ゾンビが溢れた世界で
「ん?」
田部井大吾は眠い眼を擦りりながら、上体を起こした。
「何だよ。こんな朝っぱらから」
騒音をまき散らす玄関の方を恨めしそうに見ながら、大吾はベッドから起きた。先ほどから、アパートの扉が乱雑に叩かれ続けている。それが目覚まし代わりとなって自分を起こしたのだ。
「ん~……は?なんだよこれ」
窓辺に近づいて大きく伸びをした大吾は外の光景を見て絶句した。
人が人を襲い、その首筋に嚙みついていたのだ。噛みつかれた人は抵抗むなしく、力尽きてしまっていた。自分の視界の中だけでも六人の人が人を襲っているのだ。
その光景を見たからだろう。昨日の夜に食べた物が逆流してきた大吾は急いでトイレに駆け込んだ。
「うおおおおおおおおおおえええええ」
逆流してきたものを吐き出している間にもアパートの扉は叩かれ続けている。
「うっぷ。ふぅ」
多少楽になった大吾は玄関に向かい、恐る恐るドアスコープを覗いた。ドアスコープの先にいたのは隣の部屋の住人であり親友の北方餅ノ介だった。彼は息を乱しながら、ドアを何度も叩いていた。
大吾はドアチェーンを外し、鍵を開けて扉を開いた。すると、北方は逃げ込むように大吾の部屋に入ってくる。
「早く開けろよ!!」
「ご、ごめん」
北方にものすごい剣幕で怒鳴られ、咄嗟に謝ってしまう。彼は肩で息をしながら、ベッドに腰を下ろした。そんな彼に大吾は外の状況について尋ねた。
北方は頭を掻き毟り、何度も頭を振った。
「俺も知らねぇ。二時間前にコンビニに行って…………その帰りに……襲われてる人を見かけた。見て見ぬ振りが出来なかったから、助けようとしたんだが……逆に俺が襲われちまった。顔色の悪い、顔や体の皮膚が溶けた……腐敗臭のする……ゾンビ。そうだ、ゾンビに襲われたんだ」
「ゾンビ?」
まさかそんな馬鹿な、大吾はその言葉を口にすることが出来なかった。
互いに何も喋らず、ただ時間だけが過ぎていった。しばらく時間が経った頃、北方の右腕に噛まれたような跡があることに気が付いた。
「その腕、どうしたんだ?」
大吾は尋ねた。すると、北方は呼吸を乱しながら、首を傾げた。
「腕?何のことだ?」
「その右腕だよ」
「ん?あ、ああ……襲われた時に噛まれたのかな……気付かなかった」
「痛くないのか?」
「ああ、痛みなんて今まで感じなかったよ」
「救急箱持ってくるよ」
大吾は立ち上がり、救急箱の置かれている物入に向かおうとした。その時、北方が口を押えて咳き込んだ。
「だ、大丈夫か」
北方の横に戻り、彼の背中を撫でようとした。すると、北方は力なく俺に体を預けてきた。
「ど、どうした」
北方は何も答えない。
「どうしたんだよ北方……ちょっと寝るか?」
大吾はそう言って北方を自身のベッドに横たわらせた。その時に気が付いた。北方の体がとても冷たく……ひんやりとしていることに。
「嘘だよな?」
横になった北方の頬を叩く。しかし、彼は反応を示さない。胸に耳を当てるが、通常なら聞こえるはずの心臓の音が全く聞こえない。
焦った大吾はすぐに携帯で救急車を呼ぼうとした。しかし、電波が悪いのか、電話は繋がらない。
「し、心臓マッサージ」
携帯を投げ捨て、北川に手を伸ばした時、目を瞑っていた彼の瞼がゆっくりと持ち上がった。
* * *
大吾は走っていた。
困った時、ストレスが溜まった時によく訪れる公園を目指して走っていた。走りながら周りを見ると、ゆっくりとした足取りで人々を襲うゾンビの姿が目に入った。
悲鳴、断末魔、絶叫。
地獄絵図という言葉がぴったりの光景が大吾の目の前に広がっていた。
地獄の中を走り続けた大吾はようやく目的地である公園に辿り着いた。木々に囲まれた緑溢れる自然公園。大吾はこの場所が大好きだった。
肩で息をしながら、大吾は公園に足を踏み入れた。しかし、足がもつれて盛大に転んでしまう。
「……びっくりした」
ゆっくりと立ち上がりながら、大吾は首を傾げる。痛みを感じなかったのだ。膝は擦り剝け、血が出ているはずなのに、痛みを感じなかった。手や腕からも血が出ている……なのに痛みは全く感じない。
「ははははははははは」
腹を抱えて笑った後、自分の頬を抓った。大吾の予想通り、痛みを感じなかった。
痛くない。夢だ。これは夢なんだ。ゾンビなんて現実にいるはずないじゃないか。
笑い過ぎて浮かんだ涙を拭い、大吾は軽い足取りで……とはいかず、血が出ている右足を引きずりながら、公園の中心部へと向かった。
公園の中心部には噴水があり、噴水の周りを囲むように花壇とベンチが設置されている。大吾はその内の一つに腰を下ろした。
妙にリアルな夢だったけど、早く覚めないかな……。それにしても、眠いな。
大吾は鉛色の空を見上げた後、ゆっくりと目を閉じた。
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