花嫁繚乱ハートビート
古手 忍 from uNkoNowN
花嫁繚乱ハートビート(改訂完全版)
第一話
俺は魔力二輪車を走らせていた。六月の風は、湿度と気温を頬に叩き付けてくる。アスファルトのひびの上を通過し、僅かにタイヤが浮き上がった。ふと見上げると、入道雲だけがあった。それ以外は、ただ青かった。
二輪車を止めたのは、和風のお屋敷の門の前だった。
紐を引いて呼び鈴を鳴らすと、いつも通り、出て来たのは眼鏡を掛けた少女。和風の屋敷に相応しい、和風の美人。
「喫茶リユニオンのデリバリーサービスです」
二輪車の後部に積んでいた、ケーキを手渡す。
「ありがとう。新作のケーキ、楽しみにしていたわ」
長い黒髪が微風に揺れる。お嬢様、というやつなのだろうか。その割には、このお屋敷には、彼女以外が住んでいる気配が無い。
まあ、何か訳ありなのだろう。三十年前の巨大隕石衝突で地球人口が半減し、社会が崩壊したこの世界――『大災厄』後の世界で、訳ありでない人間などいない。俺だって、探られたくない所は色々ある。彼女だってそうだろう。
「毎度ありがとうございます」
それだけ言って、二輪車に再び跨る。
大事なのは、彼女が常連で、定期的にお金を落としてくれるということなのだ。
さて帰ろうかと、ハンドルを握った。そして――
――お屋敷が爆発した。
「は――?」
魔力の匂い。もちろん、二輪車のものではない。――火属性魔法による攻撃か。それもかなり強力な。
「おい、後ろに乗れ。逃げるぞ」
ケーキを入れていたケースを投げ捨てる。他人の家を爆破するような、頭のおかしい奴なら、もう一発、今度はこっちに爆破魔法、なんて可能性は充分にある。
「いいえ」
「え――?」
お嬢様は、眼鏡を外した。彼女の右眼が金色に輝く。――魔眼か。随分とマイナーな魔法だ。
燃え上がる屋敷の方を彼女は向く。よもや、爆破犯と戦うつもりなのか?
ここで生き残るために下すべき判断は、お嬢様を置き去りにして、とっとと遁走することなのだろう。
だが――
お嬢様が魔法を放つのを、俺はただ見ていた。
「『
彼女の右眼から、雷属性を帯びた魔力が放出された。
魔力は放射状に広がっていく。紅炎と黒煙の中に紫電が煌めいた。
「即座に反撃してくるとは……」
男の声。煙の中に、地属性魔法で造られた壁が立っていた。
「嫌ですね、大人しく死んでくれないなんて。僕は『苦労』はしたくないんですよ」
煙が晴れ、土で形成された壁が崩れ、彼は姿を現す。
ぼさぼさの髪をした、長身痩躯の男だった。この暑いのに、ご丁寧に上着を着ている。
「わたしには敗北も逃走も許されないわ。あなたたちを斃さなければならない」
そう応える彼女の、背中だけが俺には見えた。
男は鼻で笑った。
「斃す? 不可能ですよ。キミとは、踏んできた場数が違う。見せてあげます! ダークネス――おぶっ」
俺が不意打ちで投げた水属性の低級魔法『アクア・ボール』が、男の顔面に当たった。
「今だッ! 『
間髪入れず、お嬢様の右眼から雷属性攻撃が放たれる。
「があッ! 『フラッシュ――バリア』!」
男は電撃を喰らいながらも、光属性の防御魔法を展開し、致命傷を避ける。
「貴様ァ! そこの男!」
「俺のことか?」
ぼさぼさ髪の男は、俺を睨んだが、すぐに深呼吸し、息を整えた。
「キミ、僕の味方になりませんか? この女に付いたところで、勝ち目は無いですよ。こちらに付いた方がいい。僕たちの目的を教えてあげましょう。どちらが正義か、判るはずです」
俺はお嬢様の方をちらりと見る。
「逆に俺がお前に教えてやる。戦闘中に無駄話をするな。――特に敵とは」
『アクア・ボール』を再び投げつける。お嬢様も『
「『アップヒーヴル』!」
男の手前の地面が変形して壁となり、攻撃が完全に防がれる。
「場数が違うと言ったでしょう? 僕の『頑丈さ』はあなたたちには凌駕できないッ!」
「では、試してみましょう。――『ドレスアップ』」
お嬢様はそう言った。一体なんだ? 聞いたことが無い魔法が発動された。
無数のツルが彼女の足元から出現し、その身を這い登っていく。やがてツルは、彼女の身体を首元まで覆った。そして――
白い藤の花が、全身で咲いた。
腰元からは、白い花が、ロングスカートのごとく枝垂れていた。
花の冠が出現し、そこから白藤のヴェールが、頭の後ろへと伸びる。
ただただ純白だった。あの空の入道雲のように白かった。
「『
彼女は言った。
ドレスから覗く肩だけが、初夏の陽に焼けていた。
「やああぁぁぁああああああ!」
アスファルトを蹴って、『
あのドレスは、見た目だけというわけではなく、外骨格として、身体能力を強化する機能があるようだ。
拳が土の壁を粉砕した。さらに、その向こう側のぼさぼさ頭の男を、未だ燃えている屋敷へと吹き飛ばす。
「『頑丈』なのは、あなたの防御魔法であって、あなた自身ではないわ!」
お嬢様は、追撃はせず、俺の方を振り向く。
「こっちに来なさい」
俺は駆け寄る。とどめを刺すために作戦会議をするのだろう。まだ戦闘は終わっていない。あの男は恐らく、衝撃吸収魔法を展開して生き延びているはずだ。
「まず、お互いの能力を確認しよう。キミ、属性と流派は? わたしは雷と草属性。流派はメイガス」
「水属性だけだ。流派はウィザード派」
水属性と言えば、最弱の属性だ。攻撃力も防御力もほぼ無い。使用属性の数は人それぞれで、最大で四つだが、俺は一つしか使えない。氷属性あたりが使えればコンボにできるが、水属性だけしか使えないのでそれも無理だ。使用属性は、基本的には、生まれた時から決まっていて、変化・増減することはない。
「がっかりしただろ。俺は、戦闘は全くできない。できることと言えば、せいぜい簡単な手品と二輪車の運転、多少の治癒魔法くらいなもんだ。共闘しても、役には立てないぞ」
「それでも――」
彼女の、金と黒の両目が、俺を見つめる。
「それでもキミは、戦うことを選んだ」
「あ、ああ」
俺は曖昧な返事をした。
「ありがとう。わたしに味方してくれて」
俺は何も言えなかった。
屋敷の燃え落ちるパチパチという音だけが、鮮明に聞こえた。
「そ、そんなことより作戦だ。あいつはすぐに建物から出てくる。燃えているから、中にいつまでもいるのは普通に無理だ」
「そうなると、出て来たところに魔法を叩き込んで、一撃で斃すのが良さそう。キミの『
『心音綺導』とは、人体にある最大の魔導起点・心臓の魔力を使用する魔法、言わば『必殺技』である。乱発できるものではない。
「ごめん。俺は使えない」
俺は乱発する以前に、そもそも一回も出せないが。
「なら、わたしの『心音綺導』で決めることになりそうね。ただ、相手も恐らくそれは察しているはず。わたしの雷属性で純粋魔術の『心音綺導』は、地属性魔法と相性が悪い」
「となると作戦は、一旦、俺が適当な攻撃を撃つ。キミの『心音綺導』を警戒している敵は、咄嗟に防御魔法が出てしまうはずだ。そこで、その防御魔法を確認したキミが、守られていないところから攻撃する。これでどうかな?」
敵の男の流派はスピリット派だろう。スピリット派は、自然魔術を主に使う魔術師たちの流派だ。『
「わたしも同じ考え。仮に相手が『心音綺導』を撃ち返してきても、わたしの魔力なら押し切れるはず。だから、やりましょう」
お嬢様も同意した。
俺は、男が出てくるであろう玄関の正面に立った。お嬢様は少し離れたところで、こちらを注視する。
俺は、神経を研ぎ澄ませつつ、体内で魔力を循環させ『アクア・サイクロン』を撃つ準備を整える。
――これでいいのか? ふと、そんな考えが、集中状態の脳をよぎった。本当にこの作戦でいいのか? 何か――致命的な何かを見落としている気がする。待てよ、確か敵は……
「いいや! これじゃあダメだ!」
俺がそう言った刹那、敵の『心音綺導』が発動するのを感じた。
「『ミスト・バリケイド』ッ!」
俺は咄嗟に魔法を切り替える。
魔力の霧が壁となって展開される。そこに、純粋魔術の炎が衝突した。
敵は四属性使いだ。光、闇、地――さらに火だ。そして『心音綺導』だけは純粋魔術を使うタイプのスピリット派だ。館を爆破した魔法。あれがあいつの『心音綺導』だ。
魔力の霧が音も立てず蒸発していく。熱が空気を伝わってくるのを感じる。
「頼む、耐えてくれ……!」
戦闘力はともかく、単純な魔力量だけなら自信はある。それに、水属性の唯一の利点は、火属性に有利であることだ。
しかし、霧の障壁は、その一部に穴を開けられた。そこから噴き出た炎が、俺に衝突する。
「――後は任せた……」
火達磨になり、吹き飛ばされながら、俺はぼやけた視界の端にお嬢様を捉えた。
「うあぁあああああ!」
『
「まったく『苦労』させてくれますね……」
ぼさぼさ頭の男はレイザービームで応戦する。
「僕はこれまでの人生で、嫌というほど『苦労』してきたんです。だから、あなたたちみたいな、碌に『苦労』してないようなガキ共が嫌いなんですよ! 分かりますか! 分かれよ! 理解しろ!」
地面に伸びた男の影が、意志を持ったように動いた。お嬢様の影を拘束する。すると、お嬢様の肉体に掛かる重力が突如として増し、立てなくなってしまう。
「『シャドウ・グラヴィティ』です。接近戦を続けたのは失敗でしたねぇ!」
「離しなさい!」
「そう言われて離す人がいるとでも?」
男の右手に光が集まっていく。
「闇とは空間であり、すなわち、引力である。ならば、光とは波打つ粒子であり、斥力である! とどめですよ。レイザー……」
その時だった。二輪車のエンジン音が鳴り響いたのは。
ぼさぼさ頭に向かって疾走する二輪車に乗っていたのは、俺である。
「治癒魔法も使えるんでな」
水属性は火属性に有利である。火傷の治癒ができないわけがない。
意識を取り戻した俺は、ダメージを回復しつつ、お嬢様とぼさぼさ頭の戦いを見ていた。俺が吹っ飛ばされた直後、お嬢様とぼさぼさ頭がどんな戦いをしていたのかは知らない。意識を取り戻した時には、お嬢様は接近戦を開始していた。
「おい、こっちに来るな!」
男は、光線をこちらに放つ。俺は二輪車上で魔法を使う。
「『アクア・スネーク』」
水の蛇が現れ、攻撃を飲み込む。飲み込まれたビームは、蛇の体内を乱反射して、俺の横をすり抜けていく。
男まで後、五十メートルも無い。
男は魔力二輪車を避けようとする。しかし、その足に『
「やめろ! 離しなさい!」
「あら、そう言われて――」
お嬢様ごと引きずろうとするが、重力を増やしているせいで、それも叶わない。
「オラァ!」
そして、俺の乗った魔力二輪車と、男は衝突した。
男の骨が折れる音が聞こえた。二輪車も壊れた。
重力魔法が解除され、お嬢様は立ち上がった。男は地に伏し呻いていた。
俺は男を見下ろして、言った。
「人間、誰だって『苦労』はしてるんだぜ。俺だってそうだし、そこのお嬢様もきっとそうだろう。形が違うだけだ。別に苦労自慢は勝手にしてりゃいい。だが、他人を苦労していないと決めつけて、攻撃するのは、単なる八つ当たりだぜ」
返事は呻き声だった。
「さて、こいつをどうしようかしら」
お嬢様は男を指差す。俺も腕を組む。
「放置する訳にもいかないし、どうしたものか……」
「それなら、問題無い」
女の声がした。
「誰だッ⁉」
門のような形状に空間が歪み、そこから、男女の二人組が現れた。
男の方は、整った顔立ちで、かなりの高身長だ。ぼさぼさ頭も身長は高いが、それ以上に高い。年齢は、十代後半から、二十代前半くらいだろうか。
声を発したと思われる女は、俺より少し年下、十代半ばくらいに見える。髪は短い。ティーシャツにジーンズと、動きやすそうな服装だ。
「やあ、久し振りだね」
女は微笑んで言った。
俺はお嬢様の方を見た。お嬢様も俺の方を見た。
「……誰です? 初対面でしょう?」
代表してお嬢様が訊いた。
「つれないなぁ。まあ、それは置いといて、キミたち『爆破』のアセビを斃すとは中々やるね」
女は続ける。
「だが、彼は四天王の中でも最弱。アセビくんに苦戦しているようじゃあねぇ。まあ精々、無駄な足掻きをすることだね」
「『
お嬢様が魔眼から、魔力を放った。
しかし、イケメンが腕を一振りすると、襲い掛かった電撃が全て逸らされてしまう。
「有り得ない! 素手で魔法を防いだ⁉」
お嬢様はそう叫ぶ。俺も同感だった。生身で魔法を防げるわけが無い。何かトリックがあるはずだ。だが、情けないことに、さっぱり判らない。
「我が姫に手は出させないぜ」
イケメンは一歩前に出る。
「姫じゃあなくて、指揮官だって、言ってるでしょ。取り敢えず、アセビくんを回収しといて」
「了解」
イケメンは、ぼさぼさ頭を担ぎ上げる。俺もお嬢様も、手出しができなかった。魔法を素手で弾けるやつを、下手に刺激するのは危険だ。それに、姫だか指揮官だかの実力も未知数だ。
イケメンと姫は、歪んだ空間の門に向かって歩き出す。門に入る直前、姫はこちらを振り返った。
「今回はアセビの独断専行。わたしたちは積極的に手を出すつもりは無いよ。キミたちには、斃す手間をかける程の価値も無いからね。でも、そっちが仕掛けてくるなら、容赦なく瞬殺するから。四天王は後、四人も残ってることをお忘れなく。それじゃあ、アデュー!」
「おい、待て、四天王なのになんで五人いるんだ!」
俺のツッコミには答えず、姫とイケメンと、担がれたぼさぼさ頭は、門の中に消えていった。すぐに空間は元通りになった。
「一体なんなんだ……」
俺はがっくりと膝を突いた。治癒魔法は、傷を治せても、疲労の回復はできない。
「後で説明するわ。ああ、わたしも疲れた」
『
「説明? お嬢様は、事情を知っているのか?」
「ある程度はね。それと、お嬢様じゃあない。わたしは
「俺は
戸籍制度も崩壊しているので、苗字が無かったり、逆に大量にあったり、好き勝手に名前を変更していたりするのは珍しいことでは無い。藤乃は、苗字も名前も一個ずつのようだが。
「乗り掛かった舟だ。色々と教えてくれ」
「……やっぱり、どうして、朔也はわたしに味方してくれるの? 何のメリットもないのに」
俺と藤乃は、同じ地面に座っていた。二人の上には、同じ青い夏空が、どこまでも広がっていた。
「――藤乃が、うちの喫茶店のデリバリーの、常連だったからかな」
「そんなことで?」
「そんなことだ」
俺は、ふふっと笑った。藤乃も釣られて笑った。
緩やかに吹く、六月の風が心地よかった。
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