第16話 千年ぶりの大盤振る舞い


 御守様がゆったりと寝そべる御簾の奥に、蒼士郎が持ち帰った『護り石』が吸い込まれていく。

 息を呑む気配とともに、御簾がふわりと舞い上がった。


「確かに本物だな。持ち主は分かっているのか?」

「神宮司家の次女です。幼いうちに取り上げたのだと聞きました」

「ああ、海に落ちた娘か。……残念だがこれを見る限り、それほど強い霊力ではなさそうだ」


 前回の『護り石』の娘は涅家の当主だった。

 相当な霊力を持っていたと文献で読んだ記憶があるが、今回は到底及ばない。


 本土にいるような弱い異形相手ならまだしも……生贄として沈めたとして、三ツ島でどれほど通用するかは分からない。


「海に落ちた件も、神宮司家の者が画策したようです」

「……相も変わらず、本土の連中は愚かなことだ」


 人同士で争っている場合ではないのに。

 御守様がフイッと首を振ると、放物線を描きながら、『護り石』が蒼士郎のもとへ戻ってくる。


 首から下げられるよう革紐でくくられた琥珀色の石が、節くれだった蒼士郎の手の中に収まった。


「この石はどれほど離れていても、本来の持ち主と繋がっている。持ち主が死ねば、石もまた消えるはず。贄の娘はおそらくまだ生きているのだろう」

「流れ着くとしたら神避諸島かむさりしょとうのいずれかです。捜索部隊を編成しますか?」

「そうしてくれ」


 だが十五歳ともなると絶好の金づる。

 早々に拾い上げられ、人買いに攫われたり、花街で働かされている可能性もある。


「では至急、年頃の娘が流れ着いていないか島々に通達します」


 ただでさえ瘴気の対応で人手不足が続いている中、何よりも最優先で探しださねばならない。


「流れ着いた時期で言えば、あの娘も該当するな」

「千歳ですか? 親もなく、虐げられて育ってきたと聞いています。冤罪で島流しにされ流れ着き、身売りをしようとしたところを買い上げたのです」


 出自も貧しく、学もないと言っていた。

 平民なので苗字もない……それにみすぼらしく、由緒正しい神宮司家の娘にはとても見えなかった。


「ちょうど十数年前、流行り病で子供が沢山亡くなりました。ゆえに長く生きられるようにと願いを込め、多くの親が娘に『千歳』と名付けたのです。神宮寺家の娘は『チト』と呼ばれていましたが、あの年頃にはよくある名です」

「まぁ、どうみても十歳前後だからな……」


 それに肝心の千歳は豆太のせいで瘴気を浴び、明日をも知れぬ命である。


 神宮司家の娘、しかも十五にもなる『護り石』の娘が、豆狸に騙され瘴気で死にかけるなどまず考えられない。


「御守様、千歳の件で御相談なのですが、治療のため『護り石』を使用する許可を頂けないでしょうか」

「それは構わんが、霊力にも相性があるぞ?」

「はい、それは承知の上でのお願いです。買い上げて連れて来たというのに、このまま死なれては……幸い石の力もそう強くないので、邸内で狙うあやかしもいないでしょう」


 あれだけの瘴気をあびたのだ。

 どれほど効果があるかは不明だが、他に手立てもない。


 一命を取り留めてくれればよいのだがと、蒼士郎は『護り石』を握り締めた。



 ***



 涅家の主屋から離れ、奥まった敷地の一角に、藁ぶき屋根の粗末な小屋がある。


 全身を瘴気に侵された千歳は、あれからずっと特殊な染織の敷布でくるまれ、身動き一つ取れない状態で閉じ込められていた。


「廻り廻って、この石にまた会える日がくるとは」


 昨夜、全身が燃え上がりそうな程に熱を持った千歳の元へ、蒼士郎がやってきた。


 さすがは当主、他の者よりも瘴気への耐性があるのだろう。

 躊躇うことなく足を踏み入れるなり、険しい顔で千歳の額に手をあて、「気休め程度だが」と『護り石』を首にかけてくれた。


「すぐに体力が消耗する上、何もしていないのに霊力が減っていくと思っていたら……」


 情報がまったく入ってこなかったため、神宮家に『護り石』があったことすら知らなかった。


 本来の持ち主である千歳の霊力は、垂れ流し状態で石へと溜められていく。

 疲れやすいのも納得がいく……そりゃ霊力も弱いはずである。

 義姉の芙美が好き勝手使い、常に枯渇している状態だったのだから。


 それにしても成りゆきで買い上げた娘など放っておけばいいのに、松五郎といい蒼士郎といい何故か面倒見がよく、三ツ島の男は意外性に溢れている。


 指先に力を籠めると、身体を覆っていた敷布が風で浮き上がる木の葉のようにクルクルと円を描き、天井へと舞い上がった。


 抑えるものがなくなった途端、漏れ出た瘴気が小屋内を侵食するようにジワジワと膨らんでいく。

 小屋の外には二重の封じ……千歳の状態がどれほど危険だったのかが窺える。


 ついに耐えられなくなり、内壁にピシィッと甲高い亀裂音が走った次の瞬間、外側の……小屋の封じが外れた。


 だが古井戸に行った時とは異なり、霊力が体内に満ち満ちていく。


 爪先にまで神経が通うような、この感覚を千歳は知っている。

 ――そう、前世で感じたことのある万能感。


「千年ぶりに、大盤振る舞いしてやる」


 古びた戸の木枠が砕け、ひしゃげて吹き飛んでいく。

 小屋を丸ごと囲うように霊力を広げ、広範囲を球体状に囲うと、黒い靄は抵抗するように密度を高めていく。


 黒々とした靄の中心で、ぐぐ……と力任せに球体を収縮させる。

 久しぶりなので身体が鈍っているが、この程度なら問題ない。


「ぎゃああぁぁあああッ!?」

「わぁぁん、兄ちゃんたすけ、助けて!!」


 小屋の近くをうろついていたのだろうか。


 瘴気を空間ごと収縮させ、跡形もなく消し去ろうとした千歳の耳に、間抜けな豆狸兄弟の叫びが届いた。






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