第1話

 王都から遠く離れた辺境の地。メーベルト領。一昔前は廃れた領地として知られていたが、今では王都と比べても見劣りしない程に栄え、若者達に人気の観光地として有名になっている。そんなメーベルト領の中でも最も人気のスポット。ヨハン商店街。ここも以前は廃れた商店街だったが、今代の領主が若者向けの繁華街へと生まれ変わらせた。常に流行の最先端の商品が手に入ると話題で、わざわざ他地方から若者達がやってくる程だ。

 ちなみにヨハン商店街のヨハンは今代領主の名前からとっている。領民達が感謝の意を込めてつけた名だ。


 目覚ましい発展を遂げたメーベルト領だが、そんな領地にも『裏』というものは存在する。

 表で暮らす人間達はまず立ち入らない禁域。ヨハン商店街から通じる細道を通った先にソレはある。『表』の顔とも言えるヨハン商店街とは真逆の『裏』商店街。


 そんな場所にヴィリーは初めて足を踏み入れた。昼間のはずなのになぜだか薄暗く感じる路地。至る所から視線を感じて落ち着かない。自意識過剰かもしれないが、自分を見て何か囁きあっているような気もする。正直、怖い。が、引き返すわけにはいかない。


 ヴィリーは自分に向けられる視線も、雑音も全て無視して、テオに渡されたメモを頼りにひたすら目的地を目指して歩いた。


「ここ、か?」


 メモのとおりだとココのはず。だが、ヴィリーにはどうもココが例の場所には見えなかった。見上げた先にあるのは赤を基調としたまるで貴族の屋敷のような大きな建物。その建物の二階の窓からは数人の女達が顔を出し、ゆらゆらと手を振っている。ヴィリーは一瞬固まり、慌てて周囲を見た。女達の視線の先にはヴィリーではなく、数人の男達がいた。各々、頬を紅潮させ手を振り返している。


 ヴィリーはホッと息を吐き、もう一度建物を見上げた。


 ――――やっぱり……どう見ても娼館にしか見えない。メモどおりにきたつもりだけど……道を間違えたのだろうか。いや、そもそもこのメモがあっているのかも怪しい。


 胡散臭い笑みを浮かべていたテオを思い出し、苛立ちが募る。

 どちらにしろココはヴィリーの目的地ではない。もう一度、駐在所に行こう。メモが間違っていたと強気で言って案内を頼めばいい。そう決めて踵を返そうとした。その時、背後から扉が開く音が聞こえてきた。


「お兄さん。初めて?」


 つい足を止めてしまったのを悔む。このまま気付かないフリをして帰ることもできたが、ヴィリーは振り向いた。

 建物の扉からひょっこりと顔を覗かせる女。ヴィリーの顔を見た途端、女は三日月型に目を細めた。そして、ゆったりとした動作で建物から出て来る。ヴィリーは女の服装を見てぎょっとした。薄い一枚布で作られたドレスは女の身体のラインを際立たせていた。そういう服装がすきな男もいるだろうが、ヴィリーはそうではない。

 女がヴィリーに近づくたびに、香水とおしろいの香りが強くなる。


「どなたかからのご紹介?」


 女は小首を傾げながらヴィリーに問いかけた。値踏みするような視線がヴィリーの頭からつま先まで向けられる。たびたび女から向けられる視線だ。ヴィリーの不快指数は急速に伸びていた。


 ――――アルマとは大違いだ。


 アルマも付き合うまでは目の前の女と同じような視線をヴィリーに向けてくることがたびたびあった。でも、それはあくまで好意的な視線を向けてくるだけ。媚びを売るような言動をしたことはなかった。

 ヴィリーは女がつける香水の匂いが大嫌いだ。香水をいい匂いだと感じたことは一度もない。ただ臭いだけ。化粧も必要ないと思っている。まあ、不健康に見えてしまうクマだとかシミだとかを隠すのは最低限の身だしなみだとして許す。が、それ以上の化粧は許容できない。いったい何のために必要なのか。意味が分からない。無駄だ。

 その点、アルマは完璧だった。香水をつけることはなかったし、無駄な化粧もしなかった。シミやそばかすを気にしていた頃もあったが、それも僕が「むしろそこがチャーミングじゃないか」と言えば隠すこともしなくなった。


 ただ……結婚式ではプロに化粧をしてもらいたいなんてことを言っていた。あの時はなんて馬鹿なことを言うんだと、つい怒ってしまったけれどヘルマンの意見を聞いて考えが変わった。結婚式くらいは許してやってもいい。どうせ結婚式だけの我慢だし。珍しくあのアルマが我儘を言ったんだから。


 ヴィリーは女と距離を取るように後ろに下がった。


「違います。道に迷っただけです。それでは、僕はこれで」


 半ば強引にその場から逃げだそうとした。けれど、少し遅かったらしい。女から腕を引っ張られ、止められる。

 眉間に皺を寄せて嫌悪感を露わにするヴィリーをものともせずに、女は鼻歌混じりに娼館の中へと向かって歩き出した。


「やめてください! 僕はここには用がないんですって!」

「大丈夫大丈夫。最初は抵抗があるだろうけど、一度経験してしまえばすぐに慣れるから。お兄さんは身体を貸してくれるだけでいいの。そうすれば私達がいい夢を見せてあげるから。ああ、紹介のことを気にしているなら大丈夫だから安心してちょうだい」


 女は一向にヴィリーの話を聞こうとはしない。腕を振りほどこうとしたが、女の爪が刺さって止めた。――――くそっ。仕方ない。隙を見て逃げ出そう。

 しかし、なかなか女は隙を見せない。どんどん店の奥へと連れて行かれる。ヴィリーは焦った。


「ほう。新客かい」


 この店には似つかわしくないしゃがれた声が響いた。ヴィリーが顔を上げようとすると、下から覗き込んでくる老婆と目があった。


「ひぃっ!」

「あっ」


 咄嗟に後ずさろうとして、女の手が離れ、勢いのまま尻もちをつく。そんなヴィリーを見て老婆は愉快そうにヒッヒッヒッと笑った。


「なかなかの男前じゃないか」

「でしょう! 紹介状は持っていなかったんだけど、あの子達の水揚げ相手にどうかなと思って」


 老婆はピクリと片眉を上げ、じっとヴィリーを見つめた。ヴィリーの背中に嫌な汗が流れる。――――水揚げだって?! 冗談じゃないっ。


「……いや、こいつは」


 老婆が何かを言う前にヴィリーが吠えた。


「お断りします! そもそも僕は客じゃありません!」

「なんだって?」


 途端に老婆の眉間に深い皺が入る。ヴィリーは一瞬気圧されそうになったが、すぐに取り繕って説明した。隣にいた女が焦っているようだが気にする必要はない。そもそも悪いのはあちらだ。


「僕は道に迷ってたまたまこの店の前をうろついていただけなんです。この店に用事はありませんでした。それなのに、この人が強引に引きづり込んだんです!」

「ちょっ」


 指をさされた女が慌てて言い訳を口にしようとしたが、老婆から睨みつけられ口を閉ざした。


「そういうことかい。どおりで……すまなかったね。ほらあんたも!」

「すみません、でした」


 謝罪を口にしながらも女は納得いっていない顔をしている。こういう輩とはいくら話をしたって無駄だ。ヴィリーは嘆息し、立ち上がった。服のほこりをはらう際にメモの存在を思い出した。ダメ元で老婆に見せる。


「『ダニエル探偵事務所』っていうところに行きたいんですけど、どこにあるか知ってます?」


 メモとヴィリーを交互に見て老婆は目を瞬かせた。

 ――――これは……どういう反応だろう?

 じっと見つめあっていると、二階へと続く階段から騒がしい声が聞こえてきた。


「だーかーらー! 僕はいつも言っているでしょう。そんなものいらないからお金をくださいって!」

「そんなもの、なんてひどいわっ! これでも私トップの稼ぎ頭なのに」

「なら、その稼ぎから僕に支払ってくださいよ! 僕がお金に困ってるの知っているでしょう?!」


 階段から姿を現したのは、一組の男女。男の方はヴィリーと同じくらいの年齢に見える。トザット王国では一般的な茶髪に、丸眼鏡をかけた中肉中背の男。その男が階段を転がり落ちる勢いで下りてきた。その後を追うように女が降りて来る。


 ヴィリーは初めて女に目を奪われた。

 メリハリのある身体に艶やかな長い黒髪。顎にある黒子とぽってりとした唇がとても妖艶的だ。香水とはまた違う薔薇のような香りがふわっと香ってくる。嫌な匂いではない。

 ヴィリーは慌てて視線を逸らし、距離を取った。胸元を押さえる。心臓が嫌な音を立てている。――――あの女は危険だ。

 本能がそう告げていた。


 警戒するヴィリーをよそに、女の意識は平凡を絵にかいたような男だけに向けられていた。


「仕方ないわね。あなたがそこまで言うなら払ってあげる。その代わり一晩だけ……いいでしょうダニエル?」

「いいわけないでしょう」


 あからさまな誘惑を当たり前のように拒絶する男にヴィリーは好感を抱いた。

 ――――それにしても女の方から求めるなんて……ん?


「ダニエル?」

「はい?」


 二人の男は目と目を合わせ、同時に首を傾げた。



 ◇



 ダニエルは浮かれていた。ここ最近の依頼と言えば、雨漏り修理に、猫探しに、失くした書類探しに、夫婦喧嘩の仲裁。というなんとも言えないものばかりだった。

 先程の娼館からの依頼も家具の修復作業。しかも、その依頼報酬が一晩のあれやこれやなんて馬鹿にしているとしか思えない。――――童貞だからって馬鹿にして! 僕にだってえらぶ権利くらいあるのにっ。


 と、憤慨していたのだけれど、ヴィリーのおかげでダニエルの機嫌はすっかり直っていた。警備隊からの紹介ということはちゃんとした『依頼』のはず。もしかしたら警備隊では解決できなかった難事件なのかもしれない。期待をこめてヴィリーを見つめる。


 が、ヴィリーは落ち着きなく室内をきょろきょろと見渡していた。


「どうかしましたか?」


 ダニエルが尋ねるとヴィリーはギクッと肩を揺らし、愛想笑いを浮かべた。


「いや、あの……探偵事務所を訪れるのは初めてなもので」


 事務所というにはあまりにも狭く、いいように言えばまるで一人暮らしをしている自室のようだ。けれど、今から依頼をするというのにそんな失礼なことは言えない。

 けれど、ヴィリーの言いたいことは伝わったようでダニエルは苦笑した。


「すみません。自宅と事務所を兼用しているものでして……仕事には支障はないので安心してください」

「は、はあ」

「では、さっそく依頼内容を聞いても?」

「はい」


 ヴィリーは背筋を正して、話し始めた。この話をするのは二度目だ。一度目は駐在所で。一度話したからか今回はすらすらと要点をまとめて話せた。

 ダニエルはヴィリーが話を終えるまで黙って聞いていた。


「なるほど。依頼内容は『婚約者の捜索』ですね?」

「はい」


 婚約者のアルマと連絡が取れなくなってからもう一ヶ月も経っている。けれど、警備隊は事件性が薄いからという理由ですぐには動いてくれなかった。


「警備隊ではまともに取り合ってくれませんでした。まずは確認確認って、そうこうしている間にアルマに危険が迫っているかもしれないのにっ」

「心中お察しします。……そうですね。ではまず、その婚約者の方の部屋を調べてみましょうか」

「え? できるんですか? 警備隊の方は事件性があるとはっきりわかるまでは部屋の捜索は強行できないと……」

「警備隊ならそうでしょうね。でも、僕は『探偵』ですから」


 そう言ってにっこり微笑むダニエルに、ヴィリーは戸惑いつつも期待の眼差しを向けた。

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