アストロガイズ

スパニッシュオクラ

第1話 自由の奴隷たち

深い砂嵐吹き荒れる荒野の夜。


輩の下品な笑い声も酒に酔い潰れて聞こえなくなった。


陰湿な空間、光源は手に持ったランタンと角から漏れるトーチの明かりだけ、薄暗くて気味が悪い。


無機質な風が時折吹いて、それが壁に反射すると鳴き声みたいな音がする。


俺はこの音が昔っからどうにも苦手で背筋が硬直したりする。


奴隷の監視、それが彼──エンリの仕事だ。


奴隷の挙動を監視し不審な点があれば上に通達する、前例は無い、惰性で始めたこの職も2年が過ぎた。


昼の労働で疲弊しきった奴隷達に逃げ出す気力など毛頭無い、故にエンリはどう退屈せずに時間をつぶすかに重きをおいていた。


そして、俺は拾った枝で地面に絵を描く事にした。


そんな時だ、檻の方から物音がした、半時程過ぎたぐらいか。


音の方へと目をやると一人の少女と目があう。


透き通った透明感のある白肌にぼやっと眠そうな三白眼、琥珀色の瞳が印象的だ。永年の牢屋生活でろくに手入れのされて無い銀髪はボサっと乱れており、石ナイフで散髪したせいか毛先があまりにも不揃いだ。


その特徴的な見た目からか根強く記憶に残っている。


イメージは、そう、陰湿なガキ。パンを喰う時も鞭に打たれた時も、顔色変えない機械みたいガキ。


「お前名前なんて言うの?」。


なんの気無く檻の端で虚ろな顔をしている少女に問いかける。


ただの気まぐれだった。


特段興味があった訳でもない。


夜がふけるまで余りある。殆どの奴隷は寝静まり、監視とは名ばかりのただ座っているだけの億劫な時間。


今思い返しても退屈と眠気とを紛らわすのに話し相手が欲しかったのだと、その位の理由しかないのだと思う。


「……………」。


答えは返って来なかった。付言するなら無視をされた。


別に腹も立たない、この何もかもを失った少女に立てる腹など到底なかった、が、本心はどうであれこのまま会話が途切れてしまってはつまらない。


「親に売られたのか?気の毒にな」。


俺はまくしたてる様に軽口を叩いた。我ながら最低だと思う。


「……リン。」


唐突に、少女が口を開いた。彼女の声はかすれており、長い間しゃべっていなかったのが伺えた。


「……何だって?」俺は聞き返した。まさか答えが返ってくるとは思っていなかった。


「名前……リン。」


それが彼女の名前だった。短く、力なく、それでもどこかに芯を感じさせる響き。俺は不意に、自分が思っていたよりもこの少女に興味を持ってしまったことに気づいた。リンという名前――今まで数えきれないほどの奴隷を見てきたが、名乗る奴は珍しかった。東の生まれだろうか。


「リンか……」俺はその名前を反芻しながら、改めて彼女を見た。捕らわれの生活で心を閉ざした、そんな印象を受ける。


「親に売られたのか?」もう一度問いかける。特に意味はなかった。ただ、何か話が続けば、それでよかった。


彼女はしばらく俺を見つめ返していた。瞳は感情が読み取れない琥珀色で、まるで何も感じていないかのようだった。


「……親なんて、覚えてない。」


その言葉が出た時、風がひときわ強く吹いて、ランタンの炎が揺れた。リンの髪がその風にあおられ、乱れた銀髪がかすかに踊った。


「覚えてない、か。そうか……」


俺もまた、彼女と同じように風の音に耳を傾けた。壁に反射する不快な音が、いつもより少しだけ響いてくる。いつもなら背筋が硬直するその音も、今はどこか遠い。


「お前……ずっとここにいるつもりか?」ふと、そんな言葉が口をついて出た。俺自身、何を考えて言ったのか、よく分からなかった。ただ、この陰鬱な牢獄に、何もせずにいることが、どうにも嫌だったのかもしれない。


リンは、ゆっくりと目を伏せた。そして、かすかに肩をすくめたように見えた。


「逃げられるなら、とっくに逃げてる。」


その言葉には諦めが混じっていたが、それ以上に冷静だった。まるで、それが当然の事実であるかのように言い放たれた。リンにとっては、この場所から逃げることなど不可能だという現実が、当たり前のように受け入れられているのだろう。


「それもそうだな……」俺はため息をつき、持っていた枝で再び地面に線を描き始めた。無意味な線が砂地に刻まれていく。それが唯一、俺がこの場所で感じる退屈を紛らわす手段だった。


しかし、今夜は違った。リンとの短い会話が、俺の心に何かしらの変化をもたらしていた。普段なら無視していた奴隷の存在が、今日は妙に気にかかる。


「お前、自由になりたいか?」俺は自分でも驚くような質問をしていた。口にした瞬間、軽率だったと後悔するが、リンは意外にもすぐに答えた。


「自由って、何?」


その問いかけが俺を言葉に詰まらせた。自由とは何か?簡単な質問のはずなのに、いざ問われると答えに窮する。


「……まあ、檻の外で、自分の好きなことをすること……とか、か?」自信のない答えを返す俺に、リンは小さく鼻を鳴らした。


「それが自由なら、誰も手に入れられない。」


その言葉には、深い諦めと共に、冷たさがあった。それが幼い少女から発せられたものだとは思えないほどに。


「そんなこと……」


リンは何も言わず、ただ瞳を閉じた。その静けさの中で、俺は彼女が長い間、この陰湿な空間で何を見てきたのか、何を感じてきたのかを想像せざるを得なかった。風が再び鳴り、壁に反射する不気味な音が再び響く。


静かな夜が続く中、俺は再び地面に線を描き始めた。しかし、今夜はその線が、少し違って見えた。


俺は描いていた線の手を止め、リンの方をじっと見つめた。彼女の言葉が胸に引っかかっていた。自由を望むことさえ諦めた少女。その姿は、俺が想像していた「ただの奴隷」という枠を超えて、何か得体の知れない存在に思えてきた。


「……それでも、外に出たいと思ったことはないのか?」俺は問い続けた。何か、彼女からもっと引き出したかった。どうしてかは分からないが、ただその冷め切った態度が気に食わなかったのかもしれない。


リンは、しばらく口を閉じたまま俺を見つめていた。眠そうな三白眼の奥に、ほんの少しだけ動揺が見えた気がした。


「……外に出て、何をすればいいの?」


その問いかけに、俺はまたしても返答に困った。確かに、この世界で自由になったところで、何が待っているというのか。荒れた砂漠と暴力、飢え、そして恐怖。それだけがこの世界の現実だ。俺自身、どうしてこの仕事を続けているのか分からなくなることがある。


「外は……そうだな、荒れ果てた世界だ。俺たちは、生き延びるだけで精一杯だ。」俺は正直に言った。それがこの世界の真実だったし、偽る理由もなかった。


「なら、何も変わらない。」リンは静かにそう言って、再び目を閉じた。まるで、これ以上の会話は無駄だとでも言いたげだった。


俺はその態度に苛立ちを覚えた。彼女が正しいことは分かっていたが、それでも――このまま終わらせたくないという気持ちが募った。


「……外に出たら、もう鞭を打たれることも、監視されることもない。自分の意志で動ける。それがどれだけ価値のあることか、考えたことはないのか?」


自分でも、なぜこんなに必死になっているのか分からなかった。ただ、彼女の諦めたような態度が許せなかったのかもしれない。俺は監視者であり、彼女を支配する立場にあったが、その力に酔っているわけではなかった。ただ、何かが引っかかっていた。


リンは再び、静かに目を開いた。そして、琥珀色の瞳が俺をまっすぐに見据えた。


「……自由なんて────幻だ。」


その言葉には、今までのどの言葉よりも強い確信があった。俺はその一言に、一瞬何も言えなくなった。幻――それが、彼女がこの世に抱く唯一の真実なのかもしれない。長い間、牢獄の中で何もかもを見透かしてきたような少女の言葉だった。


「はは……かっこいいじゃないか」。思わず茶化して返したがリンはもう答える気がないようだった。ただ再び目を閉じ、今度こそ完全に沈黙した。


俺は無言のまま、その場に立ち尽くしていた。風が吹き、ランタンの炎がかすかに揺れる音だけが響いていた。気づけば夜が深まり、周囲はさらに暗くなっていた。


俺は不意に、背筋に冷たいものを感じた。何か、いつもとは違う空気が漂っているような感覚。それが何なのかは分からない。ただ、この夜が今までの夜とは何か違うのだという確信だけがあった。


その違和感に包まれながら、俺はリンから目を離し、ランタンを持ち上げた。


「……寝ろ。明日も朝早いぞ。」


そう言って、俺は彼女に背を向けた。リンは何も言わなかったが、視線が背中に突き刺さるような気がした。


俺はその場を離れ、夜の風が吹き荒れる砂漠の空を見上げた。暗雲が立ち込め、星の光もほとんど見えない。荒野の夜はいつも通りだが――何かが、確実に変わり始めている。


俺はそれを感じながらも、ただ歩き続けた。

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