六 卵の子

次の日、ミヨは一人で中庭に向かった。

部屋を出る際、コミツが一緒について行こうか、と言ってくれたが、なんとなく一人で出てみたかった。


中庭では、昨日と同じで、多くの人々でにぎわっていた。

中庭にミヨがいても、誰も見向きもしない。

ありもしない視線を探しながら、おびえながら、散歩道さんぽみちを進む。

人々は足湯や湯元ゆもと屋台やたいを楽しんでおり、気付いていない。

……昨日感じた違和感と安心感はうそではなかったようだ。


サイダーの屋台に近付くと、屈託くったくのない笑顔を浮かべた従業員じゅんぎょういんの人がサイダーを渡してくれた。


「はいよッ!楽しんで!」


冷たいびんの中には泡をかかえた透明の水がたっぷり入っていた。

かざしてみてみると、水は時折ときおり銀色にきらめく。

コミツが、銀湯ぎんゆを使っている、と言っていたのを思い出した。


丁度そこに足湯の場所が空いていた。

銀湯の足湯に足をつけて座った。


「ふぅ」


ここまで誰にも声を掛けられなかった。

昨日はそんなことが信じられなかった。

もしかしたら、コミツが横にいるからかもしれないと思った。

しかし、中庭の雰囲気は昨日と同じだ。

誰もミヨに気づきもしないし、興味もない。

ミヨの白髪はくはつは目立つので、気付かないということはないと思う。

ただ、その白髪さえも誰も気に留めない。


サイダーを一口のんでみる。温かい湯と冷たいサイダー。

話しかけられるのが居心地悪いのに、話しかけられないことが安心感になる。

不思議な感覚だ。

また一口飲む。

軽快けいかいな刺激が気持ちいい。


「……隣、いいですか?」


パチパチと弾ける口の中の感覚を楽しんでいたら、急に声を掛けられた。

見上げると、一人の女性がこちらを見ていた。


「…ど、どうぞ……」

「ありがとうございます」


女性はそれだけ言うと、湯気が上がるかごを持ったままミヨの隣に座った。

その目線はミヨ、ではなく、手にあるサイダーを見ていた。


「それは…なんですか?」

「えっと………サイダーです」

「へぇ!聞いたことはあったけど、おいしいそう!ちょっともらってきてもいいですか?籠を置いておくので、席をみててくれると嬉しいです!」

「どうぞ」


見ず知らずのその人は、すぐにぱたぱたと屋台の方に向かってしまう。

赤の他人と『蘇り』の能力以外のことを話すのは随分ずいぶんと久しぶりな気がした。

女性が目的のサイダーを手に戻ってきたときに、はっと我に返る。

サイダーを一口飲んでごまかした。


「サイダーって気になってたんですよ~!初めて~‼‼」


隣の彼女はそう言いながら、サイダーを一口飲む。


「おおー!ぱちぱちするー!」

「おいしいですよね」

「ん~!この温泉との調和ちょうわがなんとも!」


二人で温かい足湯と冷たいサイダーを楽しんだ。


「そういえば」


隣の彼女がふとミヨをまっすぐ見てきた。


「お名前を聞いても?」

「ミ、ミヨと言います」

「ミヨさん!わたしはタマノと言います!」


ミヨの顔を見て、名前を聞いても態度たいどを変えないタマノは、きっと生前のミヨのことを知らないのだろう。

名前を聞いた後は、サイダーをひざの横に置き、置いていた籠を取り上げた。


「実はこれが楽しみだったんですよ~ミヨさんは食べましたか?」


タマノが抱える籠の中には湯気をまとった卵が沢山入っていた。

笑顔を浮かべたまま、籠に入っているお椀に卵を割り入れる。

黄色の卵黄と白い白身がトロン、と落ちてゆく。


「わぁ!」


できたての温泉卵を目の前に、タマノは感嘆かんたんの声を上げた。


「卵が好きなんですか?」


籠の中身はほとんどが卵だった。

他にはくりが一つと人参にんじんが一本。


「いいえ」


予想外の答えは、驚くほどにすがすがしかった。

笑顔のままのタマノの真意しんいがわからず、ミヨはタマノを見てしまう。

そんな目線を気に留める風もなく、タマノはまた一つ、温泉卵を割り入れた。


「私、死ぬ前は卵を食べちゃだめだったんです。小さい頃から大おばあちゃんに止められてました。卵を食べたら死ぬ病気って言われてたんですよね。だから、ずっと卵を食べずに生活してたんです」


また一つ卵を飲むように食べる。

「ん~おいしい!」と一言。


「別に卵の味は嫌いじゃなかったんですけど、大おばあちゃんの言うことは聞かないといけませんでしたから。それに病気って言われたら怖くて、食べなかったんです。でも、ここにきたら病気は関係ない!って言われたから、チャンスだと思って!」


そう言いながら、また卵を一つ割り入れる。


「……あ、食べます?」

「いや………?」


笑顔で卵を勧めてくるタマノに、ミヨは思わず断ってしまった。

きっとタマノは親切心だが、ミヨはおいしそうに笑顔で食べるタマノを見る方が、少し楽しい気もした。

それに、自分自身はしばらくここで過ごすだろうから、いつでも食べれるだろうと思っている。


「おいしいですよ!これが生きてるときよりもおいしいかどうかはわからないですけど」

「そうなんですね」

「でも、生きてるときだったら、『死ぬかもしれない』っていう緊張感で食べてたから、きっとここまでおいしくはなかっただろうなぁ」


タマノは卵の次に、栗に手を伸ばした。

その姿を見ていたミヨは、なんとなく同い年ぐらいでは、と思うようになった。

そういえば、同世代の人と話したことはあっただろうか。

少なくとも他愛たあいのない会話をした思い出はほとんどない。


「栗もおいしい~‼」


タマノの笑顔をみて、ミヨは自分のほほゆるむのがわかった。

死ぬ前に会っていたら、こういうのを友達と言ったのだろうか。

もし友達がいれば、きっと生きるのも楽しかったのだろうか。

そんなことを考えてしまう。


「……タマノさんは…その、何故こちらに?」

「それがわからないんですよね~」


手慣れた手つきで栗をきながら、タマノはうなった。

ミヨのようにはっきり覚えている、というわけではないらしい。


「近所からハイカラなお菓子をもらったんです」


今度は人参をポリポリと食べ始める。

思いだそうとしている記憶はつらい記憶、というわけではないらしい。


「ふわふわした、白くてまあるいお菓子。甘くておいしかった気もするんですが……それを食べたのが最後の記憶でしたね。食べてる途中で、こう、息がしんどくなって……」

「綿菓子ですか?」


ミヨは昔、みつぎ物の中に雲のようなお菓子が入っているのを思い出した。

砂糖のかたまりで、とても貴重だと言っていた。

その後すぐに遠方におもむかなければならなかったので、食べれなかったが。


「綿菓子ではなかったですよ。もっと小さくて、違う国だと焼いて食べるとおいしいって言ってました」


これぐらいの、と手で作る大きさは、栗と同じぐらい。

ミヨには思いつくものがない。


「でも、口の中に入れたら、溶けるんですよ!」

「へぇ!」


そんな食べ物があったのか。

想像するのは難しいが、少し楽しい。

タマノの顔をみるに、きっとおいしいものだったのだろう。

思わず、ミヨも釣られて笑った。


「明日も中庭にきますか?」


気がついたらそんなことを聞いていた。

タマノはきょとん、としたあとに、笑顔でうなずいた。

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