第15話 罪を償うにはもう遅い


 侍女が開けるのを待たず、蒼士郎は障子のさんに手をかけ、勢いよく横に引いた。

 そのまま、部屋の中央に平伏する芙美の元へと歩み寄る。


「『護り石』をこちらへ」


 小指の爪ほどしかない小さな石を受け取り、丸みを帯びた楕円形の表面をそっと撫でると、澄んだ霊力が流れ込んできた。


 ……間違いない、本物だ。


「最後に確認されたのは千年前。現在同様、三ツ島の瘴気が膨れ上がり、抑えきれなくなった時だ」


 実在するなど思いもよらず、さらには千年前と同じ状況……何か因縁めいたものを感じてしまう。


「前回は生まれた時に握り締めていたらしいが、お前はどうだ?」

「……ぞ、存じ上げません」

「先程も伝えたが、『護り石』は胎児の霊力が溢れ、結晶化されたものだ」


 つまり、持ち主と同じものであるはず。

 だが目の前の娘からは、濁りきった微弱な霊力しか感じられない。


「コレは、本当にお前のものか? ……どうみても、お前とは質が異なるのだが」


 芙美が、ギクリと肩を揺らした。

 まさかバレるとは思わなかったのだろう。

 真っ青になって震えている。


「もし本当にお前よりも妹の霊力が強いならば、そのも者また『護り石』を持って生まれてくるはずなのだ。溢れ出てた霊力が結晶化するのだからな」

「……ッ!!」

「再度問おう。コレは、本当にお前のものか? 現に今『護り石』を手放した途端に、随分と霊力が小さくなったようだが」


 心の芯まで凍り付きそうなほどに冷たい声。

 我らを甘くみているとしか言いようがないな、と蒼士郎は忌々いまいましげに呟くと、腕に巻いていた包帯をしゅるりと解いた。


「……もしバレないと思っているのなら、それは大きな間違いだ」


 とぐろのように巻き付く黒色の蔓模様。

 空気に触れ、立ち昇る炎のように揺らめいている。


「……瘴気!?」


 平伏していた顔を上げ、慄くように尻餅をついた後、芙美はそのまま後退った。

 これほど濃い瘴気は初めてなのだろう、その目が恐怖に見開かれる。


「『護り石』は確認のため、一度預からせてもらう。もしお前が本当の持ち主であればこの程度、石など無くても、ものの数秒で消せるはずだ」


 護り石が消えていないということは、まだどこかに本来の持ち主――妹が生きている可能性は高い。

 望み薄だが、早急に探すしか手はないだろう。


 畳に拳を打ち付けて「さぁ行け」と告げると、黒い瘴気は編み込まれた井草を伝い、ザァッと音を立てて芙美のもとへと達した。


「きゃあああぁぁああッ!?」

「瘴気の耐性を付けるため、幼い頃から俺が身の内に飼っているものだ。頑張って祓うことだな」


 芙美の悲鳴を聞きつけて、当主夫妻が慌てて部屋に飛び込んでくる。

 着物の裾からのぞく芙美の足に瘴気が纏わりついているのを目にし、懸命に祓おうとするが、ビクともしない。


「芙美、芙美ッ!? これは、どういうことですか!? この子は大切な跡取りです。いくら涅家の当主様とはいえ、あまりにも……ッ!!」

「お前達の話が真なら、何も問題はない」


 そうしている間も瘴気は芙美の身体を蝕み、首元まで到達する。


「イヤァァアアアッ!! 返して! 石を返してよ!!」

「クソッ、芙美大丈夫か!? 自力で祓えば……」

「お父様は何を言っているの!? アレがないと無理よ……!!」


 芙美は叫ぶなり『護り石』を奪い返そうと、瘴気まみれの腕を蒼士郎に向かい伸ばした。



 ***



「なんでこんなことに……?」


 真実を話し、別の家から生贄を選んでもらいたい。

 あのあと父に懇願したが、「今更言える訳がないだろう!?」とあえなく却下され、――そして今、別室でひとり蒼士郎を待っていた。


「私のじゃないのに……!!」


 そもそもどこから持って来たかも分からない『護り石』。

 七歳の誕生日を迎え、次期当主としてお披露目をする日の朝、父から呼ばれ、小さな琥珀色の石を手渡されたのだ。


『お前の護り石なのだから、大切にしろ』


 自分が『護り石』を持って生まれたなんて、初耳だった。

 よく分からないまま握りしめると、澄みきった霊力が自分の中に流れ込む。


 これはすごいものだ、とすぐに分かった。

 質も量も自分とは段違いだったため、本当の持ち主は別にいることにも、内心気付いていた。


 だが石の霊力を使って次々と異形を祓い、もてはやされるうち、すべては自分のものなのだと、――いつしかそう、思い込むようになったのだ。


「……『護り石』を持って生まれたのは、本当にお前か?」


 すべてを見通すような冷たい瞳を白狐の面奥から覗かせ、蒼士郎は問いかけてくる。


 調子に乗って使い過ぎると一時的に空っぽになったりもするが、朝には戻る、魔法の石。

 そしてその石がなければ殆ど霊力のない役立たずであることを、芙美は今更ながらに思い出した。


 瘴気が足に絡みつく。

 皮膚が焼けただれるような熱と痛みが、猛然と襲い掛かる。


「きゃあああぁぁああッ!?」


 瘴気は芙美の身体を蝕み、首元にまで達した。


「返して! あの石を返してよ!!」


 芙美は蒼士郎の手の中にある石を奪おうと、瘴気まみれの腕を伸ばす。


「邪魔者も消して、やっと憂いがなくなったのに!」

「……邪魔者を、消した?」


 蒼士郎の鋭い声に、ハッとして口を紡ぐがもう遅い。


「おい、神宮司の。妹は事故で海に落ちたのではなかったのか?」


 まずいと顔を歪めた神宮司家当主の胸倉を掴み、蒼士郎は怒りを全身に纏わせる。


「金を受け取った挙げ句、生贄を海に落としたのか? もしやこれは、妹の『護り石』なのでは?」


 掴んだ蒼士郎の腕からまたしても瘴気が立ち昇り、部屋全体を呑み込んでいく。

 重ねて言い訳をしようと前に出た妻もまた、瘴気に、蝕まれた。


「いいか? 祓い屋を恨む異形は数多おり、だが屋敷内に入ってこないのは、土地を守護する神がいるからだ。だがここには」 


 ――ここには、神がいない。

 痛みと恐怖に叫び、転げまわる者達へと蒼士郎は告げる。


「にも拘わらず家門が続いたのは、恐らくお前達がこの石を所有していたからだ」


 それほど、『護り石』に込められた霊力は清浄なものだった。

 だが今、この石は蒼士郎の手の内にある。


「我らを謀った罪は重い。神宮司家の者ならばこの程度、自力でなんとかしろ」


 革紐の付いた石を大事に布にくるみ、蒼士郎はたもとへと移動する。


「本来我らをはかれば即死罪。犯した罪を償うにはもう遅いが、努力次第で無罪放免だ、感謝しろ」


 襲いかかる痛みと絶望に三人の顔が歪む。

 吐き捨てるように告げ、随伴した者達とともに、蒼士郎は神宮司家の屋敷を後にする。


 そして涅家の皆が帰路につく船へと乗り込み、本土を離れた直後――。

 邸内が異形の気配に染まり、漆喰で塗られた白壁を、鮮やかな朱が彩った。





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