、早いわね! カレン。この姿を殿下にも見てもらいましょうよ! 早くこれを着なさい。着替えている間に私が話をしておきますからね」

「お母様ったら」


 リングスフェールドの雪国に似合わない春の日差しを感じるような茶色の髪。

 青い海を連想させる澄んだ瞳に、笑うと見える愛らしい笑窪。

 彼がこの国の王になったら、この国に降り注ぐ雪は全て溶け、永遠の春がやってくるだろう。

 春の化身を思わせる爽やかなアルファース王子。

 そんな彼のお側にいられるなんて。

 私はなんて幸運の持ち主だろう。


「カレン」


 殿下が部屋に入ってくる。私はくるりと振り返って笑顔を見せた。


「殿下。お母様がすみません。花嫁衣装なんてまだお早いのに」

「いやいや。よく似合っているよ」

「嬉しいお言葉。ありがとうございます」


 私はお辞儀をして、彼の澄んだ瞳を見た。

 

 あぁ、まだだ。

 彼の瞳の奥にはまだ、あの公爵令嬢がいる。

 

 お母様ははしゃいだ様子で侍女にお茶を出すように言う。


「殿下! お茶でも飲んでゆっくりしてくださいませ」

「いや、今日はカレンを見にきただけだから」

「カレン! ほら、殿下に他のドレスもお見せしたらどう? 殿下はどの衣装がお好きですか?」


 彼はどんな衣装だって似合うと言うに決まっている。


「殿下も忙しいのですよ。殿下、私は変わらず元気ですのでご公務にお戻りください」

「君は昔から元気だね。すまない、少ししたら城に戻るとしよう。おや、この人形」


 王子は私の棚の上に飾っている微笑む陶器でできた人形を見た。

 人形が埃を被らないように、ガラスドームの中にそれは入っている。

 彼は小さく呟いた。


「似ているな。彼女に」


 私は聞こえていないふりをして、殿下に声をかけた。


「殿下?」

「あぁ、すまない」


 彼は柔らかく微笑んでいるが、影った表情は一年前と変わらない。

 私は少しだけ殿下と話をした後、彼を見送った。


 エレナ。

 エレナ・ウェイツ公爵令嬢。

 彼の瞳の中に棲む公爵令嬢だ。


 エレナと私とアルファース。

 よく3人で遊んでいたが、私はいつも蚊帳の外だった。

 私がいくら近づいても、彼はいつもエレンを探した。


 私は毎日のように思っていた。


 彼女さへいなくなれば、彼は私のものなのに。


 成長するにつれてその思いはさらに大きなり、彼女への憎しみは膨らむばかりだった。

 死ねばいい。

 消えればいい。

 そう思う日々の中、エレナとアルファース王子は結ばれた。


 三日三晩、泣き続けたのを覚えている。

 彼女と私と何が違うというのだろう。

 同じ親戚の仲で、同じ歳で、同じような髪型に色が違うだけのドレスを纏っているのに。


 彼女の踊りが上手だから?

 彼女は木の下で裸足になって踊る時があった。

 なんともはしたない。

 そう思っていたのは、私だけのようだった。


 死ねばいいと何度思ったことか。

 彼女がこの世からいなくなってほしい。

 大丈夫よエレナ。私なら彼を幸せにしてみせる。

 だから安心して逝ってもらってもかまわないのよ。


 天国でもそうやって、いつまでもくるくると踊り続けていたらいいんだわ。


 そう嘆いていた日々から一変したのは、ある真冬の出来事だった。

 アルファース王子の城へ向かう途中、彼女の馬車が崖から落ちてしまったのだ。

 

 彼女は帰らぬ人となった。


 私はその時悲しさよりも、嬉しさが勝ってしまって


「本当に? 本当に彼女は死んだのよね?」


 と言ってしまった。


 リングスフェールドの冬は早い。

 殿下とエレナの婚約は白紙になり、次の婚約者候補に私の名前があがった。


 私は喜んで婚約を受け入れた。

 アルファース王子もそうしようと答え、その時は心を入れ変えたように見えた。


 私の心に春が訪れた瞬間だった。

 彼女が死んだから、私は彼の婚約者になった。

 これほど嬉しいものがあるのだろうか。


 人の死を嬉しがることなどあってはならないのだが、これを喜ばない人はいないだろう。


 早く彼女のことを忘れますように。

 彼が早く心変わりして、笑顔になれるように。


 見えている? エレナ。

 あなたはどこで踊っているの?

 あなたがいくら舞いを舞っていても。

 もう誰も見ることはできないのよ。


 ***


「カレン。外に出て散歩でもしないかい?」


 こんな吹雪の中を?

 でも、殿下は何か考えておられるはず。

 私は王子を信じて、一緒に馬車に乗った。


 しばらくして降りた場所は、エレナ・ウェイツが死んだ崖の近くだった。


「すまない、エードリング公爵令嬢。君との婚約を破棄してほしい」


 そして告げられた婚約破棄の言葉。

 崖の近くで吹雪いている雪の間に、彼女を見た。

 私にも見える。彼女の雪原の上で舞う姿を。


 エレナは消えない。

 それどころか彼のいや、私の瞳の中にいつまでも残っている。


 彼は私のものになるって期待していたのに、そんなことありえなかった。


 彼の心の中に彼女は永遠に刻み込まれてしまった。

 桜散る春の日も、雪が舞う冬の日も。


 あのガラスドームの中で、彼女は永遠に踊っている。


 リングスフェールドの冬は早い。

 春は一瞬で駆けていくというのに。


 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガラスドーム~婚約破棄は雪原の上で~ 倉世朔 @yatarou39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ