雨の香り
晴れる香りのあの子①
●11月18日 月曜日
土曜日に
いつも通り挨拶をしながら陽介君の隣に座る。今日、着ている服の感想を改めて聞いてみると
「この服を選んで良かったと思えるくらい似合っていると思います。」
と、ストレートな言葉をくれた。それに、隣に座っていると分かることがある。陽介君が私がプレゼントした香水を付けてくれている事。薄っすらとだけど穏やかに香ってきている。
「そういえば、陽介君って私が渡した香水を使ってくれてる?そんな感じの香りがしたから。」
「ありがたく使わせてもらってます。この落ち着いた良い匂いが好きで気に入っています。」
「気に入ってもらえてよかったよ。香水だから送るの少し悩んだんだよ。香りの好みって難しいからね。」
嬉しい。私が選んだ香りを気に入ってもらえたことが。それに、私の鼻に狂いは無かった。この香りは陽介君の素晴らしい香りを引き立たせてくれている。
香水を異性にプレゼントすることの意味を知った上で使ってくれているのなら嬉しい。まだ、知らなかったなら教えよう。そして、その時のこの子の反応を楽しもう。
この私の想いを伝えた後に。
●11月22日 金曜日
今日は天気が悪い中、学校に向かう。ぎりぎり電車は動いていたけど大丈夫なんだろうか。一応、大学に着いたけど人がほとんどいない。さすがにこの天気だと休む人が多いか。
私も大学まで来る途中に全身がビショビショに濡れてしまった。
『ごめん、さすがに今日はサボるかな。』
と返ってきた。たぶん衣緒の判断が正しい。あまり、何も考えずに大学まで来てしまったことに後悔する。
講義室に行って待っていても10数人しか学生が集まっていない。しかも、講義の開始時間が来ても教授が来ていない。さすがにどうしようかと思っていた時に校内放送が流れだす。
『本日の悪天候によって公共交通機関が運休しています。そのため、本学への登校を危険と判断し、本日は休講とします。詳しい情報は学生の皆さんへメールを送信していますのでそちらを確認してください。』
いそいでメールを確認する。
『本日は大雨のため休講といたします。大学までの公共交通機関も運休となっているので学生の皆様は自宅にて学習に励んでください。また、補講等に関しましては各先生方からの指示に従ってください。』
メールを確認しても意味が無かった。
どうしよう。一応、大学に居ることはできるけど着替えの無いままだと濡れたままじゃ寒すぎる。
友達に連絡を取っても動ける状態の人はいなかった。こればっかりは仕方ない。
どうしようかどうしようか悩んでいると思い当たる人が1人だけいた。陽介君だ。少し悩んだ後に連絡を入れる。
『ごめん。たしか、
『僕なら大丈夫です。今から迎えに行きますね。』
『ありがとう‼迎えに来てもらうのは悪いから住所教えてよ。』
『すみません。もう家を出ちゃったので大学まで行きます。』
思っていたよりも陽介君の行動力がすごかった。ありがたさと同時に申し訳ない気持ちが湧いてくる。
10分もすると陽介君の姿が見えた。傘を差してはいるけど服を濡らしているのがわかる。ズボンなんて膝のあたりまでぐっしょり濡れている。相当急いで来てくれたんだな。
陽介君と歩く。雨に冷えていながらも隣にいる暖かい香りのおかげで少しほっとする。ただ、陽介君の住むアパートが見えてからは身体が冷え、震えが出てきた。
違う。陽介君はあの人じゃない。大丈夫だ。大丈夫だ。落ち着け。
部屋にお邪魔させてもらってすぐにお風呂を借りる事になった。当たり前だ。全身が濡れた人間がそのまま部屋に居座れる訳がない。
温かいシャワーを浴びる。身体から不愉快な感覚が消える。少し髪の毛がキシキシになってしまったけどその香りに癒される。
着替えのスウェットも優しさに包まれる気がして良い。下着を履いていないことはできるだけ気にしないようにして。
ソファーに座ってココアを飲む。寒い日に飲むホットドリンクは幸せを感じる。ただ、陽介君は何故か隣に座らない。2人掛けのソファーなんだから並んで座れば良いのに。さっきまで不安がっていた私が言えることでは無いかもしれないけども。
なんとか勢いで隣に座ってもらうことができた。そして、そのままドラマを観ることに。
陽介君は真剣にドラマを観ていた。私はと言うと気がそれてばかりだった。1回、観たことのある作品ということもあるけど、ここが陽介君の部屋だから。さっきのネガティブな感情では無くて純粋な興味で。
陽介君がいつも座っているソファー、観ているテレビ、触れているリモコン、口を付けているマグカップに呼吸している部屋の香り。
五感で感じるこの子の生きている様子。知ることができて良かった。
ドラマを観ている途中で休憩をすることになった。お昼ご飯を作ってもらうことになった。楽しみだ。
私はカルボナーラパスタを作ってもらった。パスタとパスタソースを常備していることと調味料の揃い具合からいつも自炊しているようだ。こんな所でも知らなかった部分を知ることができた。
お腹も膨れて一息付けたところでドラマの続きを観る。ここから物語が大きく動くから陽介君の反応が楽しみだ。
どうやら途中で寝てしまったみたいだ。身体がどこかおかしい。寝起きとはいえ動きが重く熱っぽい。風邪を引いてしまったな。普段から薬を持ち歩いておいて良かった。
陽介君に伝えるとベッドを使ってくださいと言われた。この際だから甘えさせてもらおう。
ベッドまで移動する。ソファーのすぐ後ろにあるはずのベッドまで移動するこの数歩が辛い。何とかベッドに寝ることができてホッとする。
ここ最近、陽介君に私の弱い姿を見せすぎている気がする。もっと、頼ってもらえるようになりたいな。
私をのぞき込んでいる陽介君が泣いているように見える。ごめんね、心配させてしまって。困らせてしまって。
その日、夢を見た。思い出したくも無い記憶。過去のあの人との最低な記憶を。
嫌だ。苦しい。辛い。
私はこれを夢だと分かっている。過去の記憶が浮かんでしまっているだけで今の私には関係の無いものだ。
わかっていても抜け出せない。早くこの空間から逃げ出したい。
一通りの悪夢が去った。最後まで抜け出せることは無かったけど、終わりが来てよかった。段々と景色が変わっていく。
夢の中の景色が無くなった。でも、恐怖心が湧いてこない。何の感情も湧いてこないボーっとした夢。起きたら無くなって夢を見ていなかったと感じる時に近い感覚。
何の色も無い世界のはずなのにどこか優しく柔らかい手触りがする。どこか愛おしい感触と泣きそうになるくらいに穏やかになれる香り。夢の中でも嗅覚ってあったんだとどこか客観的に感じながら眠り続ける。
起きるころには何も覚えていないんだろうなとも思いながら。
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