第6話 願ったり叶ったり
「おい、大丈夫か? 何を呆けている?」
腹に響く低い声。
面奥で瞬くその双眸をぼんやりと見つめていた千歳は、ハッと我に返った。
訝しげな視線を向けられ慌てて膝元の砂を払うと、そうだ置屋に行かなければと、ふらつきながら格子戸へ手を伸ばした。
「――待て娘。お前はここが何だか分かっているのか?」
袖からのぞいた千歳の細い腕を、男は引き止めるようにガシリと掴む。
……勿論知っている。
幸い、浴衣のおかげで幼く見える。
身売りはするが、勘違いするままにしておけば客を取るまで時間を稼げ、涅家へ行く算段も立てやすい。
「存じております。この置屋が私の引き渡し先です」
「……何をする場所か分かっているのか、と聞いている」
振り払うことを許されず、握る手の力強さに驚いてしまう。
助けに来たところを見ると涅家の人間なのだろうが、所詮は使いっぱしり。
強く腕を掴まれ問い詰められるが、下っ端と話したところで何が変わるとも思えない。
「助けてくださったことには御礼申し上げます。ですが貴方様はそれを聞いて、どうなさるおつもりですか?」
質問に質問で返されるとは思っていなかったのだろう。
男が、不快げに眉をひそめた。
「死にたくなければ止めておけ。金払いは良いが、生きて出られる保証はない」
「……あらぬ罪を着せられ、この島へと流れついた私には、他に方法がないのです」
「まだよく理解できないだろうが、あやかしが客として訪れることもある。今回のように、その身に危険が及ぶのだぞ?」
案の定、実年齢よりもだいぶ幼く見えているらしく、男は難しい顔をする。
しかも冤罪での島流し。
同じ涅家の者だろうか、後ろから現れたもう一人の狐面の男も、悩ましげに腕組みをしていた。
「物心付いた頃にはすでに親もなく、義両親に虐げられて育ちました。出自が貧しく学もなく、出来ることといえば身売りくらいです」
いらぬお節介を焼くところを見ると、もしかしたら多少の権限を持っているのかもしれない。
それなら、下働きでいいから雇ってもらえないだろうか。
ちょっぴり期待を籠めつつ、松五郎に使った設定をゴリ押しして反応を窺ってみる。
「お金もないので、働かねば食うに困ってしまいます」
「金のためなら死んでも構わない、ということか?」
「……」
男の言葉にどう返事をすべきか迷い、千歳は喉を詰まらせた。
死んでも構わないとまでは言っていない。
だが沈黙を肯定と捉えたのか男は掴んでいた腕を離し、今度は千歳のあご下に指を差し入れた。
「こんな幼い娘が罪もないのに流れつき、身売りをしたあげく無駄死にしたとあっては夢見が悪い」
松五郎といい、目の前の男といい、一体千歳を何歳だと思っているのか。
千歳の顔を上向かせ、考えるように首をわずかに傾げた後、仕方ないと呟いた。
「では俺が、お前を買おう」
「貴方様が?」
突如現れた見ず知らずの使いっぱしりが、千歳を買ってくれる。
途中から少々期待感はあったが、こんなに上手くコトが運ぶと逆に心配になる。
だが本当であれば、どれほどありがたいことだろう。
「ちょうど先日下働きの人間を、小鬼が食べてしまってな」
「小鬼が、食べた!?」
「痩せっぽちの小娘に何ができるかは分からんが……衣食住は保障されているし、わずかばかりだが給金も出る。花街で働くことを考えれば、悪い条件ではないはずだ」
そう告げるなり、千歳の反応をつぶさに観察しているのか、白狐の面奥に覗く瞳が輝きを増した。
「あやかしが瘴気に侵されると、人を襲う。善良なあやかしと区別するため、我らはこれを『異形』と呼んでいる」
ひとたび異形に堕ちると、二度と元には戻れないのだと男は言う。
「うちの屋敷はあやかしだらけでな。瘴気で異形となる者もたまにおり、使用人が喰われることもある。だが『金のためなら死んでも構わない』のであれば、何も問題はあるまい」
それは問題ないと言えるのだろうか……?
男の言葉に、千歳の目がこれ以上ないほど大きく開く。
だが涅家に行けるのならば願ったり叶ったり。
……降って湧いた幸運に、千歳の頬が綻んだ。
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