第7話 喰われるならば、諸共に


 あやかしに襲われたショックからまだ覚めやらず、小刻みに震えていた松五郎だったが、怪しい雲行きに慌てて千歳のもとへと駆け寄った。


「待ってくれ。そいつはここで働く手筈になっている」


 見ろ証文に判も捺してあると、男の鼻先に証文を突き付けた。


(おい、思っていた以上にヤバい場所だぞ!? 何で涅家に行きたいかは知らねぇが、花街のほうがまだ安全だ。考え直せ)


 下働きが喰われたと聞き、男に聞こえないよう小声で忠告してくれる。


 こそこそと話す二人が不快だったのか、男が目を眇めた。


「……女子供をかどかかし、売り払う悪質な女衒も多いと聞く。お前もその類か?」

「何だとこの野郎!! いくら涅家の人間でも言っちゃならねぇことがあるんだぜ? 拐かしたわけでも、脅したわけでもない。自身の意志だ」

「ほう、成人にも満たない娘に証文へ血判を捺させ、売り払うことがか? 知識もなく判断の付かない娘を騙し、連れて来たのだろう」


 松五郎に冷笑を浴びせかけ、男は千歳に向き直った。


「娘、名は?」

「『千歳』と申します」

「では千歳、お前を売った金はどこへ?」


 千歳は困ったように松五郎を見上げた。

 女衒に預かってもらい、年季が終わったらお返しいただく予定ですと答えたら、さらに誤解を招きそうである。


「……女衒の懐へ入るのだろう?」


 そう言うなり、男は半歩下がって間合いを取ると、手元が見えぬほどの速さで刀を抜く。


 先程まで松五郎が突き付けていた証文が、ヒュ、という風切り音とともに真っ二つなって、真横にずれた。


「金を渡していないのならば、証文は無効だ」


 ひらりひらりと舞い落ちる証文の下半分に目を留めながら、男が何事かを呟くと、瞬く間に燃え上がっていく。


 それは、本土では見ることのない黒い炎。

 かがり火のように揺らめきながら、墨と見紛うばかりに黒く染めあげられた証文は、地に落ちることなく灰になった。


 一筋の煙が弧を描きながら空ににじみ、風を受けては途切れ途切れに消えていく。


「さて、証文は消えたわけだが?」


 喉元に刃先を付きつけられ、松五郎は一歩後退った。

 誰かに助けを求めようと視線を巡らせるが、花街での刃傷沙汰は日常茶飯事……巻き込まれてはたまらないと、皆遠巻きに去っていく。


「――お前も、消えるか?」


 その言葉とともに、松五郎が持っていた残りの上半分の証文が、プスプスと音を立てながら黒ずんでいく。

 そして次の瞬間ボッと小気味よい音を立てて、勢いよく燃え上がった。


「熱ッ!?」


 メラメラと燃え上がる証文に怯え、慌てて手放した松五郎の瞳に怖れが走る。

 だが怖いくせに、松五郎はなおも食い下がった。


「くそぅッ!! だが証文がなくたって関係ねぇ。俺はそいつに飯も着るものも与えたんだ。今更無かったことにして、勝手に連れてくのは横暴だろう!?」

「……では、こうしよう。先程も言ったとおり、俺が千歳を買ってやる。女衒が与えた飯と着物は手付金として扱い、倍返しで契約解除だ」

「高くつくぞ!? そんな小娘を買っても、見合う働きなんざできねぇぞ!?」

「問題ない。見合うか否かを決めるのはお前ではない」


 後ほど言い値を払ってやると言われ、それ以上は何も言えず、松五郎はグッと言葉に詰まった。


「さてこれで証文は無くなり晴れて自由の身だが、頼るアテもないのだろう。どうだ? 一緒に来るか?」

「……ひとつだけ、お願いがございます」


 千歳は背伸びをし、男に何事かを耳打ちする。


「あの女衒が恩人だと? いやまさか、さすがにそれは……どうしてもか?」

「無理を言って申し訳ございません」

「人手は年中足りていないからな……そうか、ならば仕方ない。一人追加だ」


 一瞬険しい顔をして、それから迷うように眉間にシワを寄せた後、後ろに立つもう一人の白狐の面を被った男に指示を出した。


「松五郎様、松五郎様」


 すべて丸く収まり、ご機嫌の千歳は松五郎を手招きする。

 突然の笑顔に、松五郎は警戒しながらにじり寄った。


(まったくすぐにほだされて。松五郎、この仕事に向いてないのでは?)

(ぐっ、また……うるせぇ。なんでそんなに偉そうなんだお前は!?)

(そんなことはありません。松五郎のほうが余程偉そうです。……ときに松五郎、身寄りは?)

(そんなもん、ねぇに決まってんだろ)


 訪れた松五郎の家は、他に人がいる気配はなかった。


「……ひとりは、寂しいだろう?」


 思わず漏れ出た千歳の言葉に反応するように、裾に描かれた金魚の目がキョロリと動く。

 幼い見た目に似つかわしくない、染み入るような穏やかな声色に、松五郎がグッと唇を噛んだ。


 浴衣の件といい、花街に来てからの件といい。

 悪ぶってはいるものの、不器用で世話好きなこの男が、千歳は嫌いではなかった。


「共に来ないか? あの男から許可も得た」


 小鬼に食べられてしまうかもしれないが、冗談めかして告げてみる。

 驚きに開かれるその瞳に、千歳の満面の笑みが映った。


「――案ずるな。喰われるならば諸共もろともだ」


 拒否は許さないと笑う千歳を食い入るように見つめ、松五郎は何かを堪えるように目を閉じ……そして、小さく頷いた。


「もういいか? 話はついたな。……では、行くとするか」


 そう言うなり男は屈み、片腕で軽々と千歳を抱き上げる。

 後ろにいた白虎の面を被った男も同様に、松五郎を肩に俵担ぎにした。


「うおッ!? 俺も担がれるのか!?」

「……舌を嚙まぬよう気をつけろ」


 そう告げるや否や、およそ人とは思えない、野生の獣のような速度で走り出す。


 胃の中が逆流してグラグラと眩暈を覚え、千歳は必死で男の首にしがみつく。

 街往く人々が驚いたように振り返り、その視線が何百と身体をすり抜けていった。


 周囲の景色が後ろへ、後ろへ……飛ぶように流れていく。


 見えてきたのは、涅家へと続く内側の高壁。

 花街の内を囲む高塀の中央には、――そう、北側の大門。


 南の大門と造りは同様だが、その柱は烏羽色に黒く染められている。


 こちらは『人間』のみならず、『人間以外・・・・』も通ることが可能な……特別な通行手形を持つ者のみだけが行き来を許される、出入り口。


「うおぉぉ……ッ!!」


 俵担ぎをされながら叫ぶ松五郎の声を聞きつけ、大門の脇にある詰所つめしょから役人達がバラバラと飛び出してきた。









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