祠壊したら災害起こす

祐里

1.壊して


 村の長老である浅田あさだ――実際には地域で一番長く生きているだけで『長老』と祭り上げられている男性――が異変に気付いたのは、自宅の玄関を出て空を見上げたときだった。


「……おかしい……。『アサダの絶対当たるゾ☆天気予報』だと、今日は雲一つない快晴のはずなのに……」


 浅田の視線の先には、黒い雲が空の青を蹂躙し、今にも雨を降らせようとしている景象けいしょうが広がっている。


「ま、まさかっ、豊玉姫とよたまひめ様に何か……!?」


 浅田は一目散に神社へと駆け出した。途中でつまずきそうになったが、持ち前の体の丈夫さでぐっとこらえ、一心に豊玉姫が祀られている社殿を目指す。ほんの少しだけ「これで大腿四頭筋と腹筋が鍛えられたか? 今日は膝の痛みが軽くてよかったわ。それにしても健康長寿とは、厚生労働省も難しいことを言うものよ。年寄りの身にもなってみろ」などと考えながら。


 そうして息を切らせた浅田が人生史上最速で神社にたどり着いたときには、もう遅かった。なぜなら――


「お、おまえ……! あのほこらを、壊したんか!? 『祠壊したら災害起こす』と書いてあるのが読めなかったのかっ!!」


 こぢんまりとした町にしてはまあまあ大きな社殿のそばにある、古びた木製の、きっと数十年前までは北欧材ホワイトウッド――ノルウェイ産の木材を想像するのは人口の多くを占めている昭和世代だ――を思わせていたであろう三角屋根の素朴で小さな祠が、ひしゃげて傾いていたのだ。


 浅田がすぐそばに立っている三十路半ば頃の男性に怒鳴ったのも無理はない。後ろでゆるく結んだ明るい茶髪、淡い青色の丸サングラス、その奥の細められた目と薄情そうに見える薄い唇、点けたばかりのタバコの煙をたなびかせた彼は、とてもまともそうな人物には見えない。


「え? 壊したら災害って……あ、このシャンプーの裏に書いてある説明みたいな小さい字? いや、ていうか、もうボロくてちょっと寄りかかったら壊れ……」


「ばっかもーん! なんてことを!」


「はぁ? だから、ちょっと寄りかかっただけだっつの! いきなり現れて犯人扱いかよ!」


「この祠にはっ……この祠にはなぁ! 龍神様が祀ら……」


 浅田は全部言い切ることができなかった。損壊した部分から唐突にどす黒い雲を発生させる祠を見てしまったから。


「うわあああ! もうだめじゃ、もうおしまいじゃ!」


「な、何だこれ……」


 町全体に雲海でも作るのかと言いたくなるくらい大量の湿り気を持っていそうな雲がどんどん溢れ出し、止まらない。既に立ち込めていた暗雲に更に重ねられたそれはぽつりぽつりと雨を降らせ、『アサダの絶対当たるゾ☆天気予報』の信頼は一気に失われた。


「くっ……、町民に避難を呼びかけないと……洪水が起きるぞ!」


 神社のすぐそばを豊かに流れる川に視線を向け、浅田は大声を張り上げた。男の「へっ?」という全くわかっていない様子が浅田を苛立たせる。おまけに「あのシャンプーの裏みたいなの信じてんだ?」などと嘲笑するものだから、浅田だって怒りたくもなる。神社に着いてからずっと怒ってはいるけれど。


「大体おまえは何なんだ! なぜこんなさびれた町に来た!?」


「えー、ばーちゃんの故郷だって聞いてたから来てみただけなのに……。あ、ばーちゃんの旧姓、佐藤さとうっていうんだけど知ってる?」


「佐藤なんざこの町にすら掃いて捨てるほどいるわ!」


「ひどっ! 何だよその言い方!」


「ひどいのはおまえ……」


 喧嘩腰のセリフの途中で、浅田の鼻先に大粒の雨がぴちゃっと跳ねた。雨足はまだ小康状態を保っているが、いつ豪雨になるかわからない。はっと我に返った浅田は「と、とにかく、おまえも避難しろ」と声を落とす。


「なあじいさん、さっき龍神様って言ってたけど、もしかして龍が出てくんの?」


「あ、ああ、そうだ。そう伝えられている。『アサダ家の絶対伝えるゾ☆伝奇・風習』にはそう書かれていた」


「……絶対伝えるぞ……? ま、まあとにかく、この辺りに被害を及ぼす恐れがあるってことなんだな?」


「だからそう言っとるだろう! 祠を壊したことにより龍神様がお怒りになって、洪水が……!」


 浅田が一番心配しているのは、龍神様が引き起こすであろう洪水で農作物や家畜などに被害が出てしまうことだ。人間などどこでも暮らしていける。しかし農作物や家畜はその土地に根付いた方法で育てないといけない。稲の害虫駆除や家畜の餌にもこだわりを持っている農家の人々のことを思うと、いても立ってもいられないのだ。


「……ふーん。ま、わかったよ。大丈夫、俺に任せて」


「任せて……? どういうことだ? 一体何を……」


「俺、殺し屋なんだ」


 ニヤリと片方の口角を上げて悪い笑みを作る男――名前は『佐藤』だろうか――に胡乱げな目を向けると、彼は「大丈夫」ともう一度言った。


「こ、殺し屋? ええと……、何か武器を使って、か?」


 とてもじゃないが現実的だとは思えない男の言い分をひとまず飲んでみようと、浅田は問いかけた。本当はそんなことより怒った龍神様をいかに鎮めるかが重要だということに気付いていながらも、殺し屋というワードに若かりし頃の何かが疼き、興味を抑えることができない。


「おう。自転車のスポークなんだがな、これがなかなか使い勝手がよくて」


 そういえば慌てていたから気にしていなかったが神社の入口にスポーツタイプの自転車が置いてあったことを思い出した浅田がそちらに目をやると、彼は自転車に向かってのんびり歩き出した。こんなことをしている間にも黒い雲は次から次へと湧き上がり、雨を降らせる雲として重なっていく。


「いや、その、おまえ、とりあえず龍神様に謝った方がいいぞ」


「あ、そうだな、俺としたことが。龍神様、祠を壊してごめんなさい。でもわざとじゃないんだ……そこはわかってくれ」


「うーん、ちょっと言い訳がましいが、まあいいだろう。龍神様、わしからも頼む。きれいに修繕するから雨を収めてはくれまいか……」


 男が携帯灰皿にタバコを押し付けて火を消すのを横目で見ながら、浅田は祠に向かって願いを吐露した。修繕には骨が折れるが、引退前まで材木店を営んでいた三歳年下のあいつに言うことを聞かせようと思いながら。


「……その願い、あたう限り叶えてしんぜよう……」


 すると、男の謝罪と浅田の懇願に反応したのか、湧き上がる黒い雲は姿を消し、弱々しい声が耳に届く。男と浅田は「今のは俺/わしじゃない」と言わんばかりの顔を見合わせ、驚きの表情を見せた。

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