魔生物対策本部討伐課五番隊――石原蓮はヒーローになる
遠坂 青
兄貴はヒーロー
第1話 蓮と双子
「飯できたぞ! ほら、自分の分テーブル持ってけ!」
皿に焼きたてのトーストを乗せながら蓮はリビングに向かって声をかけた。
小麦粉の仄かに焦げたような良い香りが部屋の中に漂う。
心地よい刺激が一日の始まりを告げるように脳の覚醒を促していく。
蓮の呼びかけに一人の少女がキッチンへとやってきた。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、結希」
蓮の9個下で十歳、双子の片割れの妹、結希。
小さな体で蓮を見上げる。
その瞳は十歳とは思えない落ち着きと聡明さを孕んでいる。
「今日はどのジャムがいい?」
キッチン上の棚を開けて蓮は尋ねる。
結希は顎に手を当てて少し考えて、
「マーマレード」
「おっけー。じゃあ自分の皿持ってって」
蓮はマーマレードの瓶を棚から取り出しつつ、一人分の朝ご飯を盛ったお皿を結希に渡した。
両手でしっかりと受け取って落とさないようにバランスをとりながら、慎重に結希はダイニングテーブルに向かう。
普段の仕草は落ち着いていて大人びてはいるが、やはりまだ小さな子供で愛おしい妹だ。
マーマレードを片手に蓮も自分の分を持ってテーブルに移動する。
「悠太! 早く取りに来い!」
そう呼びかけるのは結希の双子の片割れ、弟の悠太。
しかし蓮の再度の呼びかけにも返る言葉はなく。
『俺に任せろ! 仮面ハンター、豪鬼!!』
「仮面ハンター、ごうき!」
代わりに聞こえてきたのは録画していたテレビの映像に合わせてポーズをとって放った決め台詞。
結希の落ち着きに比べて真逆のように子供っぽいが、それはそれで素直に愛おしい。
しかしこのままでは蓮も二人も遅刻してしまう。
仕方なくリモコンを手に取って蓮はテレビの電源を切った。
「あっ! いいところだったのに!」
口を尖らせて振り向く悠太。
「いつも言ってるだろ、ご飯はちゃんと時間通りに食べましょうって」
「出たな、ガミガミモンスター! おれはお前になんか屈しないぞ!」
「誰がガミガミモンスターだ! 取って食っちまうぞ!!」
テレビのヒーローと同じポーズで蓮に向き合う悠太に、威嚇するように蓮は両手を振り上げる。
「こい、おれがやっつけてやる!」
「お前如きに俺が倒せるものか。どりゃ〜!!」
「うわぁ〜!」
成長期の来ていない小さな体は蓮によって軽々と持ち上げられ、その動きは容易く封じられる。
やられまいと悠太は抵抗するが蓮の拘束は固い。
「男子ってほんとバカ」
マーマレードを塗ったトーストを齧りながら静観していた結希が呟く。
「結希、たすけてくれ〜!」
「ヒーローがいきなり助け求めないでよ」
「ガハハ! 情けないな、仮面ハンター!」
肩に悠太を担いだままぐるぐると回る蓮。
悠太は目を回し、もはや抵抗する力も残されていない。
ぐったりと項垂れたまま、かろうじて顔をあげて結希を見据える。
「結希、お前だけがたよりなんだ……! 力を貸してくれ!」
「か弱い乙女が一人増えたところで何ができる! 貴様はここでやられるのだ! ダァーッハッハッハ!!」
「仕方ないなぁ……」
最後の一欠片を口に放り込み、結希は席を立ち上がる。
その動きを警戒するように蓮は身構えた。
「むっ、来るか。いいだろう、相手してやる」
「仮面ハンター、結希! 悪は必ず成敗してくれる!」
そう叫ぶと結希は巨大な敵に向かって走り出す。
一切の小細工はなく、正面から飛びかかった。
蓮は悠太を落とさないよう抱える片腕に込める力を強め、正面からの突撃を空いた片手で包むように受け止める。
「ぐっ! なんの、これしき……!」
「悠太!」
「うおおおお! おれはまだやられてない!」
「な、にぃ〜!!」
結希の衝撃を受け切る前に肩の悠太が暴れ出し、蓮はバランスを崩す。
「ぐわぁぁあああああああ!!」
耐えきれなくなった蓮は二人を正面に抱えるようにして背中から倒れ込んだ。
「やったぞ! おれたちの勝利だ!」
「当然だね」
「二人がかりは卑怯だろ〜」
「にいちゃん、勝負の世界は残こくなんだよ」
「勝てばいいのよ」
「最近のヒーローは現実主義だなぁ」
世知辛い世の中だ、と蓮はやるせなく肩を落とす。
と、三人顔を合わせて笑い合う。
ひとしきり笑うと蓮は二人を抱えて立ち上がる。
そっと床に立たせると背中を押してテーブルに向かわせる。
「さ、早く朝ごはん食べるぞ。急がないと遅刻しちまう」
「「はーい」」
「よし、ハンカチ持ったか? 忘れ物ないか?」
「大丈夫!」
「体操服もちゃんと持ったよ」
悠太はポケットに手を突っ込んで仮面ハンター柄のハンカチを見せ、結希が体を傾けてランドセルの横にぶら下げた体操袋を見せた。
二人の頭に手を置いて蓮は褒める。
「偉いぞ。それじゃ、母ちゃんに挨拶しよう」
「いってきます!」
「お母さん、いってきます!」
「母ちゃん行ってきます!」
靴箱の上に乗せた母の写った家族写真に挨拶をして、三人は揃って家を出る。
「ちょっと急ぐぞ」
仮面ハンターごっこのせいで少し時間に余裕がない。
蓮の始業までは間に合うだろうが、悠太と結希が遅刻ぎりぎり。
三人は小走りに通学路を急ぐ。
小さな体で必死に走る二人の姿に蓮は微笑む。
「にいちゃん何笑ってるの?」
「きもちわるい」
「二人が元気で嬉しいなぁと思っただけなのに……」
「急にどうしたんだよ」
「熱でもあるんじゃない?」
最愛の弟妹に毒づかれてしゅんとなるが、それすらも楽しいと感じる。
「お前ら、大好きだぞー!」
進む足は止めず、しかし力強く二人を抱き上げる。
「やっぱり今日のにいちゃんなんかおかしいって!」
「いつもこんな感じじゃない?」
気恥ずかしいのか身じろぐ悠太と、対称的に結希はされるがままになっている。
蓮は二人を抱えたままいつも別れる場所まで走った。
「家の鍵持った?」
「にいちゃん心配しすぎだって。結希が忘れ物するわけないんだから」
「持ってるけど、最初から私頼りなのやめてよ」
「今日は俺の仕事18時までだから二人の方が帰り早いけど、家に帰ったらちゃんと鍵閉めて、知らない人が来ても出ちゃダメだぞ」
「それいつも言ってる」
心配性を発揮する蓮に呆れたように悠太が答える。
しかし蓮の心配は止まらない。
「モンスターが出たらどうするんだっけ?」
「モンスター除けスプレーをして近くの大人に助けを求める」
「そう! よし、いってらっしゃい!」
一通り確認を終えて満足すると蓮は二人を送り出す。
「「いってきます」」
元気よく返してくれる二人に蓮は笑みが溢れる。
「それじゃ、にいちゃんも」
「「いってらっしゃい」」
「行ってきます!」
挨拶を交わして道を別れ、二人は学校へ、蓮は職場のスーパーに向かう。
なんということはないいつもの朝の風景だ。
しかし双子の弟と妹が元気でいてくれるという、その日常に蓮は元気をもらっている。
二人と別れたばかりだというのに、蓮には会いたい気持ちが湧き上がってきているが、二人のため精一杯働かなければ。
蓮は足を早めてスーパーへと向かった。
朝の荷出しからレジ対応まで、一日中忙しなく働く。
客のラッシュは昼と夕方だが、それ以外の時間もやることは多く、休める暇も少ない。
パートのおばさんが重いものを運ぼうとしていたら代わりに運び、お年寄りが高いところのものを取ろうとしていれば取ってあげる。
「蓮くんは働き者でおばちゃんたちほんと助かるわ〜」
「俺にできることなら何でも頼ってくれよな!」
「弟さんたちのために一生懸命働いてるんだもの、逆に私たちにできることがあったらいつでも言ってよ〜」
体力も力もある蓮は店長にもパートのおばちゃんにもよく頼られていた。
「蓮くん、そろそろお昼休憩入っとこうか」
店長に声をかけられて時計を見る。
気づけば十四時。
お昼のラッシュも過ぎて落ち着いてきた頃合いだ。
「うっす。休憩もらいまーす!」
作業に一区切りついたところで切り上げてスタッフルームに下がる。
朝に作ったおにぎりを口に放り込みながら、スマホのカレンダーを確認する。
小学校はもう直ぐ夏休み。
夏休みに入ればすぐに三者面談が始まる。
ついこの前に二人が学校からの三者面談のお知らせと書かれたプリントを持って帰ってきた。
それに三者面談の日程候補日を書いて提出しなければならない。
プリントを机に置いてカレンダーを見比べる。
ある程度の目星をつけて、プリントに書き込もうとするが、ペンがない。
スタッフルームの隅に置かれた棚に筆記用具があったはずだ。
蓮は立ち上がってペンを取りに行く。
「お疲れさま〜」
午後から入る予定のパートのおばちゃんがスタッフルームに入ってきた。
蓮は笑顔を作った顔だけ向けて、お疲れっすと返す。
おばちゃんは机の上に置かれたプリントに目を向けると。
「あら、三者面談なんてもうそんな時期なのね〜。懐かしいわ〜」
テキパキと店員エプロンを着けながら顔を綻ばせた。
「一人で双子の弟さんと妹さんを育てるって大変じゃない?」
「そうっすね〜。でもあいつらの笑顔が俺の元気の源なんで、全然苦じゃないっすよ!」
「ほんっと偉いわね〜。うちの息子にも見習って欲しいくらいだわ」
成人してからも家を出る気配がないのよ、と長話スイッチが入ったおばちゃんは一人で話し続ける。
蓮は相槌を打ちながらペンを手に取ってプリントに書き込んでいく。
夏休みに入れば悠太と結希は一日中家にいることになる。
去年までは仕事を早上がりさせてもらったりしていたが、今年で二人とも十歳。そろそろ二人だけでお留守番も出来るだろう。
最近は家事も主に結希が――悠太も結希に言われて――積極的に手伝ってくれるようになっている。
二人の進学も近づいてきている今、少しでも働いて貯金を増やしておきたい。
店長にシフトを増やしてもらえないかあとで相談してみようかと考えていると。
スタッフルームの外、フロアの方からガシャーンというガラスが割れたような大きな音が聞こえてきた。
その後間髪を開けずに、
――ジリリリリリリリリリリ
耳を突くような緊急サイレンがけたゝましく店内に響き渡った。
蓮もおばちゃんも動きを止めて、急いでスタッフルームを飛び出した。
「一体何が!?」
フロアに出ると客が叫び声を上げながら外へ向かって走っていく姿が目に飛び込んできた。
出入り口の近くでは店長が大きな声を上げて人々を誘導している。
「店長、何があったんすか!」
「モンスターが出た! 幸い怪我人は多くないし、避難誘導も問題ない」
「モンスターが……」
「そこのモンスター除けスプレーを持っててくれ!」
「了解っす!」
柱の下に消化器と隣り合わせて常備してあったスプレーを蓮は拾い上げる。
もしモンスターがこちらに来たらこれで対応しなければ。
「モンスターは今どこに?」
「あの窓から入ってきて、そのまま奥に進んで行った。数は多くない、パッと見た感じ三、四体だ」
店長の示した窓は枠ごと破壊されて壁の一部が抉られていた。
こういった事態を目の当たりにするのは初めてだが、モンスターの力の強さがそれだけでわかる。
今の所モンスターの姿は見えないが、いつどこから襲ってくるかわからない。
警戒しながら蓮も避難誘導を手伝う。
が、そこに避難の流れに逆らおうとする女性が一人。
「危険です! 逃げてください!」
蓮は腕で女性の行く手を遮りながら叫ぶ。
しかし女性はなおも店内へ戻ろうと必死に体を押し込んでくる。
「子供が! うちの子がまだトイレから戻ってないんです!」
「えっ!?」
女性は自分の子供を探しに行こうとしているらしい。
しかもその子供は店の奥にあるトイレにいるという。それはモンスターが向かった方向だ。
女性は今にも泣き出しそうな顔で蓮に縋る。
横で見ていた店長が女性に声をかける。
「あと数分もすればマタイの人が来てくれます!」
「それを待っていたらあの子が……!!」
その場に崩れそうになる女性を蓮は支える。
子供が危険に晒されている彼女は絶望の淵に立たされたような気持ちであるに違いない。
しかしモンスター討伐に特化した公的機関であるマタイがくるのを待つのが最も被害を抑えるために重要であると、人々は教えられている。
祈るしかできない己に蓮は歯痒さを覚える。
ついに泣き出した女性に、しかし現実は非情で。
ドゴンと重い音が店の奥から地響きのように伝わってきた。
「店長、この人お願いします」
「は? おい、蓮くん!」
店長に女性を預けて蓮は走り出す。
待つべきだとどれだけ言われようと、目の前で子供が危険に晒されているのに、じっとしていられるわけがなかった。
もしかしたら子供は避難を済ませているかもしれない。
あるいは既にモンスターによって帰らぬ人となっているかもしれない。
それでも蓮は迷いなく走り出す。
床は飛散した商品が足の踏み場を減らしていた。
空いている場所を確認しながら、時には蹴っ飛ばしながら急ぐ。
店の奥の直ぐ側まできたところで、ドミノのように倒れた商品棚の陰からトイレの方を伺った。
見えたのは緑色の体表を持ち、老人のように皺の寄った顔のモンスター。
確か、あれはモンスターの中でも最も出現頻度の高いゴブリンだと蓮は頭の中で思い起こす。
体の大きさは人の子供と同じくらいだが、力は大人の何倍もある。
油断はできない。
今の所、ゴブリンたちは壁と一体化した冷凍庫を漁ったり木の棒を振り回して破壊して気色悪い笑みを浮かべている。
そのうちの一体がトイレの扉を叩きつけていた。
「助けてぇー!」
その扉の向こう側から幼い声が聞こえた。
「……っ! あの中か……?」
どうやら鍵を締めて中に閉じこもっているようだ。
しかし扉もいつまで保つか。
早くどうにかしなければ子供の命が危ない。
蓮は勢いよく正面に飛び出した。
「おら、お前ら! こっちだ!」
大きな声でゴブリンたちの注意を引く。
ゴブリンは喉の潰れたような音を出しながらこちらに振り向くと、甲高く笑い声をあげてベタベタと走り出した。
(よし、とりあえずこっちに来たな)
蓮は反対方向に走り出してトイレからゴブリンたちを引き離す。
しかしゴブリンたちの動きは存外素早く、蓮との距離を刻一刻と縮めていく。
しかも足元に散らばった物で蓮は思うように走れない。
このままではゴブリンに追いつかれてしまう。
一匹のゴブリンが地面を蹴って蓮に向かって飛びかかってきた。
蓮は身を翻して、
「喰らえ!」
手に持っていたスプレーをゴブリンに向かって噴射する。
『ギシェェエエエアアアア!!』
奇声をあげてゴブリンは地面に転がった。
それを見て一瞬ゴブリンたちの動きが止まる。
しかし転がったゴブリンがよろめきながら立ち上がると、他のゴブリンたちと怒り狂ったようにさらに奇声をあげて蓮に向かって駆け出した。
蓮はスプレーで迎撃しようと構えるが、中身は既に使い切ってしまっているようだった。
「くっそ!」
ゴブリンたちに向かってスプレー缶を投げつけつつ蓮はまた背を向けて逃げる。
店の外に逃げ出せば蓮を追ってきたゴブリンたちが避難民を襲うかもしれないと、店内で追いかけっこを続けるしかなかった。
障害物をうまく利用しながら逃げているが、それも限界がある。
ゴブリンたちが迫り、もうダメかと思ったとき。
蓮に飛びかかっていたゴブリンが突然真横に吹き飛んだ。
何が起きたのか理解する間もなく、その後ろにいた他のゴブリンも同じように頭から横に吹き飛んで行った。
「なんだ……?」
床にべったりと転がって動かなくなったゴブリンを眺めながら蓮は上がった息を整える。
「大丈夫ですか!?」
呆けていると、吹き飛んで行ったのとは逆の方からこちらに声を掛けて近寄ってくる人影があった。
救急箱を抱えているその少女の服装は、テレビでたまに見かけるマタイの制服。
どうやら通報を受けたマタイが到着したようだ。
「怪我してないですか? ちょっと見させてもらうのでこっちきてください!」
「あ、あぁ、はい」
優しく手を引かれて店の外へと誘導される。
外には既に救急車や消防車などの緊急車両が何台か到着しており、避難民も特に怪我のない人は解放されて帰り始めているようだった。
その中でも特に目を引いたのはマタイの制服を着た人たち。
数人が集まって何やら会話をしており、店の中に入っていった。
そのうちの一人は、太陽の光を受けて黒く光る大きな銃を持っており、治療を受けながら聞いた話によればあれでゴブリンを倒したのだという。
すごい人たちがいるものだと蓮は感心していると。
「蓮くん無事だったか!」
「店長も無事だったすか」
「突然走り出すもんだから心配したよ……」
「すんません」
「無事だったから良かったものを、次からはやめてくれよ」
「気をつけます……」
胸を撫で下ろす店長に蓮は申し訳なさそうな笑みを浮かべて謝罪した。
それから治療を受けながら少しばかりの雑談をしていると、店の中からマタイの人たちが出てきた。
彼らは子供を連れてきており、外に出てくるやいなやその母親が駆け寄ってきて子供を抱きしめた。
母親も子供も顔がぐずぐずになるほどに涙を流していた。
店長に心配をかけてしまったが、子供は守ることができた。
蓮もほっと一息ついた。
治療が終わると、少しの事情聴取があって蓮は解放された。
店は酷く破壊されとても営業どころではない。
「まぁみんな無事で本当に良かったよ。明日からどうすればいいかは置いといて……」
店長は本気の心配をしつつ青い顔をして自分に言い聞かせるように言った。
店のこれからは一旦本部と相談してから決めるという話で、蓮に今できることは何もなさそうだった。
マタイと話し込む店長を残して客やスタッフは各々帰路についた。
蓮も家に向かうが、頭の中は明日以降のことでいっぱいだった。
「店長も心配だけど、俺も俺でなんとかしないとなぁ……」
スーパーで働けなくなった以上、新しい仕事を探さねばならない。
学歴のない蓮にとってはアルバイトですら探すのは一苦労だった。
店長に他の店舗を紹介してもらえないか相談するとしても、フルで入れるとは限らない。他の仕事口も自分で探したほうがいいだろう。
スマホで軽く検索して、止める。
「暑すぎだろぉ」
七月半ばになって一層ギラギラと照りつける太陽光の眩さにスマホの画面も見づらい。
熱に溶ける頭と肌の焼ける感覚をはっきりと感じ取りながら蓮はスマホをポケットにしまって人気のない道を歩く。
スーパーすぐ近くは野次馬がそれなりに居たが、道を少し外れるだけで一気に人が消えた。
家へと足を運びながら、とりあえず今日のことを考えようと切り替える。
もともと十八時まで仕事の予定だったが今はまだ十五時前。
ちょうど小学校から悠太と結希が帰ってきている頃だ。
せっかくだから二人と一緒に晩御飯の材料買いに行ってもいいかもしれない。
あんなことがあったばかりにも関わらず、二人といつもと違う日常を過ごせると思うと少し心が躍る。
どんなことがあっても二人がいてくれるだけで頑張れると蓮は改めて実感した。
そうと決まれば早く家に帰ろうと、足取りが軽くなる。
「今日のばんごっはんは何にしよっかな〜」
悠太の好きなハンバーグを作るのがいいだろうか、それとも結希の好きなオムライスか。はたまたオムライスにハンバーグを乗せてもいいなと。
家に近づくほど笑みが溢れだす蓮。
そしてあと二つ、家の手前の角を曲がろうとしたところで、突然飛び出してきた人とぶつかる。
「うわっ、大丈夫すか」
「ひっ、ひぃぃいいいい!」
しかし蓮の心配も気にしないでその人は走り去ってしまう。
なんだ?と疑問にその背中を見つめていると。
――ドォオオオン
爆発か、何かの崩れるよう大きな音が反対側から聞こえてきた。
それと同時に近くの家の人たちが悲鳴を上げながら散り散りに走り去っていく。逃げ惑うと表現するのが適当そうで、靴を履いていない人すらいた。
音がした方向、人々が逃げてくる方向に蓮は嫌な予感を覚える。
それは蓮が曲がろうとした先の方向で。
それは蓮の家がある方向で。
それは悠太と結希がいるはずの方向で――。
蓮は間髪入れずに駆け出した。
それは思い過ごしであるはずだ。
角を曲がって少し先のもう一つの角を曲がったところに蓮の家がある。
モンスターが現れたのだとしても、他の人同様二人も逃げているだろう。
あの角を曲がれば蓮の家が目に入る。
まさかちょうど蓮の家が襲われているはずがない。
最後の角を曲がって、蓮の中の時間は永遠とも思えるほどに止まった。
視界の中央に入ってくるのは蓮の家のはずだったがそこに家はなく。
代わりに入ってきたのは潰れた家の上に立っている巨大なトロール。
そしてトロールが手に持っている細い鉄パイプのようなもので心臓を貫かれている悠太と結希だった――。
正確に言えば心臓を貫かれているのかはわからないが、間違いなく鉄パイプは二人の体を貫き、ぐったりと項垂れた体からは赤い血がぼたぼたと垂れてトロールの腕を伝っていた。
間違いなく死んでいる。
少し離れた距離からでもそう理解するのは難しくなかった。
蓮は全身が震えているのを、足がうまく動かないことで頭の片隅で気づいた。
眠るように目を閉じている二人の顔を少しでも近くで見ようと、今にも崩れそうな膝に、もつれそうな足をかろうじて前に進める。
「悠、太……? 結希……?」
目に飛び込んできた現実は否応なく理解させられたが、心の奥底がそれを全力で拒んでいる。
ちぐはぐな精神状態に呼応するように肉体も麻痺していた。
だからだろう。
トロールがそこにいることはすっかりと蓮の意識からは抜け落ちていて。
容赦ない横薙ぎの攻撃が蓮の横っ腹を捉えた。
意識外からの衝撃に蓮は一切の反応や受け身を取れず、そのまま横に吹き飛んだ。
隣の家の外塀にぶつかって意識が飛びかける。
軽い脳震盪を起こしているかもしれない。
体も頭も思うように動かない。
大切な何かを失ったような虚無感だけが僅かに蓮の心の中にある。
視界はぼやけて白んでいて、周りの音も遠くなっていく。
次第に耳鳴りが大きくなり、突然全ての情報が闇に消えた。
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