怪異調査事務所 中心区外周D地区54G
齋藤
黒い梅
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自分が自分であるという証明は何をもってなされるのだろうか
誰かが誰かであると定義づけるものは何なのだろうか
その境界を、誰が正しく引けるというのだろうか
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いつものように書類の山と格闘していると、控えめに事務所の扉が叩かれた
表立って表札も何も出していない事務所だ
客など稀、客が来たとしてもわざわざ扉から入ってくる者も稀、
まして、ご丁寧に礼節を弁えた者など、一体いつぶりだろう
「失礼しやす、齋藤先生の事務所はこちらで?」
外周部訛りの男の声
「えぇ、そうですが、どちら様でしょうか」
「へぇ、突然すいやせん。こちらに怪異解決の専門家の先生がおられると聞きやして…」
驚いた。本当にまっとうな客のようだ
「あぁ、それなら私です。鍵は開いております。どうぞお入りください。」
ガチャリと扉が開き一人の男が入ってくる。小綺麗な麻の服を着た、中年の男だ
軽く会釈をすると男は椅子に腰かけた
「よくお越しくださいました。何か、お困りごとが?」
「ありがとうごぜぇやす。実は、うちの村で何とも困ったことが起きとりまして…」
男は一瞬言い淀んだのち、言葉を続ける
「黒い梅が、生ったんです。」
黒い梅
記憶の限り、そんな種類の梅は存在しない
「黒い梅、ですか」
「へぇ、黒い梅です。とはいっても、実際に見たわけではねぇんですが…」
「なるほど…もう少し詳しく聞かせていただいても?」
そういうと男はたどたどしい口調で話始めた
依頼人の話を整理するとこうだ、
この村は希少な柑橘類が生育できる環境にあるらしい。
柑橘類は外周部では食料に、中心部では香料にと非常に重宝される。
交易が盛んなのだろう。依頼人が麻の服を着ていたことからも想定していたが、
ある程度は財政的に余裕のある村らしい。
このご時世に珍しい、などと思考を巡らせていると、
依頼人の言葉に熱が入り始める
「そんな村だから、物々交換をしてくれる行商人の方は文字通りうちの命綱、
村の衆も重々それは理解しとるんですが…」
「ある時、一人の行商人が言ったんでさ、村の入口の梅の木に黒い梅が生っているのを見たと」
「そしたらどうだい、村の年寄り連中が血相変えて飛び出してきて、村を閉める、行商人は時期を改めて来てくれ、といってみーんな追い返しちまいやがった」
「行商人がこなけりゃ俺たちの生活は干上がっちまう。年寄り共を説得しようとしても、1年、1年は村を開けないの一点張り」
「若い衆が総出で探しても黒い梅なんてどこにも生っちゃいない。
間違いなく行商人の見間違いでさぁ。無いものを探すことはできねぇ。
ホトホト途方にくれちまって」
「そんな中で、昔、行商人から先生の話を聞いたことを思い出しやして。
不可思議な事が起きた時の駆け込み寺、怪異の専門家の先生がおると」
そういうと、男はこちらを伺うように覗き込んできた。
黒い梅、確かに、これは、うちの専門分野かもしれない
「なるほど、事情はよく理解できました。これは興味深い事象です。
早速うちのスタッフを派遣しましょう。しばし、村へ帰ってお待ちください」
「ありがてぇ…!分かりました、一足先に村に帰って準備させて頂きやす」
そういうと男は一礼をして事務所を後にした
静かな沈黙が室内に流れる
「だ、そうだ。サイトウ、この件、どうみるよ」
「黒い梅、私も聞いたことがありません。 怪異の可能性は高いでしょう」
ぼやりと部屋の隅に影が揺らぐ。
やっぱり、途中から聞いてやがったな。
「そうか、そうしたら、調査をお願いできるか?」
「えぇ、もちろんです。これも私の大事な仕事ですので」
そう言い残すと、影はするりと消えた
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「さて、依頼のあった村はここですね」
村の入口に目を向ければ、左右に立派な梅の木が植えられていた。
その奥には段々畑が広がり、柑橘特有のほのかな匂いも風に乗って流れてくる
とても気分の落ち着く村だ。仕事でなければのんびり休息するのもよかっただろう。
まずは件の梅の木を確認する。
なるほど、確かに、微かではあるが気配がある
「おおーい!アンタが先生の所の人かい!?」
手を振りながら走ってくる影が見える。
訪れる時間軸は誤っていなかったようだ、と少し安堵する
「えぇ、左様です。あぁ、申し遅れました。私、サイトウと申します。」
「あぁ、サイトウさん、よろしく頼む。
しかしなんだ、依頼に行ったうちの者は一緒じゃないのかい?」
前言撤回。そうか、人間の足からすると、早すぎたか
「えぇ、少し街を見て回られてから帰るとのことでしたので。
私の主がお相手しております。」
「なーにを呑気なことを…まぁいいか。
それはそうとして、どうだい、何かわかりそうかい」
男は梅の木に目線を向けながら問いかけてくる
「確かに、この梅の木は、普通の梅とは違うようです。
しかし、現時点ではまだ何とも言えないというのが本音です。」
「そうかい…まぁ、なんにせよ来てもらえて助かった。
うちの隣に宿を用意してある。狭いところで申し訳ないが、当面の拠点に使ってくれや」
「それはそれは…お心遣いに感謝いたします。
その分、美味しい蜜柑を買わせて頂きますね。」
「そうかい!それはありがたい!折角収穫した実も、俺らだけだと食いきれなくて駄目にしちまうからな!ジャンジャン買っていってくれよ!」
そういうと男は嬉しそうに笑った
「そういや、どうするね、すぐに宿に行くかい?案内するが」
「いえ、もう少し村の中を見て回らせていただこうかと。よろしければ、ご年配の方々にも
お話を伺いたいのですが…」
「いや、今年寄り連中は、気が立ってて難しい。特に、アンタみたいな見るからに行商人風のよそ者にはなおさらだ。すまねぇな。」
男は申し訳なさそうに頭をかく
「あー…いや、一人だけいるな。」
そういうと、男は村の奥の方へ目線を移す
「あの段々畑が見えるかい。あの麓に一つ掘っ立て小屋がある。
そこに住んでる奴なら、話を聞いてくれるかも知れねぇな。
ただ、まともに話せるかは怪しいが…」
そういうと、男は村の一角を指さした。確かに、細く煙が上がっている様子が見える
「それは、ありがとうございます。訪ねてみることにしましょう。
しかし、まともに話せないというのは…?」
「狐にな、憑かれちまってるのさ。
元々、息子夫婦と一緒に暮らしてたんだけどな。ある時、息子夫婦が失踪しちまった。
それ以来、村から外れて、一人ああやって住んでるのさ。
元々は村の運営を担ってた爺さんだったらしいが、近づこうとした村人には石を投げて追い返しちまう始末、もう誰もあの側には近づいちゃいない。姿も見てない。あんたも、話に行くなら気をつけてな」
「ご忠告、感謝いたします。それであれば、存外、仲良くできるかもしれません。」
「ははっ!確かにそうだな!あんたも狐面なんかして、まるで人間じゃないみたいだもんな!まぁ、そんなところか、宿は黒漆喰の建物だ。部屋は開けておくからいつでも使ってくれ。じゃあな。」
「えぇ、ありがとうございます。また何か分かりましたらお伝えいたします。」
そういうと、男は手を振り去っていった。
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さて、そうと決まればまずは件の老人に話を聞いてみるとしよう
そう決めて歩き出すが、小屋に近づくにつれ、道はどんどん悪くなる
木々も剪定されず伸び放題になっており、昼間だというのに薄暗い
もはや今は獣道と言って相違ないほどに荒れ始めている
「これは…確かに、あまり人は訪れていないようですね…」
フワリと
不意に香り立つ匂いがある
視界を移せば、そこは何もない木立の中
しかし
何かが、いる
速度を上げ、その気配の根幹に近づく。
気配が最も強く漂う地点に足を踏み入れれば、
そこには小さな木片と蜜柑が供えられていた
「これは…墓標…?」
見れば、少しだけ土の色が違う。随分と古いが、掘り返された後もある。
気配は、間違いなくこの土の下から漏れ出ている。
手を合わせ、土を掘り返そうとした刹那
「お前!!!ここで何をしてる!!!」
背後から怒号が飛ぶ、振り返れば一人の老人が立っていた
「これは、失礼を、ちょうど貴方の元を訪ねようと…」
「見られたからには、生かしておけん。気の毒だが、村のためだ。死んでもらう。」
一瞬だった。目の前の老人の姿が崩れていく
影だ。影に、老人の身体が溶けていく。
そして音もなく足元に忍び寄ると、何かが影の中から伸びてきて、足を、身体を掴んでいく
ズブ、ズブとそのまま影の中に身体が沈みこんでいく
息をする間に、身体もろとも意識は黒い影に塗り潰されていた
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少しして、影はまた老人の形を取っていた
「こんな所にも行商人が入ってくるなんて…見回りをもう少し強化せにゃならんな」
折角持ってきた蜜柑も台無しだ…そう思って振り返った老人は目を疑った
そこには、何食わぬ顔で黒衣の狐が立っていた
「な…!?お前…!?」
「ご老人、少し、お話を聞かせていただけませんか。
その力、如何様にして得られたので?」
ゾクリ と
首筋が泡立つのを感じた
あぁ、これは、駄目だ。儂らがどうこうできる類のものじゃない
「私も、取って食おうというわけではございません。
何かお困りの事があれば、お話を聞かせていただけませんか?」
それは、言外に、
それ以外の選択肢はないぞと告げられたのと同じだった。
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「何か、お困りのことはありませんか?」
再度告げると、老人は観念したように言った
「…ここであまり騒ぎたくはない。うちまで来てもらおう。」
そういう老人の後に続き、しばらく歩くと質素な掘っ立て小屋の中に辿り着いた。
何の変哲もない小屋だ。けれど、確かに、村の入口にあった梅の木と同じ気配がする
「あんた、何者だい」
囲炉裏を挟んで座った老人が話す
「あぁ、これは申し遅れました。
私、サイトウと申します。各地を放浪しながら、薬師をしております」
「あんた、人間じゃないだろ。分かるんだよ。俺もこんな身体だからな。」
「えぇ、私は、妖怪です」
「妖怪…。」
「…何があったのか、よろしければ教えて頂けませんか?」
老人は少し考えるそぶりをし、ゆっくりと話始めた。
「もう、何年も昔の事になる。オレの息子夫婦は行商人をしててな。
うちの果実を運び、他所の村や街からのものを運んでくる。
物だけじゃなく、色んな噂や思い出話も一緒にな。
オレは、それを聞くのが本当に楽しみだった。」
「ある時、息子がオレに言ったのさ、村の入口に黒い梅が生っている、とな。」
黒い梅
老人は少し視線を落とした後、再びポツリポツリと話し始める
「この村には、言い伝えがあってな。遥か昔、この村には「影」が住んでいたんだと。
オレらのご先祖様はこの「影」を鏖し、その残骸を栄養に、村の礎を作ったと。
けれど、影は死んでおらず、まだこの土地に生きている。
そして、宿主となる人間を探しているのだと。
黒い梅は迎えている。宿主と生れる素質をもった人間を迎えているのだと。
だから、黒き梅が生ったとき、外の人間は村から追い出さにゃならんのだ。
そうしなければ、影が戻ってきてしまうから、と」
老人はここまで話すと一口茶で口を濯いだ
「…話を戻そう。オレは、この言い伝えも息子の話も信じちゃいなかった。
その時息子は慣れない土地への長旅終わりで疲れていたからな。何か見間違えたと思ったんだ。」
「その時、息子の嫁の腹には孫がいた。その出産のために、しばらく村に留まる予定だったんだ。」
ブルりと老人が身じろぎした。
「そして、あの夜が来たんだ。
急に息子の嫁が産気づいたかと思えば…ズルリと、黒い、黒い影を生んだんだ。」
「オレには、真っ黒な影にしか見えなかった。
けれど、息子夫婦はその影をとても愛おしそうに抱いていたんだ。
まるで、赤子でも抱くかのように。」
「そして、二人してこちらを向くと、ズルリと黒い影になって消えちまった。
残された影に触れて、意識を失って、気付いたら、オレもこんな身体になっちまった」
老人は自分の手に目線を落とした
「目が覚めた後、残った影はあそこに埋葬したよ。
なんで俺だけが、こんな身体のまま意識も、記憶もあるのか分からねぇ。」
「村の奴にも相談してな。こんな化け物がいると分かったら、行商人が寄り付かなくなって村が潰れちまう。しかもこの身体、この村が気に入っているようでな。
オレを外に出そうとしないんだ。
だからオレは、誰の目にもつかないここで、墓守として朽ちることにしたんだ。」
そういうと、老人は一つ深呼吸をした
「さっきは、悪いことをした。行商人の噂が広がる前に始末しなけりゃならんと」
深々と老人は頭を下げて謝罪した
「お前さん、こいつと同じなんだろう。何とかする方法はないのかい。
なぁ、頼むよ、オレにできることなら何でもする。助けてくれ。」
そういうと、老人は深々と頭を下げた
あぁ、なるほど、
話の種が割れてしまえば、簡単な話だ
「これは、影惑いといいます」
静かに、告げる
「影惑い…?お前さん、これが何なのか知ってるのか!?」
「えぇ、北外周部では有名な伝染病です。生物や植物に寄生し、その存在を乗っ取り、姿や記憶を模して生きる、意志を持つ病魔…ウィルス…つまりは、妖怪です」
「伝染病…ということは、治るのかい、これは!?」
老人がその身を乗り出し距離を詰めてくる
「えぇ、この妖怪は個体によって若干特徴が違います。
というより、好みが違います。植物が好きな個体、人が好きな個体…
それによって薬の調合を変える必要がありますが、完治は可能です」
老人は縋るように手を突き出す
「それなら…!」
「えぇ、ですので、どうかお休みなさい。」
「貴方のサンプルは、もう持っておりますので」
「え…」
伸ばした指先が、顔の前でドロリと溶けていく
次第に、老人の輪郭も溶け落ち、黒い影は煙のようになって消えていった
「3人、いえ、赤子も併せれば4人ですか。よくこの程度の被害で抑えられたものです。」
影惑い、好みとなる生物が接触した際に、そこに寄生し、命を奪う怪異
夜にしか捕食ができないという特性上、
効率よく捕食するために、好みの生物と同じ姿形を取る習性がある
植物や鉱物ならいざ知らず、「人間」が好物となった場合、その被害は甚大なものとなる
「息子夫婦の記憶をたどり、この村へ辿り着いたのでしょう。
中心部には判別用のゲートが設けられていますが、周辺部への配備は限定的ですからね」
影惑いにとっては、御馳走だっただろう。そうならなかったのは
「既に先客がいたから、と 確かに、このケースは非常に珍しいですね」
フワリ とどこからともなく柔らかい梅の匂いがする
「えぇ、分かります。人間の生み出すものは時に非常に魅力的ですから、ね。
この村の景観は、私も非常に好ましく思っております。」
この村には、既に影惑いがいた
それも植物を好む影惑いが
人間は、植物を繁殖させる力がある。
故に昔から、時に知恵を貸し、脅威が迫れば黒い梅の影をつけ、警告していたのだろう。
「この素晴らしい景色を見せて頂いたお礼と言っては何ですが、
私の薬をいくつか置いていきましょう。
どうぞこれからも、この村の方々を見守って上げてくださいね。」
コトリと床に薬瓶を置いた刹那、畳の一部が黒い影となりそれらを呑み込んだ。
フワリ、ともう一度だけ柔らかい梅の香りがした。
その後、埋められていた残りの影惑いも処理し、村長に事の次第を伝えた。
もう村を開けても大丈夫なこと、今後は、黒い梅が生ることはないだろうこと
不思議と、反発されることもなく素直に話は聞き入れられた
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「…以上が、今回の件の顛末です。」
「ご苦労様。しっかし、影惑いか。また空振りだったな」
賽灯がいうように、2種類の影惑いが競合するというのは珍しいケースだが、
影惑い自体はよく知られた怪異だ。
「しかし、まったくの無駄という訳ではありません。こうして薬の材料も手に入りました。
意外と、影惑いは調達に難儀するのです。
それに、その村、療養地にはもってこいかと。主殿も、時には休暇を取られては?」
冗談めかして肩をすかして答える
「妖怪に管理された村だって知っちまったら、気が休まらんよ。
取れるならオレも休暇の一つや二つ取りたいがね」
「ふふ、そうなるよう、願っております。それでは、私はこれで」
刹那、部屋の暗がりに溶けるように気配は消えて静寂だけが残る。
「そうならないように、の間違いではないかね、サイトウ君」
問を飛ばすが答はなく、蛍光灯の擦れる音だけが機械的に流れていた。
煙草に火を点け、書類に目を落とす。
さて、次はどの依頼に取り組もうか
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