画面のなか(仮題)

あああああ

第1話 「お前……、これ、どうやって脱ぐんだ!?」

「ああ、今日も全然駄目だ」

 モニタの光だけが辺りを照らす薄暗い部屋の中、章吉はひとり落胆していた。

 数年前に会社を辞め、フリーランスで始めた仕事は最初こそ成果を上げていたものの最近は芳しくない。

 フリーランスと言っても、ものは言いようである。仲介サイトで募集されている低報酬の仕事を受け、ただひたすらこなす。時給換算すれば最低賃金を僅かに上回っている程度で、今まで雇用主の奴隷だった身分が、客の奴隷になっただけに過ぎない。

 労働基準法という後ろ盾がなくなった分、むしろ状況は悪化しているといえる。

 章吉は今日もパソコンの前で作業に追われていた。


 ――突然、テレビのモニタが画面を映し出す。

 ピンク色のピーマンのようなパプリカのような、巨大な着ぐるみのマスコットと、長髪の若い少女が踊りながら童謡を歌う、まるで子供向けの教育番組のような映像だった。


「リモコンでも踏んだかな?」

 章吉は自分の足元をきょろきょろと見回したが、そこにリモコンは無かった。

 その後、いつもリモコンを置いているスタンドにテレビのリモコンがあるのを確認すると、章吉は一瞬、眉を顰めたが、「まあ、いいか」と電源ボタンに指をあてた。


 しかし、「ん?」と首を少し傾げた後、電源ボタンを押そうとする指をくいっと上げた。


「待てよ? こんな時間に子供向けの教育番組? 深夜二時だぞ」


 章吉は、いつの間にか溺れるようにテレビ画面に視線を釘付けにしていた。まるで、無意味な作業から逃れる浮き輪を求めているかのように。


 変わらない表情で曲に合わせて揺れる着ぐるみと、ぎこちない表情で踊って歌う少女の映像は、暫くすると右下に『終』という文字が表示されフェードアウトしていった。


「何だったんだ、さっきのは」


 ただ黒い画面が表示されているだけのテレビを見つめ、再び章吉はリモコンを手に取り、電源ボタンを押した。そして「今日はもう寝よう」と、椅子から立ち上がったその時――。


 突然、テレビ画面が白く輝きはじめた。


 章吉は腕で目を覆った。まるで室内に太陽が現れたかのようなその現象は、収まることもなく部屋を真っ白に染めていく。


 ――どれほどの時間が経ったのだろうか。意識を取り戻した章吉はフワフワとした感触の床に倒れていた。章吉は目を大きく開き、辺りをキョロキョロと見回す。


「嘘だろ……?」


 そこが自分の部屋で無いことは一目瞭然だった。

 いや、部屋ですらない。


 土を模したようなフワフワとした材質の地面に、ウレタンか何かで出来ている作り物のような樹。先程まで深夜だったというのに晴れ渡った青い空に浮かぶ雲もまた、幼稚園のお遊戯会でステージに飾られている手作りの雲のような見た目をしている。

 ゆっくりと立ち上がった章吉は、屋内か屋外か、というよりも現実かどうかすら怪しい景色に戸惑いを隠せなかった。


「これは……、明晰夢ってやつか?」

「夢なんかじゃないピミ」


 背後から聞こえた声に章吉の肩がびくん、と動く。振り返った章吉の目には、見覚えのあるピンク色のピーマンのようなパプリカのような、巨大な着ぐるみが映っていた。


 よくよく辺りを見ると、そこが先程まで観ていた番組の舞台と同じであるということに章吉は気が付く。

 それに加え、靴の裏や肌から感じる地面と空気の感触、周りに漂うほんのりとした砂糖菓子のような匂い。嗅覚や触覚は章吉に、明晰夢にしても現実味を帯びすぎていると教えていた。


「お前らは一体なんなんだ!?」

「ピミはピミ! そしてこっちが……」


 ピミエントと名乗る着ぐるみの後ろから、不安そうな顔をした少女がひょっこりと顔を出す。


「歌のおねえさん、ルリおねえさんピミ!」

「そういう事を聞いてるんじゃない」


 ピミエントの言葉を聞き、章吉は眉をひそめた。深呼吸をして冷静になろうとするが、心は落ち着かない様子だった。


「じゃあ何が知りたいピミ? ピミがしっかりと、な~んでも教えてあげるピミ!」


 着ぐるみ姿のまま子供扱いをするようなピミエントの言葉を聞いた章吉は、顔つきを険しくしてピミエントとの距離を詰めた。


「夢じゃ無いって言うのなら、ここは一体どこで、どうして俺はここに来たんだ? そして、どうやったらここから出られる? あと……」

「さっさとその着ぐるみを脱げ! 初対面の挨拶なら顔くらい見せろ」


 ピミエントの体をがっしりと掴み大きく横に揺らす章吉。「痛いピミ! やめるピミ!」と、ピミエントは抵抗するがピミエントを掴む章吉の指はなかなか離れない。


「ふ、二人ともやめて。仲良くしよう?」

 そんな二人の様子を見ていた、ルリと呼ばれた少女は、少し離れた位置で震えながら、か細い声で呟く。


 章吉のピミエントを揺らす手はピタリと止まる。だが、ルリの言葉が耳に入ったからというわけではないようだった。


「お前……、これ、どうやって脱ぐんだ!?」


 ピミエントの体には、腕にも足の付け根にも、はずれそうな切れ目はなく、背面にも、ファスナーらしきものは見当たらない。

 章吉はベタベタとピミエントの体をまさぐるが、「やめるピミ! くすぐったいピミ!」と叫ぶだけで、とうとうそこにも埋もれた着脱口を見つけることは出来なかった。


 ピミエントの体から章吉が離れると、ピミエントは自分の体をポンポンとはたいた。


「まったく、きみはとんだ乱暴者ピミね。ピミは着ぐるみなんかじゃ無いピミ」

「それに、こっちはキチンと挨拶したピミ。きみも自己紹介くらいしたらどうピミ?」


 章吉に、巨大な顔をグイっと近づけて迫るピミエント。

 章吉がピミエントから目をそらすと、今にも泣きそうな、怯えた目つきで見ているルリと目が合う。


「あ……」


 章吉は気まずそうに咳払いをした。


「ルリちゃん……だったかな? さっきは怖がらせて済まなかった。俺は章吉。突然の事すぎて、気が動転してたんだ」

「は、はい、大丈夫、です」


 章吉がルリに対し申し訳なさそうに謝ると、ピミエントは「それより先にピミに謝ってほしいピミ」と体をクネクネさせながら拗ねた態度を見せる。

 章吉がすかさず「いやゴメン、本当に」と手を合わせて謝ると、ルリの表情は少しだけ和らいだ。

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