第13話

『大きな屋敷には隠れ部屋や隠し通路が存在する』というのは噂好きなら一度は口にしたことのある話題だろう。でもそれは話に盛り上がりをもたせる為のただのネタで、本当に興味があるわけではない。むしろ、どこにあるかなんて知りたいとも思わないだろう。どうせ、秘密を知ってしまったところでいいことなんてないのだから。


 けれど、ダニエルは今まさにその隠し部屋を探していた。

 ――――精霊王様が言うにはそこにエーリヒがいるらしい。


 ただでさえ広すぎて迷うメーベルト城。精霊達に案内を任せてひたすら追いかけて辿り着いた先は……


「まさか……ヨハンの寝室ここなの?」


 精霊達が早く行こうとせかしてくるが無理だ。絶対に部屋の前に立っている護衛騎士達から止められる。

 どうにか穏便に入らせてもらえる方法はないか。と思案していると……


「こんなところで何をしているのですか?」


 いきなり背後から声をかけられダニエルはビクリと身体を揺らした。

 ――――気配は全く感じなかったのに。

 ドキドキする心臓をおさえ、ゆっくりと振り向く。


 ヤンの無機質な瞳とかちあった。ゾクリと背筋に冷たいものが走る。

 ――――なぜだろう。間違いなく彼は人間のはずなのに。それなのに、まるで人外と対峙している時のような感覚に陥る。


 ダニエルは強張る頬を何とか動かして笑顔を作った。

「ふと目が覚めてしまったんだ。喉が渇いたから水でも……と思ったんだけどこんな時間にいちいちメイドを呼ぶのも申し訳なくて。自分で取りに行こうと思った結果、ここまできてしまったって感じかな」


 こんな下手な言い訳がヤンに通用するとは思っていないが、他にいい言い訳も浮かばない。じっとヤンを見上げれば、ヤンは仕方ないとでも言うように視線を逸らした。


「……わかりました。水なら私がお持ちしましょう。まずは部屋へとご案内します」

「え、いや、場所だけ教えてもらえれば自分でできるから」

「いいえ。勝手に動かれる方が迷惑なので……」

「どうしました? ヤンさん?」


 いきなりヤンが目をいっぱいに開いて固まってしまった。瞳孔が開いているんじゃないかってくらい開いている。呼びかけても応えない。


「ぐっ」

「え、ちょ、ちょっと?!」


 突然胸元をかきむしるように掴み、唸り声を上げるヤン。明らかに異常だ。ダニエルは慌てて駆け寄った。


「大丈夫ですか?!」


 手を伸ばそうとしたが、勢いよく払いのけられる。


「っ」

「どいてください」

「え?」

「はやくヨハン様の元に行かないと」


 目の前を塞ぐように立っていたダニエルを押しのけ、ヤンはヨハンの寝室へと走る。護衛騎士も何かを感じ取ったのか慌てている様子だった。


「お前達はここにいなさい! ヨハン様の元には私が行くから誰も入ってこれないようにして!」


 ヤンの指示を受け、すぐに護衛騎士達が元の位置へと戻る。そのままヤンは寝室に入ってしまった。残されたダニエルは眉間に皺を寄せる。


 ――――ヨハンに何かあったってこと? 今、ヨハンはエーリヒと共にいるはず。ということはエーリヒがヨハンを?


 ダニエルもヤンの後を追おうとしたが護衛騎士に拒まれた。当たり前の反応だが苛立ちが込み上げる。


「どいてください」

「できません」

「……なら仕方ないですね」


 ダニエルはポケットの中から袋を取り出すとその中からクッキーを数枚掴み、空中に放り投げた。


「お願い! 彼らの足止めをよろしく!」


 言ったと同時にダッシュして寝室の扉を開く。


「待て! うわっ?! な、なんだコレは?!」


 ちらりと後ろを見れば、クッキーを片手に精霊達が各々力を振るっていた。護衛騎士達の髪が突然炎で焼かれたかと思えば、顔面を水で覆われもがき、ようやく呼吸ができるようになったかと思えば勢いよく顔面に空砲が撃ち込まれ鼻血を垂らし、まばゆい光のせいで視界は塞がれ、それでも何とかその場から動こうとしたら影をその場に縫い付けられ動けなくなるという……まるで魔法使い数人を一度に相手しているような状況だった。


『過剰』という言葉が頭に浮かんだが無視してそのままヨハンの寝室に入る。念のため中から鍵をかけておいた。


「お」


 ヤンはよほど急いでいたのだろう。寝室にある隠し通路への入口がぽっかりと空いたままになっていた。


 ――――ふーん。本棚をずらしたら入口が出て来るパターンか。安い仕掛けだけど……それも仕方ないか。ヨハンは魔力がゼロだから魔法は使えないし、この為だけに魔力石を使うのも手間。力が有り余っているヨハンにはこっちの方がいいんだろうな。


 光の精霊に先導してもらいながら暗い道を進んで行く。

 この先にエーリヒがいるのは間違いないらしい。


「ヨハン様!」


 と叫ぶヤンの声が聞こえてきた。せっぱ詰まった状況なのだろう。バレないようにそっと覗き見る。

 目を疑った。エーリヒがヨハンの上に跨り、ヨハンの首を絞めていた。


「ぐっ」

「きさまっ! その手を放せ!」


 勢いのままエーリヒに飛びかかろうとするヤン。ダニエルは咄嗟に飛び出し、懐に手を入れると隠し持っていた銃を取り出し、構え、ヤンを撃った。


「う”あっ!」


 足を打たれたヤンがその場に倒れこむ。


「え? きゃっ!」


 一瞬の隙をつかれたのだろう。よそ見をしている間に立場が逆転していた。

 エーリヒの上にヨハンが跨っている。ダニエルは銃をヨハンに向けた。


「どいてください。どかないと撃ちますよ?」


 けれど、全く動じないヨハン。


「撃ちたいなら撃てばいい。ほら、早くしないと君の大切なリヒト君が死んじゃうよ?」

「ぐっ」


 ヨハンの手がエーリヒの首に食い込む。それでも力は加減しているのだろう。時間をかけていたぶるつもりなのだ。ダニエルとエーリヒを。


 徐々に食い込んでいく手。苦しさで歪むエーリヒの表情。たまらずダニエルはヨハンを撃った。決してエーリヒには当たらないように気をつけながら、ヨハンの上半身を中心に数発。ただの人間なら間違いなく致命傷になる。


「ヨハン様!」


 ヤンが駆け寄ろうとするのをヨハンが止めた。間違いなく弾はヨハンの身体に当たっていた。血が流れているのがその証拠だ。けれど、ヨハンの余裕は崩れない。ニヤリと笑う。


「大丈夫だ。私が人間の武器などにやられるはずがないだろう。このくらい補充すればすぐに元に戻る。……少々もったいないが、ぎりぎりまで飲んで弱らせてから私のにすればいいだろう」


 エーリヒの首を掴んだまま強引に持ち上げる。エーリヒは必死に抵抗しているがヨハンの手は外れない。あのエーリヒでもヨハンには勝てないらしい。

 ダニエルの口から思わず舌打ちが漏れる。ぽいっと銃をその場に投げ捨てた。突然の行動にヨハンは「おや?」と首を傾げる。


「諦めたのか? 今更降伏したからといって私が止めるとでも?」


 明らかな嘲笑。しかし、その余裕はすぐに消えた。

 ダニエルが反対の内ポケットからもう一丁の銃を取り出し構える。


「? 銃を変えたどころで意味は……は?」


 ダニエルが撃った弾はヨハンの肩肉を吹き飛ばした。続けて数発。威力は充分。けれど、それだけではない。


「な、なぜ回復しない」


 動揺のあまりエーリヒの首を掴んでいた手を放して、己の肩に触れる。傷口から出ている血は流れ続けている。普通なら塞がるはずの穴が一向に塞がる気配がない。驚異的な回復力を誇るはずの身体が治癒しない。まるで、普通の人間のように。


「まさか、それはなのか? なぜおまえがそれを持っている? まさか最初から私の正体に気づいていたのか?!」

「……」


 答える代わりにダニエルは一発、二発と立て続けに銃を撃った。ヨハンは慌ててそれを避ける。が、いつものように動けないせいか完全には避けきれずに傷が増えていく。


「っ……ヤン!」

「はい!」


 名を呼ばれたヤンは己の身を盾にしてヨハンの前に立った。ダニエルの眉間に皺が寄る。


「どいてください」

「どきません」

「撃ちますよ?」

「どうぞ」

「……はあ」


 ダニエルが思わず溜息を吐いたその隙をヨハンは逃さなかった。全力で走り出す。一つしかない出入口に向かって。

 ダニエルは追いかけようとしたが、ヨハンと交代するように護衛騎士、メイド、とこの城にいる人々がなだれ込んできてそうもいかなかった。足を止めるしかない。

 彼らを制圧することは可能だが、極力傷つけたくはない。彼らはあくまで人間だ。ヨハンに操られているだけの。


 ――――どうしたら……。闇の精霊に助けてもらうしか。


 ただ、この人数を相手にするにはクッキーが足りない。まだ取引もしていないのにダニエルの眼が疼いた。それでもこの方法しかない。ダニエルは眼鏡のつるに手をかけた。


「待ってください!」

「エーリヒ?」


 いつのまにかエーリヒがダニエルの前に立っていた。決心した顔でちらりとダニエルを見る。


「何をしようとしているのかわかりませんが、ここは私に任せてください」

「いや、ここは僕に任せてくれれば」

「大丈夫。……半端ものの私にもこれくらいはできますから」


 そう言って、エーリヒは眼鏡を外すと前髪をかきあげた。瞳がよく見えるように。茶色だった目が眼鏡を外したことで本来の黒に、そして赤く染まっていく。全員が動きを止めた。


『眠れ』


 エーリヒと目があった順にパタパタと人が倒れていく。最後の一人が倒れた後、エーリヒは手を外しふーっと息を吐いた。そして、疲れたような、何かを諦めたような顔で振り向く。


「ね? 言ったでしょう? 大丈夫だって」

「エーリヒ……そうだね。ありがとう」


 意外な一言だったのかエーリヒの目が大きく開く。次いで、嬉しそうに、それでいて悲しそうに微笑んだ。

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