第31話 水の冷たさも忘れるほどに


「鎮め石になれる者が岩山に立たねば、姿を現さない。一時的に防いだとして、また同じことになるならば生贄にする意味がない」


 戦える者。

 鎮め石になれる者がいる、今が好機なのだと教えてくれる。


 とぐろを巻く大蛇のように禍々しい瘴気を漂わせたは、御守様に向かって威圧するように鎌首をもたげていた。


「霊力を網にして持ち上げたのは、お前か?」

「はい、力不足でしたが……」

「一体どうやって? ……まあいい、すべては終わってからだ」


 千歳を抱えていた腕を解き、ポン、と頭を一撫でされる。

 険しい視線の先では、御守様が大蛇の死角へと飛び込み、襲い掛かる攻撃を避けていた。


 狐火が何十本もの槍になり、黒光りする鱗を砕くように貫いていく。


 瘴気にまみれた大蛇の一部が引きちぎれ、蒼士郎の右腕を掠めた。

 薄く切れた皮から血がにじみ、――だがその傷がジワジワと薄らいでいく。


「……これは?」

「驚くほどのことではない。あやかし混じりだ」

「あやかし混じり!?」

「二代前の祖父がな。でなければ身の内に瘴気など、とても飼おうとは思わない。なぜこれほど異形と戦えるのか、不思議に思わなかったか?」

「もしかして他の者も……?」

「そうだな。俺の他にも数名、あやかし混じりがいる」


 生きるためだ、仕方ないと蒼士郎は自嘲気味に呟く。

 本土と同様に、三ツ島に住まう者もまた代を重ねるごとに、霊力が衰えているのだ。


「岸に着いたら護衛をつける」

「護衛ですか?」

「お前の役目はこれで終わりだ。この先は危ないから、早々に屋敷へ戻れ」


 もう少しで舟が岸に着く、というところで、大蛇の攻撃をかわそうとした御守様がよろめいた。


 その瞬間を逃さず、大蛇は不意を突くように御守様へと食らいつく。

 肩を噛み砕かれ、堪らず御守様は鋭い叫び声を上げた。


「ああッ!?」

「クソ、御守様がッ」


 船と岸の距離は数メートルほど。

 助けに入った討伐部隊の者達は次々と薙ぎ払われ、まるで歯が立たない。

 舟の間近まで吹き飛ばされた者と入れ替わるように、蒼士郎が駆けていく。


 御守様は逃れようと必死に抵抗を続けるが、振り解くことは出来なかった。

 まるで振り子のように宙を行き来し、勢いよく湖に向かって投げ捨てられる。


 千歳の乗る舟に向かって、一直線に真白の狐が飛んでくる。

 蒼士郎に目を奪われていた千歳には、身構える時間がなかった。


 振り向いた蒼士郎の、驚く顔が見える。

 あ、と思った時にはすでに時遅く。

 御守様の身体に押し出されるようにして千歳も大きく体勢を崩した。


 そのまま、湖へ――。


 真白の毛並みが束になり、揺らめきながら、千歳とともに水底へと沈んでいく。

 冷たい水が身体を包み込み、御守様の瞼がゆっくり、ゆっくりと力を失くし、閉じていく。


 このまま御守様がいなくなれば、三ツ島は終わる。

 そして、本土も――。


 どうすれば……?


 気絶していても使役契約は結べるのだろうか。

 人の霊力は、あやかしに馴染んでなければ送れない。


 まだ意識はあるから、せめて名前が分かれば無理矢理にでも使役契約を結び、霊力を送れるかもしれないのに。

 でもこれほど高位のあやかし相手に、そもそも結べるのかも分からない。


 焦る千歳の目に、水を掻き分け、必死に泳ぐ蒼士郎の姿が見える。


 前世と同じく水が苦手なのだろう。

 こんな状況なのにすこぶる嫌そうに……不格好に泳ぐ姿がおかしくて、千歳の頭を少しだけ冷やしてくれた。


 溶け込みそうなほどに微かだが、御守様の身体が淡く光っている。

 蒼士郎は伸ばした手で御守様の柔らかな毛を掴み、自分の方へと引き寄せた。


 続けて千歳を抱えようとするが、泳げるので大丈夫だと首を振り、一緒に御守様を引き上げようとしたところで――。


 大蛇に噛みつかれた場所からジワリと、何本もの朱い糸が、湖面に向かって伸びていく。

 にじむように広がるその先には、御守様を掴み、上へ上へと向かう蒼士郎と千歳がいた。


 ふわ、と広がるその朱に触れた時、怒涛の如く押し寄せる荒波のように、映像が頭に流れ込んでくる。


 蒼士郎もまた同様なのだろうか。

 驚いて見上げた先で、目を瞠り動きを止めた。


 千年にもわたる御守様の記憶が押し寄せてくる。

 混乱しながらも、ただ呆然と受け入れることしかできない。


 驚きとともに強くなる鼓動は、水の冷たさも忘れるほどに、頭の中で大きく反響した。





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