『真実の愛』は実らない 〜婚約破棄された令嬢は信じる道を行く〜

川田スミ

『真実の愛』は実らない

「ミュール・サンダール、今日をもって貴女との婚約は破棄する!」


 王立学園の卒業パーティの最中、談笑の輪が咲く会場に響いたのは誰も予期しない言葉だった。


 言葉を投げかけられたのはサンダール侯爵令嬢。金色に緩くウェーブがかかった髪と碧眼の典型的な貴族と言っていい容姿の令嬢だ。そして投げかけたのは正真正銘の王族、ツーク王国の王太子であるバッシュ・カーニス。こちらは金髪に緑の瞳、やや華奢だが長身のいかにも王子様という印象の美丈夫だ。


「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」


 ミュールは動揺のそぶりを一欠片ほども見せず、単刀直入に尋ねた。最近のバッシュの様子から彼が何か企んでいることに気づいていたのである。


「この期に及んでまだそのようなことを。ではこの場で皆に知らしめてやろう。彼女はこれまで、ここにいるセッタ・ゾーリ嬢に数々の嫌がらせを行い、ついには階段から突き落として亡き者にしようとしたのだ!」


 続けて嫌がらせの詳細を滔々と語り始めた。曰く、身分を傘に着て平民であるセッタに学園の雑務を押し付けた、取り巻きと共に取り囲んで嫌味を言った、などである。


 愛の言葉が紡がれるべき婚約者の口から放たれる事実無根の罪状にも、ミュールは眉一つ動かすことはない。ただ言われっぱなしのままというわけにはいかない。この衆目監視の場で反論せずにいたらそれが既成事実と捉えられかねないのだ。


「私には全く覚えがないことです。そのように仰るということは私がやったという証拠があるのでしょうか?」


「もちろんその通りだ。全ての罪状に対して貴女が関与したという証拠がある!」


 バッシュはいよいよ高揚を抑え切れなくなったようだ。したり顔で並べたて始めたのは聞く人が聞けば不自然だとわかる内容で、これでうまく行くと本当に考えたのだとしたら甘いと言わざるを得ない。


 だが、今日、ここでこれ以上騒ぎを大きくするのはまずい。この場は平穏に収めなくてはならない。今を乗り切ればあとはどうにかできる自信がミュールにはあった。


「殿下と私との婚約は王国の繁栄のために王家と侯爵家の話し合いで決まったものです。殿下の一時の感情でどうこうすべきものではありません」


「家同士の都合など知ったことか。私から説明すれば父上もわかってくれるはずだ。私は真実の愛に目覚めたのだ!」


 予想の範囲内の反応ではある。とはいえこのまま説得して事態を収拾するのは難しい。ミュールは婚約者の言葉にそれ以上言い返すことはせず、ふうと息を吐いて今度はセッタに話しかけた。


「セッタさん、婚約者のいる異性との交流は控えるよう再三お伝えしてきましたよね。皆様の勉学の妨げにもなります。改めるつもりはないのですか?」


「そんなぁ。私はただ、みなさんのお役に立ちたいだけなのにぃ」


 バッシュはわざとらしく頬を膨らませるセッタに掌を向けて制した。


「そう怒るな。セッタは何も間違ったことはしていない」


 セッタは平民である。学園に入学してすぐ、その愛らしい容姿で注目を集めた。同級であるバッシュやその側近候補たちとも「偶然」知り合い、親睦を深めている。求める話題を的確に提供するセッタの周りに彼らは自然に集まり、いつのまにか学校生活の多くの時間をともに過ごすようになっていた。


「元婚約者としての情けだ。この場で罪を受け入れればそれ以上の追求はすまい。サンダール侯爵家への影響も最小限で済むだろう」


「サンダール家の名誉にかけて、犯してもいない罪を認めるわけにはいきません」


「……残念だ。本当に残念だよ。貴女が認めさえすれば全てが円満に収まったというのに」


 落胆の色が浮かぶ視線はミュールから離れ、パーティ会場であるホールの扉に向いた。


「憲兵隊、中へ!サンダール侯爵令嬢を国家反逆罪の疑いで捕縛しろ!」



 〜〜〜〜〜



「やはり婚約破棄からありもしない罪を突きつけるのは無理があったな。それに私や側近たちと親しくする君に嫉妬する、というストーリーも苦しかった。そのような醜い感情に支配される彼女でないことはあの場にいた誰もが知っている」


「仕方ないですよぉ。緻密な計画を立てるにはあまりにも時間が足りなかったです。あの場を逃したらクーデターが起こるところだったんですからぁ」


 学園の卒業パーティが始まる数刻前、サンダール侯爵が軍部を巻き込みクーデターを企図しているとの情報が信頼できる情報筋からもたらされた。決行はあの日の深夜。

 首謀者は侯爵本人だが、実際の指揮はミュールが取っていた。彼女を抑えればクーデターは未遂に終わる。そう読んだバッシュとセッタが一計を案じ、罪をでっち上げて捕縛しようとしたのだった。


「あのまま認めてくれればせいぜい数年辺境に留め置かれるぐらいで処刑は免れていただろうに。結婚することはできなくなっても、彼女には平穏な人生を送ってもらいたかった」


 ミュールは意図に気づいていただろう。だが結果としてミュールはバッシュたちの計略には乗らず、叛逆の徒として裁かれることになった。


 なぜサンダール侯爵家が王家に反旗を翻したか。


 ツーク王国はシーボウ帝国と国境を接している。広大な領土を待ち、さらなる領土拡大の意を隠さない彼の国の侵略を抑止していたのは、ツークの強力な軍事力にあった。つい数年前までの話だ。

 しかしツークが飢饉と疫病に連続して見舞われてから、バッシュの父である国王は対応を誤った。平民の生活を支えるため国庫から相当な額を援助に回し、さらに貴族たちにも拠出を求めた。その結果は国軍の弱体化と貴族の不満の蓄積だ。


 落ち着きを失った隣国を見逃す帝国ではなく、すぐに表裏問わず圧力をかけ始めた。初めは跳ね除けていたツークだが、いよいよ限界が近くなってくると貴族の派閥が二つに割れた。抵抗を続けようとする国王派と、帝国と結ぼうとする国軍派である。本来なら国を守るべき軍人たちだが、上層部はあまりにも勝算がない戦いに身を投じることを拒んだ。そこで軍部はサンダール侯爵家を巻き込み、帝国と通じようとしたのだった。


 国王派も手をこまねいていたわけではない。サンダール侯爵家と第二王子の婚約を整えて軍部との融和を計った。そしてもう一つ、突如として王国に顕現した一人の少女の力を頼った。それがセッタである。


 セッタは学園で知り合った王子とその側近たちと交流するうち、持てる知識を惜しみなく彼らに伝えた。

 宰相の息子とは近隣諸国との外交や国内の諸問題の対策について、騎士団長の息子とは剣や槍、騎乗の技術や鍛錬方法、筆頭魔術師の息子とは古代魔法の解析や魔法薬のレシピについて。


 セッタの知識と王族と側近たちの努力で帝国に対抗しうる力を得た王国だが、サンダール侯爵家は彼らを信じきれなかった。帝国と真正面からことを構えれば国の誇りは守られても民が死ぬ。体面と命、天秤にかけた侯爵家は後者を選んだ。その結果がクーデターである。


「臣下の信を得られなかったのは我々王族の責任だ」


「殿下ぁ……」


「そして私は愛する人に信じてもらうこともできなかった」


 目に映ったのは、王子として臣下に見せたことがない、そしてセッタも初めて見る、一人の人間の後悔に歪む表情だった。



 〜〜〜〜〜



「ミュール様は殿下が必ず王国を守ると信じていましたぁ。でもぉ、殿下が自分の命を顧みずに最前線で戦うこともわかっていたんですぅ。あの人がクーデターを起こしたのはたったそれだけが理由だったんですよぅ」


 バッシュが去った部屋の中でセッタの口から漏れるのは誰も聞くことのない言葉。西陽が差し込む窓の外、雲ひとつない空を眺める瞳は濡れ光っていた。


「やっぱり『真実の愛』は実らないんですねぇ」


 ついに零れ落ちた雫は頬を伝った。





「私にとっても『真実の愛』だったんだけどなぁ……」








◆◆◆◆◆



あとがき

『真実の愛』を貫いた3人は3人とも愛する人を手に入れられませんでしたとさ。


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登場人物の名前の由来

ミュール・サンダール → ミュールとサンダル

バッシュ・カーニス → バスケシューズとスニーカー

セッタ・ゾーリ → 雪駄と草履


そもそも王国名が ツーク→靴 になってます。

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