飛っ車の書き残したもの
藤井由加
2人きりのディナータイム
他によい褒め言葉が思いつかなかった空白に、僕はよく素敵という言葉をあてがう。
「そのネックレス、素敵だね。君によく似合っているよ。」
「ありがとう」
僕らは駅前のビルの最上階、都市の夜景が目下に広がるはずの展望レストランに二人きりで来ている。
「美雪さんは、こういう店は初めてか。」
「まあ、家族と一緒になら来たことはあるけど」
薄暗いレストランは光の筋が転々と床に円を作り、そうしたスポットライト1つに照らされているのは、白いドレスの彼女の姿。
「今夜の美雪さんは、まるでクジャクサボテン属の花みたいに美しいね。」
「素直に月下美人みたいだねって言いなよ」
「逆に月下美人がクジャクサボテン属だってこと知ってる人の方が少ないでしょ。」
「うん、だから、分かりにくいって言ってるでしょ」
「ふふふふ。」
「なんだよ」
「君は月下美人のように美しいね。」
「・・・刺す」
「君が "言いなよ" って言ったんじゃん。」
僕らは幼稚園の頃からの腐れ縁で、20過ぎた今でもどうにか、こうやって会えるような仲である。
「ほんっと性格悪い 言葉通りの意味じゃないことくらい、君は分かってたでしょ」
「もちろん。」
「はぁ」
店員さんにチェアを引いてもらって僕と美雪さんが座るなり、高身長で肩幅が広めなスーツの男性がやってきた。
「、いらっしゃいませ、テーブルを担当させて頂くヤマナシでございます。本日は猛吹雪でお足元の悪い中、当レストランにおいでいただき誠にありがとうございます。ワインのお好みなどはございますか?」
「お任せで、お願いします。」
「、かしこまりました。」
ヤマナシさんは実に姿勢がよかった。訓練されたように伸びた背筋をしていて、強そうだ。
「彼、野球うまそうだね。」
優れた給仕は如何なる不都合や理不尽があろうと、課された仕事を淡々と遂行するのが理想らしい。僕の父親がそう話していた気がする。彼もキッチンに侵入した虎をさくっと退治できそうな頼もしい体だった。
「は?」
球児だけに。
「なんでもない。」
「野球がうまそうってこと?」
「・・・どう思う?」
彼女はコンタクトレンズの目を細めて、テーブルから離れていくヤマナシさんを見つめる。
「野球選手というより、ボディビルダーなんじゃないの?」
「そうかもね。美雪さんはワイン飲んだことある?」
「私が生まれた時に買った、親が買ったワインをちょこっと」
「おお、どうだったワインは。赤?白?」
「うーんと確か白」
「そっかあ。」
白ワインはクセが少ない方の種類で、日本では比較的に赤よりも好まれている。
「しかし君もお酒が飲める年になったんだなあ。ほぼ1年遅れだけど。」
「もう立派な大人ですよー?」
「どうだか。」
僕は4月生まれ、彼女は2月生まれ。幼稚園以来の同級生ながら、ほとんど1歳の年齢差がある。
「んで、どうでした?」
「2口目くらいで頭がふわふわしてきた」
「まあまあ、度数高いもんね。基本14以上だし。」
市販のチューハイやハイボールはだいたい7%、ストロングものが9%であることを考えると、ワインや日本酒のストレートが350ml缶や500ml缶になったら危険すぎる。どれだけの中毒死者がでるか。安全面的にもコスパの悪さ的にも、居酒屋の飲み放題でワインなどを頼むのは基本的に避けるべきだ。
「お酒あまり強くないんなら、少なめにお願いしますって頼むといいよ。量を飲むお酒じゃ無いから。」
「というと?」
「ほんとにチビっとずつ口に含んで溜めながら、香りを楽しむのが正しい飲み方なんだって。」
「え、じゃあゴクゴク飲むのは正しくないワインの飲み方ってこと?」
「そゆこと。」
運ばれてきたヤマナシさんの酒は白ワインだった。オードブルのプレートとともにグラスにトポトポトポ…と注がれていく。想定していた4倍くらいは量が多い。グラスの半分まで、透明でうすく黄色の液体が。
「え、この量ちびちび飲んでたら飲みきれなくない?グラスの半分くらいまで来てるけど」
「まずは乾杯しようか、飲めば色々わかるはず。」
「はあ」
僕らはチンと上品な音を鳴らして、それぞれの口元にグラスを傾ける。僕は美雪さんの色っぽく艶めく唇にときどき視線を向けながら、多めの一口でこきゅりと飲んだ。
「思った通り、飲みやすいよ。思い切って行ってもまあ大丈夫。」
「うん、意外と美味しい」
日本語で言うところの「おいしいワイン」というのは飲みやすいワインのことを指す。苦味や渋みが弱く、口に入れても特に広がる香りがないワインは、こきゅこきゅと飲んでしまえる。だから面白くない。美味しいワインは飲みやすい。飲みやすいワインは安っぽくて日本人向け。少なくとも今夜の主な客層が若い人ばかりであることを考えると、下手に高級ワインで気取るよりも、日本人の舌に合った安っぽいチョイスに逃げたほうが賢明ではある。
ワインと一緒にオードブルを運んできてくれた時、ヤマナシさんは言っていた。前菜はマッシュドポテトのサラダでございます。ワインと一緒にお楽しみください。それでは、何か御用がございましたらそちらのボタンを押してお呼びください。と。
真っ白いお皿の上には、100メートル先に見える円墳のような、ちょこんとした規模の山が盛り付けられている。クリーム色のオブジェクトにナイフが押し返される僅かな手応えを感じながら、しかし刃は抵抗なくマッシュドポテトを沈み抜けた。この粘度を他の食べ物で例えるなら、例えば栗きんとんだろうか。
「すごい、ジャガイモがホクホクしてる!」
彼女の表情が一段と明るくなった一瞬の後、薄暗いレストランの夜に再びじわじわと溶けていく。暗くなったわけではない。太陽が月に変わるかのように。そして、外で降っている雪は相変わらず横向きに吹雪いていた。
「ほんとだ。あんまりしっとりしてない、けどボソボソともしてない。どうやってつくるんだろ。」
「すっごく丁寧に裏ごししてあるよね」
「うん、じゃがいものペーストみたいだ。マヨネーズの味もしっかりついてる。」
マヨネーズ風味の粉調味料を使ったのか、水分を少なくした自家製のマヨネーズを使っているのか。このポテトサラダを食べてからワインを口に入れると、経過時間をxとし口内の水分量をyとする潤い曲線が小さな谷を作る。マッシュドポテトがワインの引き込み材となり、ワインがマッシュドポテトの誘導材になる。 この交代を繰り返すことで、潤い曲線がまるで正弦曲線のような模様を呈してくる。安っぽいワインを選んで来やがってと内心思っていたが、このチョイスは悪くない。むしろ飲みやすくなければ、お客さんはこのポテトと白ワインで合わせて飲んで食べて初めて感じてられる美食体験を逃してたかもしれない。
スープもおいしかった。肉ダシの味が一味違う、市販のものでは到底味わえない塩味が薄めのブイヨン。上品な味でありながら旨味成分が濃く、旨味が飽和していた。文句を言いたいところが全く見つからないおいしさだった。
ワインを数ミリリットルだけ口に含んだ状態で、未だ微熱を帯び続けているマッシュドポテトを口の中へ運ぶ。すると体温よりも温かなポテトの熱で口の中でのアルコール蒸発がいっそう促進される。繰り返し言うが、ワインの正しく楽しむためには口の中に広がる香りを味わう必要がある。そして香りは気化したアルコールに乗って口の中に広がっていくのだ。その際にワインは食べ合わせる料理の香りも口の中に広げてくれる。引き立て役としてのワインには、癖がなくて飲みやすく「おいしい」銘柄の方が向いている。ワインにはお酒単体で楽しむフルボディと、料理と一緒に楽しむライトボディに区別されている。
僕は彼女の食べるペースに合わせてナイフとフォークの機動性を調整していた。そして、2人同時にプレートが空くタイミングを見計らったかのようにヤマナシさんが来て、すぐに次の魚料理がやってきた。フルコースのフェーズ的にはフランス語でポワソンと呼ばれている。そのまま「魚」を意味する単語だ。poisson みたいな綴りだったか。フランス語において oi はワの発音になる。初見だと poison かと見間違えるかも。毒料理なんて誰だって食べたくないに決まっている。
「これってカルパッチョ?」
「そうだろうね。」
「たまねぎシャキシャキだ」
「サーモンは燻製にされてるんだね。」
「あ、そっか、良い匂いだね。スモークするときに桜の木のチップを使うんだっけ?」
「大抵の場合はそうだと思うけど。」
「これも白ワインが合う系の料理?」
「ポワソンに赤ワインはふつう合わせないよ。」
「ポワソン?」
「あ、そっか、ええと、フランス語で魚料理のこと。」
「ふーん」
僕の悪い癖だ。僕が自分の頭の中で (自分に対して) 1度表示しただけのことを、相手が常に認識していて当然という邪悪な先入観が日常生活の中でふとディスコミュニケーションの原因になる。会話している人間2人以上の IQ があまりにも違うとコミュニケーションが成立しないという都市伝説があるのだが、あれはある意味嘘ではないというか、特に説明しなくても伝わるであろうっていう前提条件のレベルの差があるせいで結果論的にディスコミュニケーションが起きてしまいやすいだけで、絶対に会話が成立しない訳ではなくて、会話が成立しにくいのは本当かも知れないけれど、でも頭の良い IQ 高い人間が IQ の低い人間に寄り添おうとする意図が無いわけではないというか、いや美雪さんの IQ が低いとかいう訳ではなくて、今まさに実際にディスコミュニケーションが発生したわけだけどそういう、馬鹿にしたいとか蔑みたいとかいう訳ではなくって、実際に蔑んでしまっている気持ちがあるのは否めないのだけれど、それを肯定しまいとする意志はあるというか、否定しようとしたところで否定することは現実に即した判断であるとは言えないのだけれど、肯定することは倫理的及び人道的に?もしくは人として、人の道的に外れているというか誤りなんだ。そういう時は黙る、見て見ぬフリをするに限る。どう答えようったって不正解になる問題には答えない、もしくは問題がおかしいと反論するのが正解だ。
僕はグラスに残っていた残りのワインをくいっと飲んでしまって、それからテーブル上のコールボタンを押した。ら、すぐ来た。
「、お伺いいたします。」
「ワインのおかわりをお願いします、あ、あればロゼとか赤でも、フルボディ寄りのおすすめがあればそちらでお願いしたいです。」
「、かしこまりました。」
ヤマナシさんは言葉を発する時は常に、ワンクッション息を吸う工程を置く。その予備動作は後に続く台詞に宿る落ち着き加減を引き立てているというか、客人の前で深呼吸を出来るほどに緊張がほぐれている、つまりベテランである故の余裕を感じさせてくるせいなのだろうか。急いでいる、焦っている様子が微塵も感じられない。僕だったらこんなオシャレなレストランで働くと言うことになったら緊張しすぎて碌な接客など出来るまい、ヤマナシさんの自信を形成しているのは彼の賢さや頭の良さでは無く、場数を踏んできた実績や経験に他ならないのだろうか。
「ワインのおかわりって、そんなにペース早くて大丈夫なの?」
「お水を大量に飲んで、頻繁にトイレに行くことになるだろうけど全然問題ないよ。」
「・・・うんまあ、比較的健全かもだけどさ、不健全な酒飲みのセリフ過ぎるよそれ」
「実際、不健全なりに自己管理は出来ているタイプの酒浸りっていう自己認識だ。」
「あっそう、言ってることがよく分からないし長い」
もし美雪さんが僕の頭の中を覗いたとしたら、「長い」だなんてとても言えまい。パニックになっているとき以外はいつだって、通勤ラッシュの電車やバスくらいに、みっちみちの言葉で占拠されてしまっているのだから。これでも君に伝えている言葉はかなりコンパクトにまとめている方だ。
「さっき言ってたフルボディってのはなんなの?」
「ワインの味のこと。ライト、ミディアム、フルになるにつれて味が渋く深くなる。」
「フルボディのほうが飲みにくくなっていくってこと?」
「まあそう。その分香りとかも華やかになってワインらしいおいしさになる。」
「ワインらしいとは?」
「有り体に言えば通好みってことかな。美雪さんも挑戦してみる?」
「いや、別にいいかな」
なんだ、食いつき悪いのか良いのか。こいつは中学の辺りから急激に好奇心を減衰させてしまって、冷めた目で世の中を眺める、悪い意味で若者特有の悟りに至ってしまっている。かくいう僕もそうだったのだが、世の中まだまだ好奇心を捨てていられるほどつまらなくはないってことに、高校時代に気付いた。いつの時代も好奇心はあるだけ得をするし、ないだけ損をする。
バカみたいになんでもかんでも首を突っ込んで、今夜のレストランにても彼女とディナーを共にできる幸せ。僕らは大学も違うし、高校も違った。あれから関係が稀薄になっていく一方の僕らを、僕はどうにか繋ぎ止めてきた。
「アルハラとか言われるの嫌だからこの1回しか言わないけど、お酒に関してはなんでもかんでも1度経験してみる方が良いよ。自分の好みに合うお酒は早く見つかった方が人生が豊かになるのは間違いない。」
「好みの煙草の銘柄が見つかるかも知れないから吸ったらどう?って言ったら君は吸う?」
「合唱やってる内は吸わない。」
「そゆこと。別にお酒呑まなきゃ損だなんて、君の意見に過ぎないでしょ」
はぁ~、そのくらい知ってるんだが。プライベートの場なんだから個人的な意見を言ったっていいでしょ。ヤマナシさんは赤いワインを持って来た。流石だ。
「1口だけでも飲む?」
「あ、アルハラだアルハラ」
「別に強要はしないし、もし良ければ。」
彼女は少し考えて、僕の差し出したワイングラスに手を伸ばし、やがて口をつけた。
「・・・渋い」
「あっはっは。」
「何笑ってんの、これ訴えたら私勝てるよなあ?」
訴えたらなんちゃらタイプのボケは全然おもしろくない。裁判を気軽に起こせるとでも思っている世間知らずか小学生かだ。僕は言葉を返す代わりにワインを口に含み、飲み込んだ。彼女から受け取った向きそのままに、口紅がうっすら転写されている弧の中点と円の中心を結ぶ半直線の円周との交点に僕は口を付けた。吐き出しそうにはならない程度に口に含んで少し味わう。舌がビリビリとしてくるのを感じながら、ふわふわと漂って鼻腔を優雅に通り過ぎていく香りに頬が緩み、美酒の笑顔が自然と湧き上がった。のだと思う。
「君は本当に酒をおいしそうに飲むよね」
「実際においしいからね。美雪さんだって正しいお酒の飲み方を知れば、どんなお酒だって楽しめるようになるんだから。」
「別になりたいとは思わないけど」
「そうかい。」
「むしろ同じ派閥に入れてほしくない」
彼女は他のテーブルで接客対応に当たっているヤマナシさんに時折チラチラと視線を向けている。僕はLINEで彼女と頻りにメッセージのやりとりをしているから知っているのだが、彼女は最近トレーニングにハマっているらしく、筋トレやランニングをしているのだそうだ。筋トレをしている人間として、彼の上半身の体格が気になるのかも知れない。
「やっぱりヤマナシさんの筋肉、すごいな。」
「あ、君もそう思うんだ」
別に人の筋肉にそこまで興味があるわけじゃない。だって自分は筋トレとかしないし。万年運動不足で酒飲みっていう、基礎代謝量と脳を働かせているエネルギーで体型を維持している大学生なんだぞ僕は。
「君の彼氏君とどっちが筋肉すごい?」
「そりゃあ店員さんの方だけど、でも私の彼氏の方がカッコいいもん」
「ふーん。」
惚気よる。
「この後にはソルベが来るね。」
「シャーベットのことだよね。もうデザートなの?」
「いや、フルコースでは大抵の場合、魚料理と肉料理の間に口直しのソルベが入るんだよ。氷の水分で口の中の油を拭い流してリフレッシュするんだ。」
「ふーん」
ところで、僕は美雪さんの彼氏に出会ったことが無い。
美雪さんと美雪さんの彼氏は、そろそろ付き合って半年以上が過ぎるらしい。その彼がどんな筋肉量で、どんな顔で、どんなオーラを纏っていて、どんな性格なのかは一切知らないし分からないし、無理に知ろうとするだけの好奇心は無い。いや、無いというのは嘘だけど、その先の危険を予期した理性が全力のストップをかけている。
恐らく、きっと、「彼氏の写真を見せてほしい」 みたいなことを彼女に頼んだら見せてくれるのだと思う。
「それにしても、すごい雪だね」
「うん、僕には美しい雪以外に何も見えないや。」
「・・・もう酔ってんの?」
「いやいや、至って正気だよ。」
「はあ、だから、そういう言葉は付き合いたい女の子に言ってあげなよ」
「はいはい。」
もし今夜が本格ミステリの舞台だったとしたら、ここは殺人事件が起きる山の奥の館だったかもしれない。強い雪はまだまだ吹雪いていた。
だがそんなことより、僕と美雪さんの2人が今、同じテーブルに座ってディナーを共にしているこの事実が、どうしようもなく不思議にしか思えなくなった。
レモンソルベの冷たさが歯茎に染みる。
「ひえひえで甘くておいしいじゃん。」
「うん」
シャーベットを食べている間には特筆すべき会話が起きなかった。
「これの次は何が来るの?」
「だから、肉料理だってば。」
「あ、そっか。ってそうじゃなくてフランス語で」
「うーん、地域とかお店によって名前が違うことが多いんだよね。現代のフルコースって、オリジナルの形式から少しずつ改編されちゃってるから。」
「で、例えばどんな呼び方があるの?」
「アントレとか、ヴィアンドとかかな。どっちも肉料理のことを指すのは同じなんだけど、かつては肉料理での前菜とメインディッシュみたいな区別があったらしいよ。ほんで本来ソルベはその肉料理2皿の間に出るものだったんだよ、とかね。」
「へー、そうなん?」
「今の反応、金森に似てたな。」
「はぁっ?」
金森というのは、僕と彼女の共通の同級生で、どうやら美雪さんと金森は少しトラブルがあって絶交したらしいということまでは聞いている。本人とふと出会ったときに教えてくれたのだ。詳細に何があったのかは聞かないでくれと言われたからそのことは詮索しないようにしている。が、彼女はその名前を聞いただけで不愉快極まってしまったようだ。
「ほんっとデリカシー無い 君、私があいつと絶交したの知ってるよね!」
「知ってるけど、似てるもんは似てるし。」
「似てるって言うな」
でも実際に似ているのだ。彼女が男性に性転換したらそのまま金森みたいな人間が生まれるだろうなと思ってしまうほどに性格や仕草が似ている。
「なぁんなんだよぅ。」→(♪:机下での足踏み)
「帰るぞおら」
ダチョウ倶楽部のネタ振りをオマージュした腕振り。金森の持ちネタだった。いじられキャラであった彼は某大御所芸能人の力を借りて、そのキャラの役どころに実に見事にハマって見せていた。美雪さんはいじられキャラという訳でもないが、対して驚くべきでも無い話題に大袈裟に反応するときのリアクションや仕草のベクトルが同じなのだ。そのダチョウ倶楽部の足踏み→(衝撃で残りの相方2人が軽くジャンプする)みたいな危害の無い暴力の演技をするか、「殴るぞおら」みたいな敵意の無い脅迫をするかだな。似ていると感じるのはバーナム効果かも。そういう言葉遣いや仕草を出力する人間は世の中に溢れていると思うから、何も金森と美雪さんが特別に似ているわけではない。
「詳細が聞きたいなら教えてあげるけど」
「いや、いい。さ、メインディッシュを楽しもうよ。」
「・・・まあ、いっか」
これはフィレ牛のステーキだ。厚さ 7mm くらいの肉が1辺約 5cm の立方体的なガレットの上に乗っている。その周りにはアイスプラントとかロマネスクとか、普段は普通は買わないタイプの野菜がカットされて散らばっている。赤ワインソースがプレート中央に高地の湖と事切れそうな滝を演出しており、その周りにはシーザードレッシングの雲海が被さった森林が広がっている。鉄分豊富な土壌から湧きだした天然水が滝となって白いプレートの地面に落ちていくかのように、ガレット岩の丘がいっそう急峻にそびえている印象を受ける。すごい、美食って、フレンチの盛り付けってこうも芸術的なのか。
「この盛り付けすっごい面白くない!?!?」
「大声出さないでよ、みっともないでしょ」
彼女は1口で食い尽くせてしまいそうな小ささのステーキを上品に、既に半分くらい食し終えてしまっていた。
「はあ、これだから最近の大学生は。」
「なんだね」
「フレンチは食べる前に眺めて楽しむのも醍醐味の1つなんだぞ。」
「ふーん」
彼女は雲のかかった若草色の森にフォークを刺し、食べる。
「それで?」
だから、眺めて楽しむべきだってことを読み取れなかったのだろうか。
「この盛り付けを見てなんか感じ入るところは無いの?」
「うーん・・・、別に?」
「はぁ、これだから最近の大学生は・・・。」
「うるさいなあ」
年頃の娘を持つ父親の気持ちとかこういう感じなんだろうか。急に自分が老いてしまった気がした。僕はあわてて自分は若いぞ、まだまだ20歳ちょうどは若者極まれる年頃なんだぞと強く言い聞かせた。でも間違いなく、僕の精神は消去と上書きを繰り返した CD-RW みたいにボロボロになっている。
「というか美雪さんさ、僕なんかとこんなオシャレなレストラン来て良かったの?」
「は、何が言いたい」
「こういうところへは普通、君の彼氏と行くべきなのでは?」
周りの客を見れば分かる。年頃の男女が2人きりでドレスやスーツを着て高級レストランでディナー。それはもはやカップルの挙動と言っても遜色ないものではないか。
「私の予定は先着順だし」
「すっごい昼ドラのヒロインになりそうな発言だな・・・。」
「なんでだよ」
彼女はプレート上の食材を残さず食べ切った。これでフルコースのメインディッシュは終了。
「別に君のことは彼氏君にも話してあるし」
「え、どう説明したのか気になる。」
「腐れ縁の友人」
「あー、確かに幼馴染みっていう感じでも無いもんね、交流があったのは小学校からだったし。」
「うん」
僕はこぢんまりとしたフィレ肉をラストに食すために、先に周辺の森をちまちまと口に入れていく。
「君は彼女とか作らないの?」
「さあ、どうなんだろう。少なくとも自分の恋愛なんかより、文学の方が面白いに決まってる。」
「そうですか」
「うん。あ、でも。」
僕もメインディッシュを食べ終えた。ナプキンで口元を拭って続ける。
「僕が他人の恋愛に言及しないのは別に興味が無いわけじゃなくて、首を突っ込んで良いことが起きる展開が想像できないからだよ。触らぬ神に祟りなしってね。」
「それって私と金森の話?」
「それとこれとは別。彼から頼まれて首を突っ込んでないだけ。」
「なるほど」
おい。君と金森のトラブルが恋愛絡みだって事、いま初めて知ったんだが。まあ、いいか。訊いてないのに彼女が勝手に話したのだから単なる事故だ。
「友情から恋愛に発展するプロセスがいまだに理解できてないから」
「共にする時間が長くなれば、相手を好きになるか、嫌いになるしかないからな。」
「だから断った」
「はいはい。聞かなかったことに。」
「事実だから気にするな」
「長続きする関係性には、適度な無関心が肝心なのかもね。難しいものだ。」
「友達でありたかった関係性なのに、なぜ壊したのか」
彼女はワインを飲んでいくペースが早くなってきていた。酔ってきてしまったのだろうか、口調が少し固くなっている。
「意識的に無関心をキープするのって難しいよね。」
「うん」
「駄目って思うと却ってしたくなるのと同じで、絶えず自分が無関心を貫くかどうかを自問し続けるわけだから。」
「うん、あ、つまり、誘惑に負けたのか」
「誘惑というか、精神的負担から逃れる方向に流れただけというか、人間の摂理です。」
「へー、虫刺されと一緒だね」
僕は一瞬、美雪さんの例え話の意味が理解できなかった。
「たとえが分からない。あ、掻くとだめになるってことか。」
蚊に刺されたところを痒いからと言って掻いてしまうと、100%患部が痛くなって後悔する。それに例えたのだろう。なかなか面白い、興味深い。
「うん、流石」
「友情と恋愛感情の境目の感覚は、虫刺されを我慢する感覚と同じ。実に文学的だね。」
「わーい」
「さすが。」
「レポートとかのネタになりそう?」
「いや全然。なんでもかんでもレポートのネタになると思うなよ。」
「悲しい。いや、悲しくはないけど」
「・・・美雪さんは優しいですね。好きです。」
「ありがとうございます」
「お酒呑んだ後だと変なこと言っても許されるので良いですね。」
「そうですね」
かわいいとか、美しいとか、好きだとか。僕は彼女に何度伝えて来たか分からない。その度に僕は彼女に刺されていたわけだが、今まで彼女に「愛してる」という言葉を伝えたことはない。
もし冗談にせよ I love you. を彼女に伝えてしまったら、僕らの関係は金森の件と同様に崩壊してしまうのだろう。僕はあくまで彼女の腐れ縁の友人で、それ以上ではない代わりに、それ以下でもない。自分の死刑執行のボタンを、自分の手に握っているだけの、単なる古くからの知り合い。
最後はコーヒーとデザート。フランス語ではデセールと呼ばれている。肉料理のプレートがなくなると同時にヤマナシさんが来て、僕らのテーブル上のお皿とカトラリーをさげていき、その後にデセール用のフォークやスプーンなどを運んできてくれた。苺ソースを使用したババロア。しかしソルベの時と同じように、そこまで特筆すべき発見はなかった。
会計を済ませて、エレベーターに乗る。優美に舞い降りる雪が Flamboyant な夜景を作り出している。晴れの日の夜よりも明るめに灯の光が広がっている都会を見下ろして、思わず口から「素敵だ」と飛び出した。
「素敵な夜だね。そう思わない?」
How lovely tonight is. Isn't it?
「そうかもね」
「この美しい雪と夜景も、素敵だね。」
How lovely Miyuki and night view are.
「はあ、私を口説こうとするんじゃない」
「ふふふふ。」
Nope.
君と僕では釣り合わないよ。今日はディナーをともにしてみて、僕は君との緊密な関係を維持できないだろうなって思った。思ってしまった。
仮に口説いたところで、告白したところで、そして僕の恋愛が成就することを君は許さないし、万が一結ばれたとしても、僕は君を愛し続けられる気がしない。第一、2人きりのディナーに年頃の女性を軽率な気持ちで誘う男なんて居ねえよ。
君には私よりもいい人が見つかるから。ラブコメであれば失恋した少年が意中のヒロインに告げられるであろう言葉を、僕は自分で自分に言い聞かせている。
「家まで帰れそうかい?」
I'll follow you to your home.
「いいよ、彼氏くんが迎えに来てくれるから」
「そっか。」
「それじゃ、おやすみ。今夜はありがとう」
「おやすみ。」
気軽げに手を振ってお別れするホテルのロビーには、物静かな雰囲気のバーラウンジが隣接していた。僕はそこに入った。
「ソルティドッグをください。」
「、かしこまりました。」
もちろんバーテンダーはヤマナシさんではないが、話し方は極めて酷似していた。たぶん今、僕は目に見えるほど落ち込んだ気分である。けど彼は何も聞いてこない。淡々と一息に飲んでしまえそうな、でもチビチビ味わって呑まざるを得ないほど Fancy なお酒を僕の手元に届けてくれるだけだ。
「ありがとう。」
僕は乾いた目で白いスポットライトに照らされたカクテルを眺めた。グラスの縁できらきらしている塩の粒をなめた。しょっぱかった。
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