第20話.聖女はベッドドンされてるの


『――アリス! アリスッ!!』


 声とともに、揺さぶられてアリスは目をあける、同時に上に誰かが乗り上げていることに気が付いて叫び声をあげて――口をふさがれた。手で。


 ――!!


 暗闇の中に誰か、男性がいる。


「落ち着け、アリス」


 乗り上げた存在が静かに耳元でささやく、怖くて暴れようとするのに身体が動かない。


「何もしない、俺だ。――イヴァンだ!」

「――んっやめっ、殺さないで」


 左、そして右手が、人の頬をかすめる。先ほどのように拘束がされていない、逃げられるかもしれない。暴れて振り上げた手を上の男が掴む。


「――おちつけ、アリス」


 声が違う。自分を呼ぶ声、雰囲気が違う。静かで重量感のある声に、ようやくその言葉が頭に染み込む。上にのるのはイヴァンだ。


「お前は誰にも殺させない――いいな」


 まだ手を掴んだまま目をのぞき込んでくるイヴァン。アリスは目を見ひらき、荒い息を繰り返していた。


「手を離す、お前には誰も危害を加えない。いいか、だから叫ぶな。暴れるな」


 彼の瞳は、深淵みたいだ。暗くて、そこに何があるのだろう、見えない。そこに落ちてみたい、何を考えているか知りたくなる。けれど、落ち着けと目が言い聞かせてくる。


「深呼吸だ、ゆっくり吐いてみろ、そして吸え」


 アリスは、彼の声にしたがいゆっくり吐いて、ようやく息が落ち着いてきたのを感じる。


「いい子だ」


 その優しく穏やかな声に、涙がにじんできた。


「こわか……っ」


 声が震えて半泣きになる。怖かった、そう言いかけて――過去に彼に言われたことを思い出す。


『――か弱いふりをするな』


 固まり、アリスは息を吐く。そうだ、彼は甘くない。じっと見上げていると、いぶかし気に赤い目が見下ろしてくる。闇の中では褐色にみえる。


「泣かないのか?」

「……泣いてもいいの?」


 彼は黙り考え込む。


「泣くのはお前の勝手だ」


 そりゃそうだ。ただ慰めてくれるかどうか、を聞いているのだけどね。たぶんしてくれないのじゃ、泣く意味がない。


「泣いたら慰めてくれる?」


 黙り込む彼は考えているようだ。


「――それが必要なのか?」

「いいよ、嫌でしょ。だからどいて」

「――なぜ、泣いている? 夢ごときで」

「夢ごときで泣かれるのは嫌でしょ」


「それがおりならば、慰める」


 お守りとか面倒係とか、荷物持ちとか、昇進してくんないのかな! こっちは聖女だとか聖女証明ができないとか、じゃあどっちよとか思うのに。


 たぶん夢の中で聖女と呼ばれたせい。別の聖女が殺されたと聞いたせいで鮮明な夢になったのだ。


「お守りとか、面倒とかもういい加減にして! こっちだって傷つくよ!! それに、アリス! 私はアリス!!」


 至近距離で怒鳴れば、彼は驚いた顔をしていた。


「お前とか、お荷物とか面倒とか。お前とか。アリスって呼んでよ!!」


 叫んだあとに見上げれば、思いもよらないという愕然とした顔。なんでこんなに表情がわかるのかというと、月明かりが良く照らしてくれたから。ここはカーテンがない、そう言えばどこかのベッドの上だった。


「アリス……」

「そうだよ……」

「アリス、か」


 いや、そんなに繰り返さなくてもいいです。自分の名前を呼べと強制したのが恥ずかしい。お前でもういいよ。


 それに最初は“聖女”と嫌みなほど繰り返されたし。なんで初めて言葉を覚えた子どもというか、ロボットのような感じになっているの? どうせ、またからかうのでしょ?


「嫌ならいいです……」


 無言で考えているので、もういいよ。それに。


「なんで、上にのっているの?」

「お前が暴れたからだ」

「で……その、あの……」


 返事がないのも怖い、怖いんですけど。夢であの魔王を連想させる。アリスは息を呑んだ、すごい圧力だ。顔が近いし、身体も近い。上を見上げれば鍛えた男性の顎と喉。横を見れば壁ドンならぬ、ベッドドンの筋ばった太い腕。そして、その上半身は裸体で……。


「……なんで、裸なの……」


 弱々しくいってしまう。ここまでイケメンで立派な体格だと、なんかもう襲われてもいいような……じゃなくて、見下ろされている自分が“ちんくしゃ”すぎて、恥ずかしい。


 あなたの視界に、いれないでください……。


「眠る時は裸だろう。鎧を着て寝ない」

「もう泣かないし、暴れないので、降りてください……」


 ――そして、服を着てください。


 半泣きのアリスに気づいたのか、イヴァンは不可解という顔のままアリスの上からどいた。そして片手で引き上げる。


 グイッと持ち上げられて驚いていると、両手でいきなり抱きしめてきた。裸で体格のいい男性に抱きしめられるなんて初めてで息が止まる。


 鍛えた胸が頬に当たり、何も考えられなくなる。


(なにこの状況……)


 夢でも見ているの? 嫌な奴でもイヴァンは、優しい時もある。たぶんこれは慰めていてくれるのだろう。不器用な人だ。温かい、頬にふれる肌。人の肌の匂い。


 目を閉じれば涙が滲んでくる。一方で冷静に頭の中で判断している。イヴァンの心拍数は普通だ、早くなっていない。


 彼は緊張していない。――アリスのことを彼は何も思っていない。


「なに、してるの?」

「――慰めている」


 静かな声が響いている。頭と、それから抱きしめられている体に伝わってくる声からの振動。手が後頭部に入れられる。持ち上げられて、強く引き寄せられて息を吸う。


「何でまだ泣いている。……名を呼ばないからか?」


 かけられる声に、アリスは彼の身体を押し返す。ほら、困惑している。


「もういいよ、大丈夫だから」

「今日、お前は頑張った」


 後頭部の髪をかき上げて、撫でる手にそんなことができる人なのかと驚く。


「頑張ってないよ」


 役に立っていない、そう言うくせに。


「聖女は俺達が闘うほど消耗するとレジナルドに聞いた。波長を合わせられないと、精気を与えられないそうだ。パーティ登録をすれば、もう少し楽にできるらしいが、それをしていないのに、可能なのはかなりの能力。お前の頑張りだそうだ」

「……そんなの意識していないよ」


 そんな優しく言われても。落として持ち上げる。彼はそれを意識してやってるとわかるのに。


 アリスが彼を押しのけると、イヴァンはそれに逆らわずしたいようにさせる。ベッドに座ったアリスを彼は見下ろしている。大きな体格で迫力があるのに、なんだか圧がない。繰り返される言葉、なのに脅しもなくどこか気落ちしているような、途方に暮れているような気がする。


「お前は、俺を騎士にする気はないか?」

「今日、登録させようとしたことだよね」


 聖女獲得の話だよね、何も知らない私をだましてそうさせようとしたことだよね? 

穏やかなイケボ声で言われるとその気になりそう。イヴァンは悪びれず頷く。


「そうすれば、一番にお前を守ってやれる」

「そのメリットは? なんでそうしようとしてくれるの?」


 彼は最初からそれにこだわっている。少し黙った後、彼は口を開いた。


「――俺は、魔王を倒したい」


 だよね、それが一番の理由だから聖女を取り込みたい。“私を守りたいから”なんて期待をしてはいけない。いや、彼はゲームでは裏切り魔王側につくのだ。だから魔王を倒したいのも嘘。しかも、その時に連れ去ろうとするのは、ヴィオラだ。今のところヴィオラと仲がいいそぶりも見せないけど。


「お前はこの世界を知らなくて力もなくて、危なっかしい。だから守ってやりたい」

「――そうすると、特殊な力とかが貰えるからだよね?」


 アリスがイヴァンの声に滑り込ませると、彼は間を置いた後頷く。


「打算だね」

「だが、それは聖女を守るためだ。お前はこれからさらに強い魔物、人間に狙われるようになる。それには特別な力が必要だ」

「……あなたが、私を守りたいという理由が全くわからない。当てはまらないよ」


 あぶなっかしい、そんなのが理由になるなんて浮かれるほど単純な性格じゃない。

 彼はアリスをしばらく見下ろしていたが、背を向け隣のベッドに腰を掛ける。アリスの方を向いたままだ。

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