第22話 君は、いつも苦しそうにしている
祓う先から瘴気溜まりが出来るため、御守様は討伐部隊とともに、明け方からずっと出払っている。
そして屋敷内では定期的に、救援を求める呼子笛が鳴り響いていた。
「これでは御守様といえど、屋敷まで手が回らないだろうな……」
「主様、目が覚めなかったらどうしよう」
いつもの無遠慮な振る舞いは鳴りを潜め、心細げに豆太が千歳を見上げる。
救援部隊が慌しく駆けまわってはいるものの、手が足りていないのは明らかだった。
「外は危ねぇから、なるべく固まって行動しようぜ」
薪割り場所を炊事場の隅に移動した鬼山さんが、みんなに声を掛ける。
常ならぬ雰囲気に、いつも軽口を叩く松五郎まで押し黙り、その脇で豆太も息をひそめ警戒するように身体を強張らせていた。
「瘴気に対応できないあやかしも多いのだろう?」
「うん、下位のあやかしは瘴気が見えない奴も多いから、逃げられないんだ……」
身体の異変に気付いた頃には瘴気に侵され、もう手遅れになっている。
瘴気を祓える者は、そういない。
こうやって固まり警戒する以外に、出来ることはないのだという。
「早く主様が回復するといいな」
「そうだな。きっと大丈夫だ」
豆太を膝に乗せ、安心させるように頭を撫でてやる。
幼子のように、千歳の袖をギュッとその小さな手に握った。
イヅナに聞いた話によれば、蒼士郎は『護り石』を身に着けているはず。
身の内の瘴気が大きくならないよう、そして少しでも早く回復するよう、こちらから霊力を送りたいのだが――。
蒼士郎のいる小屋全体に強い封じが掛かっているようで、霊力を送るどころか『護り石』の気配すら感じられない。
「千歳、千歳」
その時、聞き覚えのある声とともに、炊事場の格子窓から滑り込むようにイヅナが入ってきた。
「今日の授業は無しでいい? この状況だから落ち着いて教えてあげられないわ」
「分かりました。わざわざ来てくださり、ありがとうございます」
午後から文字の練習をする約束だったため、忙しい合間を縫って伝えに来てくれたらしい。
連絡役で一日中飛び回っていた管狐のイヅナ。
疲れているのだろう。
目の下が黒ずみ、疲れきった様子で丸くなる。
「……大丈夫ですか?」
「まぁ何とかね。異形になって
刻一刻と濃さを増す瘴気がまた、暗い影を投げかける。
「千歳、ちょっと」
その場にいる者達に聞かれるとまずい話なのだろうか。
名指しで呼ばれ、千歳はグッタリと丸くなったイヅナのもとへ歩み寄った。
「実は主様、まだ意識が戻らないみたいなの」
「……それは心配ですね。先日瘴気を
「それがねぇ、みんな忙しいのか全然情報が入ってこなくって。千歳がいた小屋の真向いに主様がいるから、そのうち様子を見に行ってくるわね」
声を潜めて教えてくれるが、状況はあまり良くなさそうだ。
仕事に戻るわね、と告げるなり、イヅナは光のような速さで姿を消した。
***
手遅れになる前に様子を見に行ったほうがいいかもしれない。
千歳は納屋の屋根裏から、物音を立てないようそっと階段を降りる。
二階には豆狸兄弟が住んでおり、危ないからと、鬼山さんと松五郎も今日は共に寝ていた。
夜半に差し掛かるが、たまに呼子笛の音が静寂を破り、辺りは忙しない足音で満ちる。
その喧騒に紛れるように千歳は納屋を抜け出し、蒼士郎のいる離れへと向かった。
「私がいた小屋の真向いか……」
瘴気に侵された者がたくさんいるのだろう。
すべての小屋が閉じられており、その中でもとりわけ厳重に封じが掛けられた小屋がある。
入口の戸に手をかざすと、水面に広がる波紋のように霊力が拡がり、小屋全体を包みこんだ。
幾重にも貼られた封じの札がペリペリと音を立てて剥がれ、ふわりと宙に浮き上がる。
わずかに緩んだ戸の隙間から身体を差し込み、奥に進むと、荒い息遣いが聞こえた。
苦しさに
布団がずれ、夜着が乱れている。
瘴気を飼っていると言っていたのは右腕だろうか。
手首から肩に掛けて、先日の千歳同様、特殊な染織の敷布が巻かれていた。
枕元に置かれているのは、いつも着けている白狐の面。
時折苦しそうに、右腕が宙を彷徨う。
何かを求めるように伸ばされた指先に触れると、じっとりと汗ばんでいた。
その指先を手のひらに握り込み、視線を落とした瞬間、――千歳は、ギクリと動きを止めた。
固く閉じられた瞼。
悪夢でも見ているのだろうか。
力が籠められた眉間には深いシワが刻まれ、結ばれた口端から時折苦しげな呻き声が漏れる。
その顔に、色濃く苦痛が浮かんだ。
強張る指先を折り曲げ、千歳の手のひらを握りしめる。
「ああ、――君だったのか」
指先から伝わるのは、煉獄の夜空を思わせる重暗い霊力。
もしかしたら思っていた以上に、命が危ぶまれる状態だったのかもしれない。
死の縁で記憶を取り戻した千歳同様、霊力の
「君は、いつも苦しそうにしているな」
額に貼り付いた前髪を指先で横に流し、千年ぶりにその顔を覗きこむ。
「そんなに強く掴まれたら、どうしたら良いか分からなくなってしまう」
感情が溢れそうになり、きゅ、と唇を噛みしめた。
何かから逃れようと夢の中で戦っているのだろうか。
手を握りしめたまま、蒼士郎が敷布の巻かれた右腕を大きく振るうと、その勢いで千歳の身体が蒼士郎に向かって倒れ込む。
――繰り返される、短い呼吸音。
その心臓は千歳の耳の下で、ドクドクと踊るように激しく脈打った。
夜着が乱れ、湿り気を帯びるその胸に、頬が触れる。
柔らかな皮膚から伝わる霊力の懐かしさに、千歳はそっと目を閉じた。
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